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2021年さとくらが触れたコンテンツ総まとめ。

 今回が今年最後のエッセイです(日記はまた、別でおそらく更新します)。
 2021年は半年エッセイをお休みしたり、郷倉四季(カクヨム内の名前)と名乗るのを止めたりしましたが、それでも今これを読んでくださっている方に心からの感謝を。
 本当にありがとうございます。
 来年の5月まではエッセイを続けますので、よろしければお付き合い頂ければ幸いです。

 せっかく今年最後のエッセイなので「2021年さとくらが触れたコンテンツ総まとめ」な内容を書こうかと思います。
 誰が興味あるんだよって話でもあるんですけど、有益な内容に努めますので、最後まで読んでいただければ幸いです。

 まず、大前提として2021年もコロナの年でした。と同時に僕は三十代突入の年でもありました。
 三十歳になって、「さて、僕はどんな大人になるんだろ?」と考えていく今この瞬間にウィルスが世界を覆って、以前の社会とは別の原理が支配してしまっていました。

 僕みたいな人間でも十代、二十代にはこんな大人になりたいと言う理想めいたものを持っていました。
 けど、理想って結局良いことだけを想像しているので、何の役にも立たないんですよね。現実を生きるのは今の僕で、過去の僕ではないんですよ。
 当たり前のことですけど。

 なので、過去の僕の意思や理想は理解しながらも、決して尊重はしない。
 改めて考えてみても、過去の僕は愚かで貧しい人間ですしね。そういう理解は当時からあって、だからこそ、本や知識を持ってマシな人間になりたいと思い続けているんですよね。

 じゃあ、この一年に触れたコンテンツで僕は多少なり豊かで賢い人間になれたのか。
 それを、今から紹介するコンテンツで推し量ってみたいと思います。

・文學界のリレーエッセイ「私の身体を生きる」。

 島本理生村田沙耶香西加奈子といった女性作家たちの「自らの身体と性と向き合う事をテーマにした」リレーエッセイ。
 身体と性と真摯に向き合ったら、それは同時に生きることについての内容になっていて、女性が読んで刺さるのは当然としても、三十歳になった男性の僕が刺さりまくるから、全人類に読んでもらいたい。

 とはいえ、まだ文學界の雑誌内でしか読めないので、図書館などでバックナンバーを探してもらう必要があるのだけれど、その手間を差し引いても読んで良いリレーエッセイです。

 とくに西加奈子の回は被害者でありながら、加害者側に回ってしまう人間の弱さに対して真摯に語られていて、頬をぶん殴られるような衝撃がありました。
 西加奈子の回が載っているのは「文學界 2021年6月号」です。

・大前粟生「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」。

 やさしい人っていますよね?
 誰にでも親切で、相手の気持ちを考えて、日々色んなことに気を使って他人を傷つけず嫌われないよう振る舞う、やさしい人。
 そういう人を僕は心から尊敬します。
 だって、絶対に疲れるし、無理がでる生き方だし、それが当然って周りから認知されたら、褒められることもなくなっていくんですよ? いやいや、きついって!

 そんな苦しさや虚しさを「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」のぬいぐるみ部の人たちは、「ぬいぐるみ」という聞いた相手が共感して辛くもならない相手に愚痴るって、「優しさ」レベル高すぎる。
 また主人公の男の子、七森の性に対する感覚というか、異性との接し方が令和的というか、こういうバランス感覚で生きている大学生は絶対にいる! いて絶対に良い子なんだよ! となること必至です。

 山田詠美が「ぼくは勉強ができない」を書きながら、こんな男の子がいたら、イチコロだよって思いながら書いたってエピソードがあるけど、恋愛に疲れた女の子とかが「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」を読んで、七森の優しさに触れたらイチコロなんじゃないかな?

・津原やすみ「恋するマスク警察」。

 真面目な人って損をするんですよ。
 それはコロナ禍というウィルスが蔓延し、緊急事態宣言が発令された世界でも変わらずです。というか、より損をさせられているのが真面目な人だったりするんでしょうね。

恋するマスク警察」の主人公の女の子はマスク委員なるものを押しつけられていて、同級生から「マスク警察」なんて揶揄されています。
 しかも父親が実は非正規雇用で雇い止めに遭っていて、母親が仕事を探し始めてはいるけれど、弟もいて進学できるか分からない、という瀬戸際。

 とにかく、コロナ禍の不幸をとことん背負いこまされた、そんな主人公の心の拠り所は電車で見かける「エゴン」さんという自作の絵をマスクに描いている人なんです。
 この「エゴン」さんのマスクの絵は毎回違って、その芸術性に主人公は魅了され、それをスマホで隠し撮りすることが一日の楽しみになっていくんですね。

