
日記 2021年2月 「いずれは立ち去らなければならない場所」であなたに傷つけられる夜。
2月某日
Clubhouseなる音声チャットアプリが話題になっているけれど、それに背くように「Radiotalk」という無料の音声配信サービスを最近ずっと聞いている。
Radiotalkは既に録音されているものなので、自分の時間を使って聞くことができる。
幾つか聞いていくと、島本理生の小説を引き合いに出している方がいて、興味がそそられた。その方のラジオを続けて聞いた後に、ツイッターのアカウントがあると知って覗きにいった。そこで「高橋みなみと朝井リョウのラジオが終わるのつらすぎる」とあって、思考が停止する。
最近「高橋みなみと朝井リョウ ヨブンのこと」を聞けてなかったけど、え? 終わるの? と混乱する。
とりあえず、見間違いの可能性もあると思って一度寝る。
起きてから、まとめて「高橋みなみと朝井リョウ ヨブンのこと」を聞いた。
三月いっぱいで番組は終了とのこと。
朝井リョウが定期的にメディアに出る貴重なラジオだったな、と改めて思う。そんなことを思いながら、しばらく聞いていなかったんだから、本当に良くない。
最終回までは、毎週聞こうと心に決める。
2月某日
井上荒野の「夜を着る」を読む。
旅をテーマにした短編集で、基本的に行った先で幸せな体験をすることのない話が収録されている。
タイトルは以下になる。
アナーキー
映画的な子供
ヒッチハイク
終電は一時七分
I島の思い出
夜を着る
三日前の死
よそのひとの夏
最後の「よそのひとの夏」以外はすべてオール讀物に掲載されたものだった。
収録された作品を必ずしも関連付ける必要はないのだろうけれど、井上荒野のあとがきに印象的な一節があるので引用したい。
旅先は「よそ」だった。友だちの家よりも、お正月に訪ねる父の友だちの家よりも遠い「よそ」。よそでは何かが起きそうな気がする。何が起こっても、家に逃げ込むことはできない。
こわいのに、ひとたび来てしまった以上、そこは「いずれは立ち去らなければならない場所」にもなるのだった。私は、冬の浜辺に一艘だけ繋がれたボートや、人気のない露天風呂の窓辺に張り出した枯れ枝を、じっと見た。家に帰ったら、それらを見ることは、もう二度とない。ここへはもう二度と来れない。
「夜を着る」に収録された短編に登場する人たちは、望まず、あるいは思ったのと違った旅先で、もう二度と見れない光景を目の当たりにする。
それは必ずしも美しい訳でも、哲学的な意味がある訳でもない。
けれど、ここを立ち去れば、二度目はない。
そういう一瞬を切り取ったのが「夜を着る」という短編集で、写真や映像、あるいはエッセイでも切り取れない、短編小説だからできる一瞬の残し方だったと思う。
個人的に好きなのは、「ヒッチハイク」と「三日前の死」で、井上荒野の登場人物はどこか愛おしくなる愚かさがあって、そこでどうなる訳でもないけれど、自ら間違ってしまう人たち。
そういう人間のどうしようもなさって、僕の中にも当然あって、あるけれど、何かと言い訳して自分を正当化してしまっている気がする。
正当化せず、自分のどうしようもなさを認めれば、こんな小説が書けるようになるのかな。
そんなことを思っている時点で僕は井上荒野のような小説を書きたいみたいだ。
2月某日
文學界3月号がツイッターでちょっと話題になっているけれど、それはそれとして、収録内容が凄まじい。
まず、芥川賞を受賞した宇佐見りんの特別エッセイ「犬の建前」が載っており、対談に國分功一郎と若林正恭の「真犯人を探して生きている」がある。
どちらも最高で、給料日前だけれど買って良かったと満足だったのだけれど、そこに更に島本理生のエッセイ「私の身体を生きる」があって、歳を重ねたからこそ書ける内容だった。
一部、引用したい。
思春期を過ぎた頃から、発作的に激しい怒りをおぼえて、交際相手を極限まで責め立てることがあった。そして、それはかならず肉体関係のある異性に限られた。
中略
私には、私に触れた者なら傷つけてもいいというトリガーがあった。それは他でもなく、自分自身を傷つけられたからだ。
僕が島本理生を初めて読んだのは、デビュー作の「シルエット」で、その後に「あられもない祈り」を読んだ。個人的に「あられもない祈り」が衝撃的で、上手く言えないけれど、常に主人公を通して痛みが伝わってくるような小説だった。
