舞台「夜は短し歩けよ乙女」という幽霊を見た日。
舞台「夜は短し歩けよ乙女」を見に行った。
原作は森見登美彦で、脚本・演出を劇団「ヨーロッパ企画」の上田誠。
劇団「ヨーロッパ企画」は昔から気になっていた。
「サマータイムマシン・ブルース」に「曲がれ!スプーン」と映画化したものは面白く見ていたし、好きなラジオ番組「佐久間宣行のオールナイトニッポン0」でゲストに上田誠が登場した回も楽しく聞いた。
劇団「ヨーロッパ企画」には、わくわくさせてくれる想像の余白みたいなものがあって、僕はそういう部分に惹かれていた。
好きであることは間違いないけれど、舞台を見に行っていないので劇団「ヨーロッパ企画」を好きと堂々と言うのは憚れる、というような不純な理由もあって「夜は短し歩けよ乙女」の舞台を見に行くことを決めた。
「夜は短し歩けよ乙女」はもちろん好きだし、2020年に出版した「四畳半タイムマシンブルース」は上田誠が原作の「サマータイムマシン・ブルース」を下敷きに書かれた、というのも知っていた。
舞台「夜は短し歩けよ乙女」を見に行くことは、森見登美彦と上田誠のコラボレーションや今後の展開を追って行く上でも、一つの指標になる云々。
詰まる所、僕は一つの舞台を見に行くのに、あらゆる理由を総動員したのだった。その中に少なからずコロナというキーワードも挟み込まれる。
けれど、そんな小賢しい理由の積木を一瞬で崩壊させるほど、生の舞台は迫力があった。
総じて原作通りの展開がなされるのだけれど、舞台だからできるメタ発言や音楽を使ったリズミカルな展開、二つのシーンを舞台上で同時に展開してみたりと、小説では決してできない工夫に満ち溢れていて、とても刺激的だった。
ちなみに、あらすじは以下のようなもの。
京都の大学で同じクラブの先輩と後輩。先輩は後輩の「黒髪の乙女」に恋をする。 そして「ナカメ作戦」を決行!「先輩、奇遇ですね…」「たまたま通りかかったものだから…」そう、ナカメ作戦とは 「なるべくかのじょの目に留まるようにする作戦」のこと。 しかし「黒髪の乙女」は先輩の想いに気づかず、先輩の一方的な片想い。ある時クラブOBの結婚式があり、お祝いの席に2人も参加する。「黒髪の乙女」は飲み足りず夜の先斗町に繰り出し、先輩も後を追うが見失ってしまう。 この後、2人は様々な場所で様々な人々や不思議で奇妙な出来事に遭遇する。そんな不思議で奇妙な一夜を先輩と過ごし「黒髪の乙女」の心にも少しずつ変化が起きて――
このOBの結婚式後の夜の先斗町を「黒髪の乙女」がお酒を求めて歩く話が、本当に上手くまとまっていて、実はこれで終わっても満足なくらいセットや小道具は凝っていたし、話としてもまとまりが良かった。
原作も連作短編集のような作りだったな、と改めて思い至ったが、この夜の先斗町の話がなければ、後の話が続く感じがない。
あらすじにもある通り、先斗町で「不思議で奇妙な一夜」を「黒髪の乙女」は過ごしており、彼女だけが実は不思議な世界へと足を踏み入れていて、そんな彼女を追う先輩は「不思議で奇妙な」場所へ入れてはいない。
先輩が「不思議で奇妙な」へと足を踏み入れるのは、その後の古本市でのことだった。
「夜は短し歩けよ乙女」という作品そのものが、先に行ってしまうの女の子と、それを追う男の子の物語で、最終話で先輩が風邪をひいて倒れれて(追いかけられなくなって)、ようやく「黒髪の乙女」が先輩の存在に気づき、逆に彼の元(つまり現実?)へと歩み寄ることができた。
そういう意味では「黒髪の乙女」が非現実で、先輩は常に現実的な存在だったな、という印象もある。
さて、せっかくの舞台なので、演じられた方についても語りたい。
「先輩」役の中村壱太郎。
観終った後に調べると「歌舞伎の次代を担う女形のホープ」らしく、女性的な演技が評価されている方なんだ、というざっくりとした認識を持ったが、舞台の上での「先輩」は本当にそのまま、という感じだった。
ちなみに、「夜は短し歩けよ乙女」のアニメ版の「先輩」の声は星野源で悪くはないけれど、少しインテリ的というか、知的な印象を持つ「先輩」になっていた。
それに比べて、中村壱太郎の「先輩」は本当に詭弁を並べ立てる声と演技で、情けないけど若さと勢いで、押し通す感じが素晴しかった。
続いて、黒髪の乙女が乃木坂46の久保史緒里。
何かの記事で乃木坂46というグループは歌と同時に演じることにも重きを置いている、というような内容を読んだ記憶があった。実際、「じょしらく」や「美少女戦士セーラームーン」の主要キャストを乃木坂46が演じるというような催しをやっていたりもした。
そんな訳で久保史緒里は初の主演とは言え、舞台に立った経験はあり、他のキャストと遜色ない演技だった。
とくに「夜は短し歩けよ乙女」の肝になる、黒髪の乙女が夜を歩くシーンなどが音楽劇的な演出が採用されているのだが、歌うように情景を説明して行くリズムが心地良かった。
上田誠いわく久保史緒里は教えたフリを0秒で覚える天才だったらしい。今後、久保史緒里の出演するドラマ、映画はチェックしたいと本気で思っている。
最後に、京都を支配している神様のような存在の李白を演じた、竹中直人。
バケモノかな? と思うくらいの存在感だった。黒髪の乙女がそうするように、李白も踊って歌うシーンがあるのだけれど、キレ良く、台詞もリズミカルで聞き取りやすいので素晴しい以外になかった。
他の役者も当たり前だけれど、素晴しくてキャラクターを掴んで、ちゃんと自分の中に存在させている。
ゲンロン5の特集が「幽霊的身体」で、演劇の身体は幽霊的だと語られている。
俳優はいまここにある舞台で演技をする。しかしそれは、いまここにないものを召喚するためである。俳優がいまここには存在しない。
物語とは一般に、いまここにないものを召喚する語りのことである。
舞台で演じている俳優はいても、そこにいると僕が思っているキャラクターは存在しない。存在しないものを目撃することを「幽霊を見る」と言うのであれば、僕は今回はじめて、舞台を見に行き、同時に幽霊をも見たことになるのかも知れない。
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