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日記 2021年4月 どこまで行っても果てのない日々を「珈琲を飲んでいる人」として乗り越えて行く。

 4月某日

 エイプリルフールに嘘をつくか?
 という問いをされて、いや別につかないと思いますよ、が基本姿勢の僕。
 職場の既婚者さんの方に尋ねたところ、「嘘つきます」と力強く頷かれる。
 そんなに堂々と嘘ってつくものだっけ?
 と思っての当日、仕事中にその既婚者さんが嘘をついた様子はなかった。
 
 僕は「数日前からしているコンタクトレンズが本当はずっと裸眼だったんです」という嘘を思いつくも、だからなに? と言われる未来しか想像できずに言わずに終わる。
 翌日に、同期の女の子にコンタクトレンズの嘘を用意していた話をすると、「めちゃくちゃ面白くない」と断言される。
 そりゃあ、そうなんだけどさ。

 4月某日

 ツイッターにいて、「村上春樹のどこがいいのか?」と言う問いに対して「彼の小説の主人公は、どんなにわけのわからない困難が目の前にあっても、毎日プールで泳いで、料理をちゃんとするの。そういうのって素敵じゃない?」という回答だった。
 分かる。

 自分が常に冷静であるためのルーティンを持っている人って強い。困難さにどんなに巻き込まれても、自分を見失わない冷静さを保つ為には日常の中の小さなルーティンをこなすしかない。
 最近、コナリミサトの「珈琲いかがでしょう」を読んで、それを思い出した。

 コナリミサトと言えば、「凪のお暇」で、ドラマが僕は最高に好きだった。「珈琲いかがでしょう」もつい最近ドラマ化されて、一話が放送されたばかりだった。
 主演は中村倫也で、彼は「凪のお暇」にも出演している。

珈琲いかがでしょう」を最後まで読んだ身からしても、中村倫也主演は最高で、更に言えば、一話で登場する不器用なOLが夏帆で更にイメージ通り。
 夏帆が演じるOLは後半にも登場するのだけれど、そこでのアレコレも上手く演じてくれそう。

 そんな「珈琲いかがでしょう」はタイトル通り、珈琲が中心にある物語で、キャッチコピーは「一杯のコーヒーで、世界はがらっと変わるのかも――」だった。
 この「世界はがらっと変わる」というのは、さきほどの村上春樹の話に照らし合わせるなら、「毎日プールで泳いで、料理をちゃんとする」ルーティンを珈琲を通して得られる、というもの。
 
珈琲いかがでしょう」の登場人物たちは困難さに常に巻き込まれて日常を変えて、常に自分を見失ってしまっている人々だと言える。
 それを珈琲で冷静にさせていく、というストーリーラインは素晴しい。

 また、そこから一つ踏み込んだ部分も「珈琲いかがでしょう」にはあった。
 最後にあるキャラクターが「珈琲飲んでいるその瞬間は「珈琲飲んでいる人」ってことで平等じゃないですか」と言っていて、珈琲を飲むというルーティンによって、人と人を繋ごうとさえする。

 ここまで愚直に人を救おうとする物語も珍しいな、と思うけれど、「凪のお暇」の時も、考えてみれば凪のような女の子が如何に独り立ちするか、ということをあらゆる要素を総動員して構築された物語でもあった。
 コナリミサトの優しさの底のなさに脱帽する他ない。
 
珈琲いかがでしょう」や「凪のお暇」以外にも作品はあるようだから、他の作品も読んでみようと思う。

 4月某日

 ゆっくり読んでいる大山顕の「新写真論」が本当に面白い。
 心霊写真に関する記述があって、なるほどとなったので、引用する。

 今でも心霊スポットに行っておもしろ半分で写真を撮ることを戒める発言がよくあるが、考えてみればこれは生身の人間のプライバシーに対する配慮と変わらない。盗撮画像のアップによるSNS炎上はいわば「霊障」だ。見知らぬ人からの罵詈雑言は姿の見えない悪霊のたたりに似ている。謝罪しても何をしても通じないという意味でも。

 つまり、SNSの罵詈雑言は姿が見えず、確認もできない、という意味で霊界からの言葉、ということだ。
 そういう視点があると、SNSの受け取り方も少し変わってくる。

 ちなみに、「霊障」を調べると、「エネルギー状態の悪い意識体に憑依されると、その影響を受けて体調不良を起こす、行動に異常をきたす、対人関係が悪化するなど、憑依した意識体が不幸な状態を起こすこと。」とある。
 また、「亡くなった人の不成仏霊、ゴーストの憑依による障害。」とのこと。

 ツイッターでゲーリー・ウィルソンの「インターネットポルノ中毒 やめられない脳と中毒の科学」なる本が紹介されていた。
 帯には、

 無気力、集中力不足、不安感、うつ…
 原因は“ポルノの見すぎ”かも?

