「書くこと」と「走ること」:ランニングをやめた理由と、再開した理由。
1月8日。note更新8日目。
私は、毎朝ヨガをしているのだけど、今朝は四つん這いのポーズがとてもしんどかった……昨日のランニング中、思いっきり転んで、膝をケガしてしまったのだ。
暗くなった頃に走っていて、歩道のちょっとした段差に気づかずに……
ランニングタイツは無事だったものの、両膝に絆創膏を貼っていて、見た目も痛々しいし、傷もまだジンジンと痛い。
私とランニングとの付き合いは、もう10年ほどになる。
走りはじめたのは2013年。その後、フルマラソンを5回完走したり、それに飽きたらずトレイルランニングにまで手を出したり。
少し前から私を知っている方だと、以前は、会うたびに「よく走ってるね」と声をかけていただくくらいSNSのタイムラインは走った記録が主だった。
だけど、この2年ほどは、意図的に「走らない」を選択してきた。
忙しくてそれどころじゃなかったというのもあるのだけど、どうも前向きになれなかったのだ。
頭でも、体感的にも、ランニングの効果はよくわかっている。
有酸素運動は、脳の血流をアップさせ、集中力・記憶力を高める。
仕事の合間にランニングの時間をとると、ラン→シャワー後はまるで新しい1日が始まったかのようなリフレッシュ感がある。
あと、何より持久力がつくと、多少のことではへこたれなくなるし、何かあっても立ち直りが早くなる(レジリエンス)。30代後半のハードワークを乗り切れたのは、ランニングのおかげだと思うよ。本当に。
(少し前の本だけど、ランニングの効果を解き明かすにはこれがおすすめ)
ランニングの良さは、ものすごーーくわかっている。頭はもちろん、身体にも記憶されているはず。
だけど、なぜだろう?
ここ2年ほどは、ふしぎとやる気になれなかったのだ。
私は人の成長フェチで、自己探究はもはや趣味。
「これをやると、可能性をひらける」というものは、オーソドックスなもの(言語&思考を使ったセミナーの類)からちょっと怪しいものまで、いろいろ取り組んできたのだけど、特に大好物なのは、身体を使ったもの。
だから、ランニングやトレイルラン以外にも、いろんなものに取り組んできた。
ざっとあげると・・・
ヨガ、瞑想、坐禅、山伏修行、プロセスワーク、オーセンティックムーブメント、ダンスムーブメント、アフリカンダンス、古武術、クラニオセイクラルバイオダイナミクス、アレクサンダーテクニーク、ローゼンメソッド、オステオパシー、レイキ、ヒーリング、野口整体、漢方、アーユルヴェーダ、断食、ファスティング、菜食、ケトジェニック、催眠 などなど。
あとは、西洋医学的な手術(全身麻酔)も、とても興味深い経験だった。
こうした数々の身体を使ったアクティビティを体系化しようとする時に役に立つのが「INTEGRAL LIFE PRACTICE」。
「INTEGRAL LIFE PRACTICE」では、身体を3つの層に分けて考える。
それぞれの層に対応するアクティビティは、次の通り。
とはいえ、かなりざっくりとしたもので、たとえば「サトルボディ」と一口に言っても、その中身はさまざま。そして、中には本当に「怪しい」ものもあるので注意が必要でもある。
*より詳しくは、こちらの記事をご参考にしてください。
こうやって体系化してみると私がこの2年ほど「走ること」から遠ざかっていた理由が、少し見えてくる。
それ以前の私の身体へのアプローチは、物理的な身体、グロスボディがメインだった。ヨガや瞑想などもやっていたけれど、より物理的な身体に関心が向いていたと思う。
だけど、ここ数年は、一気にサトルボディのアクティビティの割合が増えていった。エネルギーとしての身体を充実することに、ずいぶん時間を使ってきた気がする。
そこにあったのは「物理的な、目に見える、手で触れる世界が全てじゃないのでは?」という直感めいたものだろうか。
怪しい!? エビデンスがない?!
でも、実際のところサトルボディにアプローチすることで、かなり身体が元気になったのだよ。以前は悩まされていた肩凝りはもうほとんど問題にならないし、睡眠の質も一気に向上した。直感力は高まり、何より人生に対する前向きさがアップした。
特にパワフルだと思ったのは、クラニオセイクラル・バイオダイナミクス。
これをサトルボディのアプローチと扱っていいかはわからないのだけど、
「5gのタッチ」と呼ばれる、とっても繊細なタッチで触れてもらうだけ(あとは何もしない)で、まるで細胞が入れ替わったかのように元気になる。
施術後は、世界がまるで違って見えることさえある。
サトルボディの、微細なアクティビティは、本当に奥深い。
この微細な身体が奥深すぎて、この感覚・世界観があまりにも心地よすぎて、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスのプラクティショナー養成コースに入るほど、どっぷりハマってしまった。
(身体の世界は、ほんと沼ですね……苦笑)
サトルボディのワークは、その人のエネルギーというか、感情よりもずっと深いところにあるもの、いのちと直接コンタクトをとっているような気がすることさえある。
ただ、その分、合わない人とは徹底的に合わなくて(苦笑)。
その合わなさ加減も、とても面白い。
……というわけで。
ここ数年はサトルボディの、ちょっと怪しく見えるけれど、とても深淵で奥深い世界に惹かれて浸かっていたのだけど、今、私は、グロスの物理的な身体を、もう一度鍛えなおしたいと思っている。
というのも、近ごろスタミナ不足を実感していて。
「いよいよ30代のランニング貯金が切れてきた……」
昨年11月に流行病になってからというもの、いよいよ認めざるを得なくなってきたわけで。
というのも「書く」とか「何かを生み出す」って、体力を要する作業だ。
村上春樹氏は「書く」ことを「フィジカルな営み」だと書いている。
ご存知の方も多いと思うけれど、村上春樹は小説家になって以来、ランニングを続けていて「走ること」についてのエッセイを書いている。
私なりの解釈も入るのだけど、「書く」とか「生み出す」作業って、未知なる世界(無意識を含んだサトルの世界)へと飛び込んでいき、そこで見つけたものを現実の世界(物理的なグロスの世界)にまで持って帰ってくる一連の営みのことではないだろうか。
「行って帰ってくるまでが遠足」
だから、飛び込んでいって、深淵なる世界を垣間見ることも大事だけど、戻ってきて、それを現実の世界のなかで形づくる力も、同じくらい(いや、それ以上に!?)大事なのだろう。
そうやっていろんな世界を行き来するときにベースになるのが「持続力」で、それは物理的な、フィジカルな身体の強さに支えられている。
「書く」「創造する」「生み出す」をもっと楽しむためにも、もっとゆたかにするためにも、フィジカルな身体をもっと充実させたい。
というわけで、私は年始にもう一つ目標を立てた。
「だいぶ鈍ってしまった身体(特にグロスの身体)を、もう一度鍛えます」
そして地道にランニングをしているのだが……
正直なところ、以前のもっと走れた時のイメージが残っているから、すぐに「ゼーハーゼーハー」と息があがってしまう不恰好な様は心地よいものではない。時々、転んだりもするし、転んだらめちゃくちゃ痛いのだけど……
でも、このままならなさが、愛おしい。
肉体的な身体ってやっぱりいい。
そんな愛しさが、より一層募る今日この頃です。