 コロナ禍であっても、あるいは、コロナ禍だからこそ、芸術は人の心を癒すって言う展開は素晴しいし、安易な希望は示さないけど、終わりのコロナ禍という理不尽に勇気を持って戦ったことを残すことこそが芸術だろう! はその通りじゃん、と同意する他ありません。

 真面目だからってあらゆる面倒事を押しつけられ、誰も悪くないはずなのに、不幸の崖へと落とされ続ける青春を超えた全ての人が、大人になって「恋するマスク警察」に辿り着いたら、涙なく読めないんじゃないかな。
 まじで、コロナ禍で青春を理不尽にされた全ての人が読むべき一編って感じです。

 とはいえ、「少女文学 第四号」という通販でしか購入できない文芸誌に掲載されているので、本屋で偶然とかって言うのが難しい一編なんでけどね。

・岩井俊二「番犬は庭を守る」。

 さぁ男性諸君。
 一緒に絶望しましょう。

番犬は庭を守る」を読んで、ここで語られる主人公、ウマソーになりたいと思う人は誰もいないでしょう。
 だって、本当に何も良いことが起きませんから。

 いや、けど、クソほど面白いので読むけどね。
 って意味分からないキレ方をすること必至です。

 絶望って最初から良いことが起こらないのではなくて、良いことが起こりそうな兆しがあった後の不幸なんですよね。
 そういう意味で、ウマソーは何度、上げて落とされたことか……。

 ウマソーの絶望の根幹は世界と密接に繋がっているんです。「番犬は庭を守る」の世界は原子力発電所が爆発し、放射能汚染によって、生まれて来る一部の男の子の性器が育たない。
 小説内で、そんなセックスのできない不幸な子どもたちは「小便小僧」と呼ばれます。

 けど、セックスができないだけと言えば、それだけじゃんとも言えるんですが、最近「鹿島茂×東浩紀「無料の誕生と19世紀パリの魅力」【『ゲンロン12』刊行記念】」という放送を見ていて、以下のような言葉にぶつかったんです。

 吉本隆明は家族の定義を「性をもとにして結ばれた男と女の最小限の共同体」としている。

 つまり、性の結びつきがなければ、家族という共同体として数えることができない。
 吉本隆明を引き合いにだしたのは鹿島茂で、フランス文学者なのだけれど、彼の語る「無料の誕生と19世紀パリの魅力」はむちゃくちゃ知的で、面白いので、ぜひ放送を見て欲しいです(シラスというプラットフォームに登録する必要はあるけれど)。

 話を戻して、「性をもとにして結ばれた男と女の最小限の共同体」が家族であるとするなら、「番犬は庭を守る」のウマソーは家族を作ることはできません。
 タイトルにもある通り、家族を守る「番犬」にウマソーはなれても、家族という「共同体」に入れないことが最初から決まっています。

 そんなウマソーの絶望の連続の先に岩井俊二が「番犬は庭を守る」の世界観だからこその希望を一つ提示して、この物語は閉じます。
 ラストの希望と言える一行を読むだけでも、この小説に価値はあります。

・まとめ。

 さて、などとキーワードごとに幾つか書いて行こうと思っていたのですが、まとまりがなくなるのが目に見えていたので、ここからは少々長い「まとめ」を書かせていただきます。

 ちなみに今、僕の横にはワインとコカコーラを加えて温めたものがあります。レモンも添えていて、ちょっとお洒落です。
 ワインが苦手だと思っていたんですが、ホットワインとコカコーラの組み合わせは無限に飲めるほど美味しい上に、身体が暖まります。
 この後、洗濯物を干さないといけないので有難いです。

 今年はコロナの関係もあって、丁寧な生活を送りたいと思うようになった一年でもありました。三十歳にもなった訳ですしね。
 二十代のいつ頃だったか定かではないんですが、年相応でいたいと願うようになって、その時にしか経験できないことにちゃんと向き合おうと意識していました。

 無理して大人にならない、ということなんでしょう。
 けど、実は無理した方が楽な時もあったなと今になって感じる部分もあります。
 何かに失敗しても、「いやいや、僕無理してたから」って思える訳ですし。

 僕は良くも悪くも自分に言い訳ができない生活を送っているような気がします。
 例えば、この後、洗濯物を干さなければ数日後に困るのは僕です。洗濯物は絶対にしないといけないことですが、しなくても別に困らないものって結構あります。
 それが料理とか毎日のお風呂とかの丁寧さなんですよね。

