初めてもらったラブレターと「鴻上尚史のほがらか人生相談」
ラブレターって貰ったことあります?
僕はないと思って生きてきたんですけど、考えてみると一度だけ貰ったことをふと思い出したんです。今回はそれを思い出した理由も含めていろいろ話をさせてください。
ラブレターを貰ったのは小学生の低学年の頃でした。記憶は曖昧なんですが、当時の僕はそれなりに活発でよく怪我をしていました。確か、この頃に右腕を骨折もしています。
サッカーチームにも入っていて友だちもいて、教室でも何だかんだ遊び回っていました。
休憩時間はとくに遊べる時間で、それが楽しみで学校に登校している部分さえありました。
遊び場はグランドや廊下だったりで、低学年の頃は廊下を走り回っているのが多くて、ラブレターを貰ったのも友だちと廊下で追いかけっこをしている最中でした。
迷惑な生徒そのものですが、そんな僕をある先生が呼び止めたんです。
素直に止まった僕の前に、おずおずと近づいてくる女の子がいて、何も言わずに手紙を差し出したんです。女の子の後ろにはニコニコ笑っている先生がいました。
誰に何を言われた訳ではありませんが、差し出された手紙を僕が受け取るべきなんだろうとは流石に分かって、女の子の差し出す手紙を手にしました。
可愛らしいひと目で女の子からの手紙って分かる、それを持っていると実感した時、激しい羞恥心が僕を襲いました。小学低学年の男の子って何故か女の子と一緒にいるとからかわれるんですよね。
追いかけっこしていた友達に見つかったら絶対に囃し立てられると思った僕は、ありがとうも言わずにその場を走り去ってしまいました。
今から考えれば、ありがとうとか、読むねとか言えばいいのに、当時の僕にはそういう心遣いがまったく欠如していたんですよね。
ただ、手紙を貰ったこと自体は嬉しかったんでしょう。
人がいないところで、手紙を開けて読んだのは覚えています。中身は「友達になってほしい」という内容でした。
とても素敵な手紙だと思います。
その子からしたら結構な勇気というか大変なことだったろうなと今なら分かるんですが、当時の僕は何も分かっていませんでした。
僕は女の子とどうやって友達になれば良いんだろ? と思って、手紙の返信をした記憶はありません。当時の僕は友達から囃し立てられるのが、どうしても嫌だったんです。
小学校低学年の自意識なんて大人になって考えれば取るに足らないものですが、当時の僕からすれば月が地球に落ちて来るくらいの大事件だったんです。
だから、僕のラブレターを貰ったって言う話はこれで終わりです。
まったく僕は何をやっているんでしょうね。
僕がモテずに来た理由がここに集約されているような気さします。
モテる人生でありたかった。
いや、正確には好きな子にモテる人生でありたかった、ですかね。
なぁ、そんな妄言は横に置いて、ここで一つ説明しなかった部分について言及させてください。
廊下を走り回る僕を呼び止めたのは先生だったんです。
生徒の「友達になってほしい」って言う手紙を渡す為に、呼び止める先生という存在がポピュラーなのか、僕には分かりません。
ただ、今回のケースには一つ理由がありました。
答えは単純で、その女の子は支援学級の子だったんです。僕との接点は、その支援学級の男の子と仲良くて遊んでいて、その教室に行っていたんだと記憶しています。
とりあえず、当時の僕は男の子とは遊べるスキルだけ持っていたんですね(それも高学年辺りから失っていくんですが)。
支援学級の女の子だから、どうって話ではありません。
あるとすれば、その子が僕の話をぽろっとした結果、先生にせっつかれて手紙を書かされたって可能性はちょっとありそうだな、とは思います。今だったらちょっと問題になりそうだけど、当時ならそういうお節介なことを先生は平気でやっていたような印象があります。
けれど、僕からすれば小学低学年の頃は異性と仲良くなるのは月が地球に落ちて来るレベルなことで、そんな凄いことを手紙をくれた子はしてくれた訳だから(先生の後押しがあったにせよ)、恥ずかしがらずに手紙を返すくらいすべきだったんですよね。
そういう風に考えていくと、とても光栄な手紙を僕は貰ったんです。
