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ルックバックを観て思った「ひとりで作る」ということ

映画ルックバックを観た。

僕がとやかく言う必要もない傑作で、
それについて何も言うことはない。
とにかく観てください。

いろんな評論も見たけど、
どれも何か届いてない気がした。
言ってることは全部正しいんだけど。
たぶん言葉にするのが野暮なんだと思う。

原作が出たときから、
漫画家さんが打ちのめされてるというのが
話題になっていたが、そりゃそうで、
モノづくりを生業にしてる人は誰でも
感じて考えざるを得ない。
物を創るということ。

ふたりを描くことで
ひとりで描くことを思う。

何かを創造するという作業は孤独だ。
この物語は二人のつながりを描いているが、
そこから見えてくるのは「ひとり」ということ。

ひとりでできることには限界がある。
今どきタイパもコスパも悪い。
誰もが誰かの助けがあって
初めて作ることができる。
それは本当だと思うけれど、
それでも創るのはひとりだと思う。

ひとりで考えることには穴があるから
みんなで作れば完璧を目指すことができる。
共同脚本のシステムは
そんな感じで話に欠点が少ない。
マーベルのシリーズはあんなに
混みいってるのに整合性が取れている。
まあ元々アメコミってみんなで作るし。

そして整合性の取れたストーリーは飽きる。
思い込みもはみ出てると補正されるから。

それに比べて日本の漫画制作は異常で、
コンビでやるタイプもあるが
基本全部ひとりでやる。シナリオも作画も。
アシスタントはあくまでもアシスト。
どう考えても尋常ではない。

藤子不二雄って
二人で作ってて凄いと思ってたが
実はそれぞれ自分の作品を持っていたと
知った時はすごく驚いた。
ふたりで作っていたのではなく、
ひとりとひとりが一緒に作っていたのだ。

手分けは効率化でしかない。

ビジネスとして考えれば
みんなで作る方がいいに決まっている。
だから世界的にそういう流れだし、
その中で日本の漫画家は浮いている。

それでもひとりで作り続けるのは、
自分の前にいた
憧れるひとりを追いかけてるからで
その人の背中がずっと見えてるからだ。

いくら効率を考えてチームで、
と言われてもたぶんできないんだと思う。
それは自分が作ることにならないから。

結果、日本の漫画は
他の国に真似のできないものになっている。
これはすごいことで、
この凄さが本当にわかってるのかなと思う。

映画ルックバックの凄さは
監督の押山清高さんがこれをやってること。
だから深く届くし響くんだと思う。

ルックバックに登場する藤野も京本も
お互いのひとりに憧れつながって、
それぞれにひとりを求めて別れた。
創ることは孤独で辛くてそして素晴らしい。

そんなふうに思わせてくれた映画でした。


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