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「書く」ときに起きていること|「書く」プロセスを分解してみた。

1月19日。

「素潜り漁師 マサル」のyoutubeチャンネルが好きです。

このチャンネルは、根本的に趣味が合わないパートナーと私の、数少ない共通の趣味でもあるのだけど、つい先日「フエダイを仕留めて食べる動画」を観ていて「なるほどー」と思ったことがある。

素潜り漁では、魚を突いて獲物を仕留めるよりも、仕留めた魚を持ち帰るほうが大変なのだという。これを聞いた時「書くときと一緒かもしれない」と思ったのです。

(詳しくは、こちらの動画で)

「書く」プロセスを構造化すると、大体こんな感じだろうか。

一覧にしてみると、色々やってるね。

まず「書こう」と決めてデスクに座る(「書く」と決める)。
「なんとなくこんな感じのことを書こうかな」方向性・テーマを決める。方向性・テーマを手がかりに「あーでもない、こーでもない」と、自分を掘り下げていく。これは自分の棚卸のようなもので、過去のいろんなこと(体験、読んだ本、人から聞いた話などなど)を思い出すことでもある。あと、近くにある本を眺めたり、情報の海を漂ったり、SNSウォッチングしたり……をくり返していると、あらふしぎ。
「あっ、これだ!」と、大物のネタに出会う。
この段階になると「書こう」という決意が「これで書けるぞ!」という確信に変わる。

ここまでが左側の道で、素潜り漁でいうと「魚を突いて仕留める」までだろうか。

だけど、ここで終わりじゃないのです。

続いて、右側の道について(画像再掲)。

潜っていった先で「あっ、これだ!」と感じた「ネタ」を見つけると、すごく嬉しい。興奮するし「やったーーーー!!!」となる。

でも、その後で気づくのだ。
「このネタ、どうやって持ち帰ろうか」

魚ならば元気に泳ぎまわる様子が見えるけれど、書くときの「ネタ」ってもっとフワッとしている。それこそ言葉にするのが難しいエネルギーのようなもので、言葉になる前の感覚なんとなくしか表現できなけど確かにここにある何かとしか言いようがないこともある。

胸を打つような素晴らしいアートは、ここにある「何か」のエネルギーを減衰させることなく、結晶化したものなのかもしれないなぁ。

絵を描けたり、踊れたりしたら、エネルギー感をエネルギーのまま表現できたらいいのかもしれないけれど、残念ながら私にはそれができない。それに、いろんな人と分かち合うときに「言葉」って結構便利なものだ(万能ではないけれど)。

だから、生まれたてホヤホヤで、まだ形のない「何か」に、少しずつ形を、言葉を与えていく(言語化)。そうやって「それ」を語るのにしっくりくる「言葉」が出揃ってきたら、次は素材をもとに料理していく。トピックを整理したり、伝わりやすい流れをつくったり(構造化・組み立て)
ある程度の出来上がりが見えたら、その料理の魅力を届けられる方法(付け合わせを何にするか、どんな食器を使うか、どんなシチュエーションを用意するか(どこで食事をするか…などのコンテキスト))を考える。「書く」でいうと表現・キーワードを磨きあげたり、強弱・メリハリをつけたり、トンマナを調整したりといった感じ(表現を整える)。
そして、さいごのさいごで、きれいに盛り付けたり、お皿やテーブルの汚れを拭いたりしたら出来上がり! 誤字脱字をなおしたり、仕様にあう体裁に整える(完成させる)。

慣れてくると一度に複数のステップをこなしたり、サラッと通り過ぎることができる部分が増えてくるだろうけれど、基本はこんな流れを辿っているのでは?

……で、私がいちばん言いたかったのはここから。

素潜りでも、書く作業でも、左側の道って物語になりやすい

「書く作業」と「自己探究」は、ほぼイコールだと思うのだけど、自己探究の道で「リトリートに行って、ワークショップに行って、ボディワークを通じて、対話を通じて、ある時“ほんとうの自分“を取り戻した気がする」なんてところまでは、とても素敵な物語になる。

でも、右側の道って意外と地味で、地道なものなのです。
特に、自己探求にしても、書く作業にしても、「やること」は考えたり、机に向かったりすることがメインだから「獲れ高」を感じづらい。となると、精神的コストが大きくなる。

だけど、右側の道をとおらないと、素潜り漁も自己探究/書く作業も、誰とも分かち合えない独りよがりの自己満足な行為になってしまう。

いやはや「書く」って、なかなか大変な旅ですね。

「書けない」と悩む方は多いかもしれない。
私も正直、書くのは得意じゃないし、やらずに済むならやりたくないという想いは、今もどこかにある(誰かが書いたものを読むほうが好きだし)。

でも、そう考えながら「表現したい」とか「深くところにある想いをわかってほしい」と思ってしまうのも、人間の性(サガ)のようなもの。「いやだな〜」「面倒だな〜」と思いつつも、どこかで思いきり表現したいと望む自分もいるのです。

というわけで「表現してみたい」と感じながらも、うまくいっていない時、
「今、私はどこで立ち止まっているのか」を知るきっかけとして、こちらのプロセスを参考にしてみてはいかがでしょう?

本やブログ、noteから、SNSでの発信まで、いろんなケースで使えると思います。

【どこで立ち止まっているだろう?】

・「書く」と決めきれていない
漠然と「書きたい」「表現したい」と思ってはいるものの踏み出せずにいる。「まだ自分は書く準備ができていない」と感じる。

・「方向性」がつかめない
「書く」「表現する」とは決めたものの、何からやればいいのかがわからない。とっかかりがない。

・確信がもてない/試行錯誤の時間を十分にとれていない
「書きたい」「表現したい」と強く思っているけれど、これが私が表現すべきものなのか、いまいち確信がもてずにいる。私がわざわざ言うことじゃないかな、別の人がそのうち言ってくれるんじゃないかななどと思う。

・「これだ!!!」と思えるものは見つかったけれど、うまく言葉にならない
「伝えたいもの」はハッキリしているのに(自分のなかではわかっている)、いざ誰かと分かち合おうとしたとき、しっくりくる表現が見つからない。

・「伝えたいもの」ははっきりしているのだけど理解してもらえない
一生懸命伝えているつもりなのに「ポカーン」とされてしまう(ロジックが組み立てきれていないのかも)

・伝えるロジックはあるのだけど、どういうわけだか魅力が伝わらない 
「なるほど!」で終わる。「言いたいことはわかるけど……」「確かにそれは正論だけど……」など伝えても伝えても、相手の行動が変わらない

さて、いちばん当てはまると感じたのは、どの段階だろうか?

編集者の仕事の一つは、著者がどの段階でSTOPしているかを見極めて、その時々に必要な対処法をとっていくことでもある。だから「どこで立ち止まっているか」がわかると、何をすると良さそうがある程度見えている。

じゃあ、どんな対処をすればいい?!

これについては、別の機会にまとめます。

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柏原里美|編集者・ファシリテーター
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