「お後がよろしいようで。」という魔法の言葉
1月18日。
薄々気づいていたけれど、noteを毎日書くようになってよくわかった。
文章は書き始めることよりも、終わらせるほうが難しい。
私の場合、ほとんどはテーマを決めずに書き始める。書き始めるとどんどん「書きたいこと」が湧いてきて、どんどん楽しくなってくる。
ここまではいいのです。
だけど、途中で思うのだ。
「ああ、この文章、どこに着地させればいいのだろう」
そしてダラダラ、ダラダラと収まるところを探して迷走し、時間がどんどん過ぎていく……。なんてことが多々あって、最初は「15分」程度で書くつもりがnoteにかける時間がどんどん伸びてしまっている。
さて、どうしたものか。
そんなタイミングで手に取った本から引用する。
落語つながりで、もう一つ。
落語家さんがよく、高座を降りるときに使う「お後がよろしいようで」という言葉は「(寄席などで)次の演者さんの用意ができたようだから、私はここら辺で失礼してバトンタッチしますね」という意味のこと。
なんと、話にオチがついていなくても、この一言でその場を切り上げて、次の演者さんにバトンタッチすることもあるらしい。
この「場をつなぐ人だ」という感覚、すごくいいなと思う。
私がオチをつけなくてもいい。私は主役である必要もなく「次」へとつなぐ人であればいい。
「今日、書きたいことはこれ!」と事前に決めたことをサクッと書き切るでもいいだろうし、書いているうちに話が広がってしまったとしても「次」の何かの準備ができたら(仕事とか、メールとか、話しかける声がやってきたら)スパッと、この場を去るのもいいかもしれない。
そんな江戸っ子の粋を、少しでも取り入れられるといいな。
そんなわけで、今日もお後がよろしいようで。
(五代目 柳家小さんの「粗忽長屋」が大好きです)
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