今回のエッセイは血を吐くような苦しみの中で、自分の人生を振り返って、自らの身体を取り戻そうと試みている。
「若い女」と言うだけで、これだけ多くのものが奪われるのか、と思うとぞっとする。
僕は男で、女性からすれば当たり前のことを、本当に知らないんだなと思うし、知ろうとしてこなかったんだと、恥ずかしくなる。
無知は恥ずかしいことだって、何度も繰り返し分かったつもりでいるけれど、やっぱりそれは「つもり」で、結局は無知の中に僕はいる。
多分、死ぬまで無知な部分はなくならないんだろうけれど、せめて無知だと言う自覚は持って生きたいと思う。
2月某日
最近、気づいたこと。
浅井ラボがツイッターに以下のような呟きをしていた。
文章を書くとか上手い下手の以前に、文章を読む態度と技術みたいなものがないと、どーしよーもねーと思う。
ちょっと、ドキッとしてしまう。
最近、気づいたこと。
毎晩更新されているか確認しにいくブログがあるんだけれど、最近は頻繁に更新されていて嬉しい。
最近、気づいたこと。
筋トレをしながら、毎回「日向坂で会いましょう」というオードリーがMCの日向坂46の番組を流している。
そろそろ推しを決めて見る、というようなことをすべなのか、と悩んでいる。
最近、気づいたこと。
呪術廻戦のアニメを毎週見ている。
丁度、最新話にあたる第17話の「京都姉妹校交流会-団体戦(3)-」で禪院真希と禪院真依の姉妹の戦いが描かれている。
元々、呪術廻戦の作者、芥見下々は「BLEACH」の影響を強く受けている、と言っているらしい、と知って、それを前提に見ると確かにと頷けるところはある。
最新話は「BLEACH」の夜一と砕蜂っぽいやりとりだな、とも思った。ただ、呪術廻戦の方が現実の息苦しさ、現実社会の鏡みたいなものが、ちゃんと取り入れられているな、と感じる。
最近、気づいたこと。
前の職場の上司が突然、LINEしてきて「博多に転勤になった」と報告してきてくれた。
え? 今? と思うも、「おめでとうございます、って言って良いんですかね?」と返信し、いつ行くのか聞くと「3月15日」と返ってきて、急じゃね?となる。
2月某日
土曜日で昼過ぎに起きて、映画「寝ても覚めても」を観て、お風呂に入って青山七恵の「かけら」を読んで、ハイボールを作ってから、カレー作りを始めた。
毎週水曜日に更新しているカクヨムのエッセイの内容を考えていたら、廊下から叫び声と共に何かが激しくぶつかった音がした。
扉は開けず、外の様子を窺ってみると、どうも廊下で誰かが喧嘩をしているようだ。一人は隣人で、誰かに向かって「もうパチンコやめろ!」と叫んでいた。
隣人とその誰かの言い争いは激化していき、繰り返し何かが激しくぶつかる音が響く。
おそらく、ドアを殴っているんだろう。
一応、なんか分からないけれど、やばい音がしたら割って入りに行くべきなんかなぁ、と思いつつカレーを作った。
ハイボールが三杯目に差し掛かったころに、言い争いは決着したようで、静かになった。
2月某日
カレーが続く際は如何なるアレンジをするか、ということに命をかける。
四日ほど続いた今回はカツカレーじゃい、とテンションが上がって、前の職場の男四人のグループLINEに写真を送る。
すると、一人から電話がきた。
カツは全部食べているけれど、完食はできていなかった。
まぁいいか、と思って電話に出る。
「あのさ、報告があるんだけど」
と言われて、「なにー」とのんびり聞く。
「俺、彼女が出来たんだよね。なんか、さとくらに言っておかないと、後で永遠いじってくる気がしてさ。ほら、俺が昔、彼女からもらったハンバーガーのスマホケース使ってたの、今でもいじってくんの、さとくらだけじゃん」
うーん、これはカレー食べながら聞いて良い話だと判断して、「うん、うん」聞きながら残ったカレーを片づける。
友人よ。
報告して来ようと来なかろうと、いじる時はいじるよ、僕。
ちなみに、この友人は一時期、レンタル彼女にハマっていて、そんな彼女に一緒に住もうと言って断られていた。
その後の飲み会は地獄のようでしたよ。
そんな彼にも彼女ができたかぁ。
おめでとう!
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