亡くなった父のこと
6年前に亡くなった父のことを思い出した。
緩和ケア病棟ではなく、一般病棟で最後をむかえた父であったが、入院中はスタッフの皆さんに大変お世話になった。
そして父も同じく、私達家族もいろいろな思いを抱きながら、よく頑張ったと思う。
父は病床で、何を考えて過ごしいたのだろうか。
たまにベッドに座ったり、少し室内を歩いたりしていた。
そんな時、見舞いに行った私達の方が何故か、緊張し疲れていた。
ある日、父が私と二人の時に突然病室で
「何故、こんなことになったんだろう?」と一言。
後悔と不安の迷妄の世界にいたのだろうか。
その時、私は返す言葉がみつからなかった。
今、この空間で何ができるだろうか?
と自分に問いただした。
自宅に帰りながら、その答えを見つけたいと思ったが、見つからなかった。
夫に尋ねると
「ヨーガ療法すれば」
と簡単に私に言ってきた。
戸惑いもあったが、長年私なりに頑張って学んできたヨーガ療法。
ヨーガをするには道具も何もいらない、場所も年齢も選ばない。
いつでもどこでも出来る。
肉体から、そして徐々に内側に、そして記憶にアプローチ出来る回想法。
ヨーガ療法は、からだを通して心にまで働きかけることができる力を、わたし自身が身をもって体験してきた。
父に、心穏やかにそして次のステージに健やかに旅立ってもらいたいという願いも、私にはあった。
それは、いつか自分も同じような時が訪れるという思いがあったからだ。
旅立の時に持っていける智慧、今から魂を磨きあげたいという意識が、自然とこの瞬間から不思議と湧き上がってきた。
父は、数年前からわたしの手ほどきでヨーガ療法を実践していたので、入院中も1ポーズ程度ではあるが、自然に一緒に行なうようになっていた。
身体を動かしたくない時は、普通の会話の延長で回想法も取り入れてみた。
父の人生を10年ごとに区切って、楽しかったこと、思い出深いこと、ピンチを乗り越えたことなど、疲れない程度にいろいろと振り返り、話しを聞かせてもらいながら、記憶の整理を行っていった。
ある日の会話で、父が生き生きと話し始めた瞬間があった。
それは、父が甲子園球児だった頃のことや、学生時代に仲間と様々な活動をしていた頃のことである。
その時は、私も一緒にその場面を共有できたことがとても嬉しかった。
意外に、最近のことより幼少期から学生時代の頃皆んなで成し遂げた体験が記憶に残っていた。
父は、今まで人のために頑張って来た人生であった。
特に回想法を通して父自身、素の自分に戻れた瞬間だったのではないかと思った。
そんな父も、徐々にベッドに寝ている時間が増えてきた。
その頃は、仰向けの状態で、父の両足と私の両手で軽く押し合ったりするようなヨーガのエクササイズを行ってみた。
父も、なんとなく呼吸と動きが合ってきたように思えた。
最後の方はよく見ていた甲子園での高校野球放送、相撲も見なくなっていった。
亡くなる数時間前、私が父の足元から押して!と声かけすると、押し返す力は微力だったが、かすかに私の手を押し返してくれた。
心臓、肺が弱っていても、聴覚、足裏を通して魂は元気という思いが伝わってきた。
何故私は、旅立つ父を目の前にいつも通りの押合い運動をしたのか分からない.....
ただ父と私達家族が同じ時間、同じ空間を共有したい、一体化したい思いでの私の行動だったのかも知れない。
遺品として、父が通っていた高校の甲子園初出場アルバム、初甲子園で付けた3番のゼッケン、そして腕章が大切に保管されていた。
それを手にした時にあの時のあの話、あの場面、遺品から繋がってきて胸が熱くなってきた。
この、父と過ごした最期の機会は、わたしに深い学びの体験をもたらしてくれた。
これからも新しい学びを通して実践し社会貢献に繋げたいと思う。
そう、幸せは、あしもとから。
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