日記 2021年1月 拝啓、2022年1月15日にもゴキブリを怖がっているだろう僕へ。
1月某日(というか、13日)
1月13日、大阪、兵庫、京都の関西3府県に新型コロナウイルス対策の特別措置法に基づく、緊急事態宣言が出た。
大阪、兵庫、京都の3府県は来月の2月7日まで、飲食店などは営業時間を20時までにすることなどを要請し、通院や食料品の買い出しなど必要な場合をのぞく、不要不急の外出自粛なども要請。
そんな1月13日に出勤しても、朝礼で何か新しい話がある訳でもなく、粛々といつもと変わらぬ業務を行う一日だった。
夕方頃に隣の席にいる後輩の男の子がトイレへ行き、戻ってくると「うちの階のトイレが使用禁止になっていたんですよ。仕方なく別の階に行ってきました」と言った。
へぇと頷いたが、気に留めず仕事が終わった。
荷物を預けている休憩室へ行く際、確かに男子、女子トイレと給湯室にテープが張られて「使用禁止」となっていた。
「ね」と隣を歩いていた後輩の男の子がドヤ顔をした。
帰宅している最中にメールが届いた。
○○ビルディングご就業の皆様へ
当社の当センター○○階勤務者において、新型コロナウィルス陽性判定の方が確認された事をご報告いたします。
勤務されていた方は同じ階ではないけれど、同じ会社の方でミーティングなどでその○○階に行くことが時折あった。
陽性となった方の最終出勤日は12日で、判定したのは13日。
なるほど、と思ったのはメールの中に「当社専有部、休憩室、およびエレベーター、トイレ等のビル共用部につきましては、本日夜間に専門業者による消毒作業を予定しております」とあり、後輩の男の子がトイレに立った夕方頃に、陽性判定者から報告があって、トイレや給湯室を「使用禁止」にしたのだろう、ということだった。
つまり、僕らが会社を出る時には消毒作業はおこなわれていなかった。
コロナウィルスが物に付着して、いつまで効力を持つんだったか、と考えつつ、駅のトイレで丁寧に手を洗った。
電車に乗る時も人が少ない車両を選び、帰り際に寄るスーパーに入る際も消毒液をいつもより多めにつけ、手早く買い物をして部屋に戻った。
着ていた服を全て洗濯カゴに押し込んで、お風呂に入った。
翌日の14日は健康診断で有給を取っていたため、出勤する必要はないけれど、病院へ行く必要はある。
熱を測って平熱だと分かってから、ご飯を食べて、念の為に風邪薬を飲んだ。
健康診断へ行く前の日は22時から絶食しなければならず、その後に口にして良いのはお水とお茶だけだった。
なので、後輩の男の子や同期の女の子に僕は21時59分までは、酒を飲もうと思うんです、と訳の分からない宣言をしていて、言ったからには実行しなければと、ギリギリまで焼酎のソーダ割りを飲んだ。
1月某日(というか、14日)
職場の後輩の男の子に「郷倉さんって身長いくつですか?」と尋ねられて、「170㎝」と答えていた。
実際、以前に測った際は170㎝だったが、今回健康診断で測定すると169㎝代になっていた。ちょっとショックだった。
健康診断終わりに見かけた定食屋に入って、からあげとハムカツの定食を食べた。朝、何も食べていないことと血を抜かれた後だった為に、妙にお腹が空いていた。
ご飯がおかわり自由だと言うので、一度おかわりした。
緊急事態宣言も出ている訳だし、本来であれば定食屋には寄らず帰ろうと思うのだけれど、小山田浩子の「小さい午餐」というエッセイ連載を最近、初回から読んでいて、その影響だった。
「小さい午餐」はネットで読める、食に関するエッセイで著者の小山田浩子が住んでいる広島の定食屋さんやカフェ、ラーメン屋さんに行って食事をする、というもの。
小山田浩子と言えば、「工場」で第42回新潮新人賞を取り、その後に「穴」で第150回芥川龍之介賞を受賞。
書評家の豊崎由美いわく、傑作率100%の作家とラジオで紹介していた。僕個人としても純文学作家の中で、すごく好きな部類の方で、また同じ広島出身ということもあって、書かれる景色に少しだけ既視感がある。
とくに今回のエッセイ「小さい午餐」は、小山田浩子自身が今、広島に住んでいることもあって、周囲の会話を聞いているシーンで使われる広島弁は懐かしく、僕もそのお店の中にいるような錯覚に囚われることさえある。
