自己肯定感が低いと思っていない事とポジティブの気づき

「自己肯定感が低い」と言われることがある
本人は自覚していなければ、逆に反発すら感じていた

「私なんて」とか少しも思ってないし、私は自分が好き。だから自己肯定感が低いなんて少しも思ってない。

ネガティヴと言われようが、それはある種の危機管理であって、役に立つし、ネガティヴを無理にポジティブに変換しようとしたところで、リバウンドが来る。だから、ポジティブに!って言ってる人の方が、ある種の呪いにかかってると心のどこかに反発心があった。
私の中のネガティヴを指摘し、ポジティブにって言ってくる人はハラスメントに近いものがあった。

そんなこんなで、私は自己肯定感とか他者容認だとかを乱用し、ポジティブだとかを口にする人が嫌い

こんな私に近頃、自己肯定感が低い自分の一面を認める出来事と、ポジティブを理解できることがあった。

自己肯定感が低いと認めた出来事は、ある賞をいただいたことにはじまる。日本一ということで(日本一というのは響きはすごいけど狭い範囲の日本一なら割となれる程度のもの)賞賛をいただいた。
私は褒められるのが嫌い。何とも言えない居心地の悪さとプレッシャーを感じる。情緒不安定になり、せっかく好調にマイペースを貫けているものが調子が崩す。
よって、他人からの評価は私にとっては「害」でしかないのだ。
しかし、これがキッカケで、はじめて自己肯定感が低いことに気がついた。
私は自分を卑下してもおらず、自分が好きである。
ただ、自分が自分だけを見ている世界では自己肯定感は下がることがないのだけど「社会」「他者」がそこに介入してくると自己肯定感が著しく低下する。
「評価」ということをされることを嫌うのは、他者との関わりの中では「自己肯定感」の安定が保ちにくなるからということ。
他者の評価が介入しない世界で安定を保っているので、良くとも悪くとも「評価される事」で、それが上昇することはなく、必ず下降する。私に他者容認は不要なのだ。
自己肯定感の高い人
「自分が存在しているだけですごい」と思っている人がこの世にはいて、その人たちとは、もはやスタート地点が違う。
100%からスタートする人は、上がる時は全てをエネルギーに変換し、下がる時も多少下がったところで拗らせない。
なんというハンデだろうか…
この違いが発生するのかは、多分、育つ過程の問題で、もうここまで人格形成が進んだら「私は存在してるだけで素敵」などと、心から思う事は難しい。それこそ、私が愛するネガティヴを否定する感覚で、無理矢理ポジティブ=嫌悪のループに入る。
自己肯定感の安定は、自分の評価に良くも悪くも「他者を介入させない」で成り立っている私の世界の話であるため、そんな簡単には変えられない。安定してるものを変化させる事な、大変勇気のいることである。
他者と関わるのであれば、自己肯定感の基本バックにオプションをつけて増量しなければならない…社会で生きると言うことは、他者との関わる事で、私を一人にはしてくれないから。
自分の仕事に集中させてくれて、放置してくれて、仕事を与えてくれるだけでいいのに、認めようとしてくれたり、良くしてくれようとしたり、関わろうとしてくれたり…
ありがたい事でバチが当たるけど、そういうのは、私には、しんどい。
ともあれ、自己肯定感が低い「一面)について気づけたことは、記録したおこう。

そして嫌いな「ポジティブ」を認める出来事。
私はポジティブ星人が嫌いで、ネガティヴを否定する人は「消えろ。」と心の中で思っている。
それほどまでに、ネガティヴは、私に最も恩恵を与えてくれる考え方だからだ。
危機回避。可能性は狭まるかもしれないけど、決して、後ろ向きではないので、有効活用できる。ネガティヴは埋蔵エネルギーだ。
無理をしてポジティブ変換する事が嫌いで、本当にポジティブ思考な人は「ポジティブに!」なんて言葉は使わない。本人は自覚してないから…
その言葉を使う人は、ネガティヴを頑張ってひっくり返そうとしていて、後でリバウンドして余計に拗らせるから、私はそれに巻き込まれるのが嫌い。
と言うことでこれまでポジティブを真っ向から否定してきたのだけど。
はじめてポジティブに頷く出来事があった

クレームを受ける時、私はただとにかく聞き流す。事実だけ抽出し、感情は受け取らない。
私を頷かせた人は、お客様に怒られ続けている時に
「お客様は無給で時間を使っているけど私の時間は有給」
と考えているらしい。
私は感動した。
お客さんの事実抽出だけではなく、自分の事実も抽出して今の場面をポジティブに捉えている。
何にフォーカスするのか…
自分の置かれている状況の自分のプラスも抽出。
悲惨な場面の中でも、事実を確実に取りこぼす事なく捉えるその思考は、私に学びをくれた。
場の空気に呑み込まれずに、全てを客観視しているその人は、私の数少ない正当な「ポジティブ」認定。
そして、ポジティブを受け入れてみようという「入り口」に私を立たせてくれた。
感謝と感動をここに記す。

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