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日記 2020年12月 「きれいにからっぽ」な僕は絵の代わりに小説やエッセイを書いている。

 12月某日

 今年もあと少しで終わるとなると、職場での会話もまとめに入ってきていて、「今年はどんな年だった?」「来年の干支ってなんだっけ?」「来年の目標、決めた?」「最近、篠原涼子の『恋しさと せつなさと 心強さと』が流れてきて、懐かしかった」というような話題が行き交う。

 去年と違っていることは僕の「毎週、忘年会でまじで死にそうです。肝臓がやばいです。水はめっちゃ飲んできたんですけど、え? 目、赤いですか? 4時間しか寝てないんですよね」というような発言がないことだった。
 最近は深夜の1時には寝て、お酒を飲むにしてもハイボールを3杯くらいで終わる。

 けれど、最近、母様が「いらないパーカーがあるんだけど、いる?」と言ってきて、「あ、うん、いる」と答えたところ、送られてきた厚めのパーカー4着。
 それに紛れるように収められた日本酒、年末年始はこの日本酒で酔っ払おうと思う。

 年末年始は本決まりではないが、7連休になりそうだ。
 一年を振り返っても、それほど休めることはないので今から楽しみ。

 12月某日

 村上春樹の好きな短編ランキングをつけるとしたら、何を選ぶかな? と考える。

 僕がはじめて読んだ村上春樹の短編集は「神の子どもはみな踊る」で、高校一年生の頃だった。

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 目次の後に二つの言葉が引用されていた。

「リーザ、きのうはいったい何があったんだろう?」
「あったことがあったのよ」
「それはひどい。それは残酷だ!」
 
             ドストエフスキー『悪霊』(江川卓訳)
〈ラジオのニュース〉米軍も多大の戦死者を出しましたが、ヴェトコン側も一一五人戦死しました。
女「無名って恐ろしいわね」
男「なんだって」
女「ゲリラが一一五名というだけでは何も分からないわ。一人ひとりのことは何もわからないままよ。妻や子供がいたのか? 芝居より映画の方が好きだったのか? まるでわからない。ただ一一五人戦死というだけ」
 
             ジャン・リュック・ゴダール『気狂いピエロ』

神の子どもはみな踊る」は阪神淡路大震災後に書かれた短編集で、この二つの言葉も、それに関係しているんだと知ったのは、はじめて読んだ日から数年が経った頃だった。

 高校一年生の「神の子どもはみな踊る」と阪神淡路大震災が結びついていない頃の僕がもっとも惹かれた一編は「アイロンのある風景」だった。
 自分の中は「きれいにからっぽ」なんだと語る順子と冷蔵庫に閉じ込められて「狭いところで、真っ暗な中で、ちょっとずつちょっとずつ死んでいくんや」という夢に怯える三宅さんがたき火を眺める話。

 今回、改めて読み返してみると「ジャック・ロンドン」の『たき火』と彼の死に方(モルヒネを飲んでの自殺)を引用しつつ、「私はこの人と一緒に生きることはできないだろうと順子は思った。私がこの人の心の中に入っていくことはできそうにないから。でも一緒に死ぬことならできるかも知れない。」とたき火が終わったら二人で死のうと相談し、順子が途中で眠ってしまって「アイロンのある風景」は終わる。

 高校一年生の僕は二人は本当に死んだのだろうか、とずっと考えていた。
 答えがでた記憶はないけれど、たき火を焚くのが上手い40代くらいの三宅さんについて考えていると、昔近所に住んでいたおじいちゃんが浮かんできていたことを思い出す。

 近所に住んでいたおじいちゃんは油絵で風景画を描いていて、それを見つけると僕は遊びの途中でも、立ち止まって眺めていた。
 多分、僕は小学生の低学年くらいで何を思って、おじいちゃんの油絵を眺めていたのかは覚えていない。
 けれど、おそらく珍しかったのだろう。

 毎回、じっとおじいちゃんの後ろでじっと眺めている小学校低学年に対し、何を思ったのかは知らないけれど、おじいちゃんはある日「他の絵も見るか?」と聞かれ、僕は頷いた。
 誘われるまま、おじいちゃんの家に上がり込み、彼が書いたと言うスケッチブックを見せてもらった。

 それが全部、女性の裸体だった。
 まだ十歳そこらの子どもに、そんなもん見せるな、と今なら思うし、当時の僕も反応に困ったことは覚えている。
 ただ、どんなに考えても、嫌な感じだった記憶はない。

 よく分からないけれど、僕はこのおじいちゃんと「アイロンのある風景」の三宅さんが繋がる。
 だからなのか、自分の中は「きれいにからっぽ」なんだと語る順子の気持ちがすごく分かる気がする。

 今でも、僕は「きれいにからっぽ」で、それに気付かれないように必死に知識や物語を僕は摂取しているんだろう。

 そういえば、Askew(あすきゅー)さん、というカクヨムでエッセイや小説を書かれている方が、最近ツイキャスをはじめていて、その中で「人見知りだからこそ、人見知りに見られないように振る舞う」という話をしていた。