 料理をせず外食や出来あいの惣菜を買っても問題はないんですけど、その分、お金と健康は損なわれる。お風呂もやっぱり身体を休める為にはお湯を張って浸かった方が良い。

 そういう生活の細かさは地味で別に誰かが褒めてくれる訳でもありません。
 丁寧な生活は当然ですが、時間も手間もかかります。
 その時間と手間を別の、例えば小説やエッセイを書く、に回せば良いと二十代の僕は考えていました。

 三十歳になったから言えますけど、それは間違っているんですよね。少なくとも僕にとっては。
 小説を書く為に生きている訳ではなくて、生きているから小説を書きたい訳です。

 この「生きていること」を疎かにして、良い小説が書ける訳ないんですよ。だから、2021年を通して、僕が学び取ったものは「生きていること」を疎かにしない、だったように思います。
 月並みな言葉ですが、来年も生きることを疎かにせず、日々を過ごしたいと思います。

 そういえば、2021年は3.11から丁度10年の年でした。2011年から十年の今年、世界的なパンデミックに襲われるとは、当時の誰も想像はしていなかったでしょう。
 世界や社会が良い方向に進んでいくのか分かりませんが、生きること自体はどうしたってしんどいものです。それでも、共に生きていきましょう。
 ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

・以下、おまけ。

 2021年にさとくら触れて面白かった作品。

■米澤穂信「さよなら妖精」(小説)
■小山田浩子「はね」(小説)
■井上荒野「夜を着る」(小説)
■彩瀬まる「朝が来るまでそばにいる」(小説)
■村田沙耶香「殺人出産」(小説)
■呪術廻戦(アニメ・漫画)
■多和田葉子「献灯使」(小説)
■「ヒミズ」(映画)
■彩瀬まる「暗い夜、星を数えて―3.11被災鉄道からの脱出―」(ルポタージュ)
■「窮鼠はチーズの夢を見る」(映画)
■「Dr.STONE」(アニメ)
■岩井俊二「番犬は庭を守る」(小説)
■坂木司「肉小説集」(小説)
■「シン・エヴァンゲリオン」(映画)
■「あの頃。」(映画)
■大山顕「新写真論: スマホと顔」(エッセイ)
■「MIU404」(ドラマ)
■コナリミサト「珈琲いかがでしょう」(漫画)
■「初恋」(映画)
■「新米姉妹のふたりごはん」(ドラマ)
■「コントが始まる」(ドラマ)
■「夜は短し歩けよ乙女」(舞台)
■小山田浩子「点点」(小説)
■「ブラック・ウィドウ」(映画)
■「ザ・ボーイズ」(ドラマ)
■藤本タツキ「ルックバック」(漫画)
■「生きるとか死ぬとか父親とか」(ドラマ)
■津原やすみ「恋するマスク警察」(小説)
■文學界「私の身体を生きる」(エッセイ)
■アイネクライネナハトムジーク(映画)
■ジョージ朝倉「ハートを打ちのめせ!」(漫画)
■「THE GUILTY/ギルティ」(映画)
■オッドタクシー(アニメ)
■黒木渚「げんざい」(小説)
■こだま「ここは、おしまいの地」(エッセイ)
■星野源「そして生活はつづく」(エッセイ)
■ハヤカワノジコ「えんどうくんの観察日記」(漫画)
■「小林さんちのメイドラゴンS」(アニメ)
■「僕のヒーローアカデミア 5期」(アニメ)
■「乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…X」(アニメ)
■「平穏世代の韋駄天達」(アニメ)
■「ザ・ハント」(映画)
■「東京リベンジャーズ」(アニメ・映画・漫画)
■「竜とそばかすの姫」(映画)
■「劇場版「鬼滅の刃」無限列車編」(映画)
■島本理生「2020年の恋人たち」(小説)
■金原ひとみ「デクリネゾン」(小説)
■芦原妃名子「Bread & Butter」(漫画)
■「シャン・チー/テン・リングスの伝説」(映画)
■川上弘美「パスタマシーンの幽霊」(小説)
■「カーニバル・ロウ」(ドラマ)
■溝口彰子「BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす」(評論)
■ミランダ・ジュライ「いちばんここに似合う人」(小説)
■松田青子『おばちゃんたちのいるところ――Where The Wild Ladies Are』(小説)
■「エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY」(ドラマ)
■谷崎潤一郎『春琴抄』(小説)

 ※11月までのnoteの日記に挙げていた作品の羅列で、順番に意味はありません。

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