僕自身がもう少し大人であれば、あるいは自意識が薄ければ、返事ができたのにと過去の自分の幼稚さには悔やんでも悔やみきれません。
そんな今回のエピソードを思い出したきっかけなんですが、「鴻上尚史のほがらか人生相談~息苦しい『世間』を楽に生きる処方箋」で、『「ダウン症の娘を守りたい」と願う36歳母親に鴻上尚史が語る「障害のある子を人々の悪意から守るたった一つの方法」』という記事を読んだからでした。
その記事の相談は、「これから(ダウン症の)次女が成長し、学校、社会に出て行く中で、どうしたら悪意のある人から守れるのか、ということです。つい先日某ミュージシャンの過去の行為がニュースになり、同じように不安に思い動揺している方がたくさんいるのではないかと思います。大きくは次女に限らず、健常である長女を含め、全ての子供たちに関わる問題だと思います。」というものでした。
そして、その回答が「この相談を読んだ多くの人が、「いじめはそもそも許しがたいのに、障害のある子をいじめるなんてのは、言語道断、絶対に見過ごさない」と思ったり、「なるほど。なるべく障害のある子と一緒に過ごす時間を作ればいいんだ。そして自然に接してみればいいんだ」と思ってもらうことが、この国の多くの人の意識を変えていくことだと思っているのです。」というものでした。
更に「人は、知ることで変わる可能性があるのです。」とも鴻上尚史は語っています。僕の身近に「障害のある子」はいないですし、恥ずかしい話、この手の話を真剣に考えてきている訳でもありません。
ただ、映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を見て憤ったりはしていた僕が、「障害のある子」と自然に接するために考える為の一つのとっかかりとして、初めてのラブレターのエピソードを思い出した次第です。
ちなみに、ツイッターで「♯嫌いな映画10作あげると人柄がバレる」というハッシュタグをある方が作っていました。好きなものより、嫌いなものをあげる方が確かに人柄は分かりそうです。
そのハッシュタグを作った方が「ダンサー・イン・ザ・ダーク」をあげていて、確かに僕は好きじゃないなと同意しました。
せっかくエッセイを再開したので、嫌いな映画10作はどこかでやりたいと思います。
――――――
というエッセイでした。
本日、コロナが流行してから初のネットカフェへ行ってきました。だから、2年ぶりくらいですかね。
桜井画門の「亜人」を最終巻まで読み、「鬼滅の刃」と「呪術廻戦」を交互に読んでいたら、時間が来てしまいました。
2年の間に読みたい漫画はもう無尽蔵に膨れ上がっていて、これは困った状態にあるなぁと思いつつ、嬉しい悲鳴ということで読みまくりました。
漫画って良いですね。
「亜人」は桜井画門が最終巻のあとがきで「90年代アメリカ映画」に強く影響を受けた作品だと語っていました。
なるほど。
言われてみれば、この懐かしい感じというか。
ゼロ年代の脱・セカイみたいなことをせず、あくまで現実的なルールの中で泥臭く作戦を立て続け、粘り勝っていく姿は90年代アメリカ映画感がありました。
それを好きと言う人と、あんまりって言う人は分れるでしょうし、実際新鮮味があるかと言われると、ふむーって唸る部分ではありました。
いや、面白いんですけど、それこそ90年代アメリカ映画のように一回目のハラハラ感とワクワク感を2回目の視聴では超えて来ないような感じがある気がするんですよね。
あくまで、これは僕の好みですけど。
また交互に読んでいった「鬼滅の刃」と「呪術廻戦」は、圧倒的に好みとして「呪術廻戦」の方が好きでした。
読者を楽しませる為に、1ページだって無駄な話はしないという強い意思を感じて、飛ばし読みを許さないエピソードと情報を畳み掛け方が熱すぎる。
「鬼滅の刃」も、もちろん面白いんですけど、ちょっとゲーム的で敵を如何に攻略するか、という展開を読者と一緒に考えていくような物語で、一気に読むのはちょっと疲れてしまう構造になっていたような気がする。
ゆっくり味わっていく漫画が「鬼滅の刃」という印象でした。
さて、今年もあと一ヶ月をきりましたね。
ゴールが見えて来ると、ふつふつとテンションが上がってくるのは何なのでしょうかね。無理せず、年末年始を迎えましょう。