 僕は中身が空っぽだから、小説やエッセイを書いて空っぽに気付かれないように振る舞っている。
 なんだか、そんな気がしてきた。

 他の短編については、また別の機会に考えよう。
 また、まったく関係ない脈略だが、メロンパンは好きで昔デッサン教室に通っていた頃に、よく食べていた。
 好きだし、今も時々食べたくなる。

 そう言えば、そうだった。
 僕はあの油絵のおじいちゃんに影響を受けたのか分からないけれど、中学二年の終わりからデッサン教室に通っていた。

 12月某日

 最近、気づいたこと。
 前回の日記で「アイロンのある風景」の三宅さんに触れて、そういえば、書評家に三宅香帆という方がいると気づく。
 僕は三宅香帆の書評が結構好きで、「Radiotalk」なるアプリで「三宅香帆のコンテンツ日記」というラジオもしていて、面白く聞いている。
 最近、ツイッターで以下のように呟いていて、なるほどと思った。

ふと欅坂について考えてたんだけど、結局、欅坂の歌詞が戦っていたものって、ずーーーっと、日本の同調圧力の話だったよねえ。同調圧力に負けるな、負けそう、でも嫌だ、って。めちゃ日本文学の伝統的テーマだよなあ。その歌詞にいまだに若い人が熱狂するって、ほんと、変わってないんだなあ。

 最近、気づいたこと。
 ツイッターつながりで、作家で評論家の樋口恭介が以下のようなことをつぶやいていた。

(クレヨンしんちゃんの映画)オトナ帝国って大人をやめた組織なので、内実はコドモ帝国だし、『オトナ帝国の逆襲』においては子供たちのほうが「大人=規範的で官僚的」なふるまいをする。そして官僚的な視線が内在化された子供(未来の大人)の規範が、コドモ化したオトナに勝つという話で、あれは官僚機能の再生産の話なんだよな。

 そういう視点でオトナ帝国を見ていなかったので、目から鱗だった。

 最近、気づいたこと。
 給料日まで、一日千円くらいしか使えないことに気づく。
 スーパーで白菜を買う。
 今日から鍋祭だ。

 最近、気づいたこと。
 ゲンロンαの「哲学にも「気合」入れていかなあかんわ 國分功一郎×東浩紀「哲学にとって愚かさとはなにか ――原子力と中動態をめぐって」イベントレポ(関西弁vee.)」の中で、國分功一郎の「暇と退屈の倫理学」をオードリーの若林が読んでいた、というURLが紹介されていた。
 最近の僕はオードリーの若林正恭みたいな大人になりたいと思っている節がある。

 12月某日

 コロナの影響もあって、最近は誰とも会わずに毎日同じルーティンの繰り返しになっている。朝、歩く道も一緒であれば、部屋に帰り着く時間も一緒。
 そんな中で、上司から社員全員に「今日の仕事終わりに残業を頼めませんか?」というメールがあった。
 別部署の仕事で手が足りないのだと言う。

 とくに何も考えずに「良いですよ」と返信したところ、隣いた後輩の男の子が「え? 行くんっすか? じゃあ、俺も行きます」と言い出す。
 ということで二人で別部署の仕事を手伝いに行った。
 二時間くらいの残業で、特別に疲れた、という訳ではなかったけれど、普段とは違うオフィスでの仕事で慣れない空気に当てられて、後輩の男の子は「雰囲気にむっちゃ疲れました。もう、頼まれてもいきません」と言っていた。
 個人的には、毎日の繰り返しが乱れて楽しかった。

 とはいえ、帰ってお酒を飲みながら「僕のヒーローアカデミア」を見る時間が削れて、ちょっと物足りない。

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僕のヒーローアカデミア」を見はじめて、シリーズ構成と脚本が黒田洋介だと知って、俄然見なければと言う気持ちが強くなった。

 流石、黒田洋介と言いたくなるほどテンポが良く、また作画も綺麗だし、OPがポルノグラフィティ、米津玄師、amazarashi、UVERworldとザ・少年心をくすぐる選別になっていて、心地良く見れる。

 構造的な意味で暗殺教室によく似ているなぁ、と思って見ていたら、50話辺りを超えたところで、凄まじい感動回があって永遠と泣く。

 タイトルにもある通り、「僕のヒーローアカデミア」はヒーローを題材にした作品になっているのだけれど、僕も自作で一度「ヒーロー」をテーマの中心に添えたことがある(眠る少女という作品です)。
 比べるのもおこがましいけれど、ヒーローをテーマにしたら、彼らに救ってもらえなかったヴィラン(悪役)は書くよね、そして、そういうキャラの弱さはそこにあるよね、という変な納得というか、共感をしながら見た部分もあった。

 ということで、僕が「僕のヒーローアカデミア」で好きなキャラはヴィラン側で言えば死柄木弔になる。

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 ヒーローで言うと爆豪勝己で、元イジメっ子の彼の言動や自らが抱える弱さの描かれ方が僕は好きだ。

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 イジメを描く時、どうしてもイジメられる側にフォーカスされるし、それは間違っていないのだけれど、イジメる側にも弱さや理由がある、ということを描いてくれる作品を僕は好む節がある。
 そういう意味で「3月のライオン」のイジメの書き方はフェアで、とても優れていたと思う。

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さとくら
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