なんとか、「小さい午餐」の大阪バージョンができないかな? と考えていたので、健康診断終わりに定食屋へ入ったのだけれど、緊急事態宣言後の定食屋でスタッフや仲間内で周囲に聞こえるほどのボリュームで喋るはずがなかった。
1月某日(というか、15日)
新型コロナウィルスが日本で初めて確認されたのが、2020年1月15日で丁度1年前だった、という記事を読む。
去年の15日、神奈川県に住む30代の男性が、国内で初めて感染確認された。
男性は、新型コロナウイルスの感染が広がっていた中国の湖北省武漢から帰国後、肺炎と診断された。
1年前に今の現状を想像できた人はいないと思うと、更に1年後の2022年の1月15日も誰も予想することはできないんだろう、と思う。
僕の人生はどうだろう。
分からない。
今の部屋に住んで、今と同じ職場に勤め、今年と変わらぬテンポで日記やエッセイを書いているんだろうか。
それはそれで幸せだろうけれど、せっかくなら何かを変えて行けたらとも思う。
ちなみに、1月15日は学生時代の友人の誕生日なのだけれど、一度大きな喧嘩?をしたことがあって、それからLINEのやりとりをしなくなった。
けど、毎年、1月15日が訪れる度に心の中で誕生日おめでとうと言っている。
いつもと変わらぬ仕事を終えてから、職場近くの本屋で文學界の2月号を買う。「創刊一〇〇〇号記念特大号」と銘打たれた文學界は今まで手に取った、文學界の中で一番の分厚さだった。
文芸誌の中で一番、分厚いのは僕が知る限りだと群像の2016年10月号で創刊70周年記念号「群像短編名作選」だった。ページ数で言うと、印刷されている最後の数字は804ページだった。
駅に行くと普段よりも人がいて驚く。
買い物の時間があって、いつもより遅いとは言え、混雑し過ぎている気がする。
20時以降、飲食店は開いていないため、真っ直ぐ帰る人が多いのかな? と思ったが、であるなら普段より満員になっている電車は密なのでは? と思う。
1月某日
志村貴子の「こいいじ」を読んでいると、印象的なシーンがあった。
奥さんが家に帰ると旦那さんがゴキブリを殺して、その処理ができずに、キャーキャー言っていた。そんな旦那の為に奥さんがゴキブリの死骸の処理をし、「百年の恋もさめる瞬間だったわ……」と言う。
その後に、奥さんが「子供できたよ」と報告し、旦那さんが「マジで!? え……てゆーか オレは妊婦にゴキブリを始末させたのか……」とショックを受ける。
そんな旦那さんに向かって、奥さんが以下のように続ける。
「あたしより (ゴキブリを)こわがっている人がいたら あたしが頑張るしかないじゃん
頑張れちゃうの スゴイなって 思ったの
だからソータくん(旦那さん)は これからもゴキブリに 会ったらキャーキャーしてていいよ
そういう 家庭が つくりたいです」
「どーゆー家庭だ」
と旦那さんはツッコんでいたけど、「そういう 家庭」が素敵なことは間違いない。
人って実は自分の為に頑張れるのって限界というか、理由を見つけておかないと迷子になるみたいな部分があって、そういう時に誰かが横にいると心強い気がする。
1月某日
コラムニストのジェーン・スーと恋バナ収集ユニット「桃山商事」の清田隆之の対談「“男が知らない男のあだ名”を作るのが無駄にうまい私たち」が面白かった。
清田隆之が「女の人って観察眼がまじ鋭利だなって感じることも多」く、その一つに女性が男性へつけるあだ名を挙げていた。
ジェーン・スーが、どうして女性があだ名をつけるのが上手いのかを以下のように語っていた。
自分自身を言語化する訓練をしたことがない、言語化する機会もない、しないでもやってこられる、それが下駄の1つでもある、という男性サイドと、なんでも言語化して、因数分解して自分の置かれた立場を把握してきた女性陣とでは、他者への観察力にも圧倒的な差が出るわけですね。
本当にその通りだなと思うと同時に、最近バカリズムの「架空OL日記」というドラマを見ていたことを思い出す。
原作は男性サイドのバカリズムで、話自体はOLの日常なのだけれど、この作品は異常に上司やコミュニティーに属する人へあだ名をつけるのが上手かった。
お笑い芸人という職業の人間は女性陣が日々おこなっている「なんでも言語化して、因数分解して自分の置かれた立場を把握」することを求められていたのだろう。
そう思うと、少しお笑い芸人を見る目が変わるし、学ぶべきことは多い。