 ともあって、「霊障」とごちゃまぜにするのは違うかも知れないけれど、インターネットポルノって果てがないので、それによって「体調不良」「行動に異常」「対人関係が悪化」は全然ありそうだと思ってしまう。

 何でもそうだけれど、果てがない、終わりがないものにハマってしまうと、どこまで行けば良いのか分からなくなるので、自分が「不幸な状態」に陥ってしまっていたとしても、気づけない場合が多い気がする。

 4月某日

 倉木さとしと漫画の実写化映画を紹介する連載をしようと、結構前から準備をしている。4月中には始める予定で、今までLINEでやりとりした対談内容を、電話しながら編集していく作業をした。

 2010年から2020年までの実写化映画を対象にしていて、1年ずつ語っていく形式をとっているので、初回は2010年。
 お互い、どれくらい語れば良いのか分かっていなかったのもあって、むちゃくちゃ喧嘩した。

 倉木さんと知り合って十年は超えたけれど、ここまで喧嘩したのは初めてだった。
 で、そんな喧嘩しまくった原稿をどうやれば連載できる内容になるのか、というのも含めて電話したのだけれど、「もうこの際、素直に削って、喧嘩してましたって注釈を入れよう」と倉木さんの提案に、それで行こうとなる。
 ちなみに、その間の電話時間は4時間26分だった。

 結果、削ったり足したりすると、ほとんど喧嘩の内容は消えたのだけれど、せっかくなので最初の企画説明の際などに「喧嘩してました」と書くことにした。

 今回のことで僕が改めて思ったのは、人は文章のやりとりだけでは分かり合えなくて、話してみてようやく分かることがある、ということだった。

 倉木さんから連載のタイトル案に「実写化映画から、学んで喧嘩し、成長する」とあって、「まさにそうだった気がする」というコメントつきだった。
 本当にそんな感じだった。

 4月某日

 最近、気づいたこと。
 noteをはじめて1年を記念したバッジの通知が届いた。
 1年前と今は僕の気持ち的な面とかは違うけれど、世の中的にはより悪化している印象しかない。うんざりするくらい良いニュースを見かけない。

 最近、気づいたこと。
 ツイッターにて、「自粛疲れ」とあって、以下の内容が呟かれていた。
 2020年
 3月「この一ヶ月が勝負」
 4月「緊急事態宣言」
 5月「GWも自粛」
 7月「この夏は特別な夏」
 8月「夏休みも自粛」
 9月「この連休がヤマ」
 11月「我慢の三連休」
 12月「真剣勝負の三週間」
 2021年
 1月「また緊急事態」
 2月「延長」
 3月「さらに延長」
 4月「6月までが正念場」
 そりゃあ、確かに疲れるわ。

 最近、気づいたこと。
ソードアート・オンライン アリシゼーション」を見る。
 これって村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」だなぁと思う。ラースが生み出した仮想世界“アンダーワールド”が「世界の終わり」で、アスナとかがいる現実世界が「ハードボイルド・ワンダーランド」。
 共通点は、「世界の終わり」とアンダーワールドは現実ではない為、時間の進みが違うこと。職業(天職)を与えられること。世界がファンタジーであること。
 と色々あるけれど、それを言ったところで、と思う部分がある。ライトノベルを語る際は、「ライトノベルの言葉」みたいなもので語らないといけないのだ、と昔言われたことがある。
 そうなのかな? と疑う僕と、そうなんだろうなぁと受け入れている僕がいる。

 最近、気づいたこと。
 CDBの「“圧倒的存在感”の広瀬すずと“非現実的な美少女”橋本環奈、意外すぎる「共通点」」という記事が面白い。

 広瀬すずと橋本環奈って共演したことがなく、今期のドラマ「ネメシス」で共演する予定とのことで、楽しみ。というか、監督が入江悠で原作が講談社タイガから出版された作品で、あらゆるミステリー作家が書いていると知って、絶対に好きなやつだ、となる。
 ちなみに一話を見た感想としては、情けない櫻井翔と頼りがいのある広瀬すずって最強のコンビじゃん、だった。

 最近、気づいたこと。
 豊崎由美の書評は追えるだけ追うんだ、というスタンスで生きている。今回更新された「カズオ・イシグロ『クララとお日さま』vsイアン・マキューアン『恋するアダム』AI小説激突を書評家・豊崎由美がジャッジ」は素晴しい内容だった。

 現代文学における重要な作家(イアン・マキューアンとカズオ・イシグロ)がほぼ同時期に「AI」という同じテーマの作品を書き、そして、「ほぼ同時期に翻訳刊行されたのは日本だけ」とのこと。
 書評を読む限り、どちらも絶対に面白い。
 どこかのタイミングで手に取らねば、となっている。

 最近、気づいたこと。
 広島の路面電車に関する詳しい記事を見つける。

 僕は広島出身で、路面電車は当然乗ったことがある。ただ、「路線の総延長は約35キロ(うち鉄道線は15キロ)、車両総数とともに路面電車では日本一の規模を誇る。」のは知らなかった。
 記事の中で駅の紹介もしていて、その中に「横川駅電停」の言葉があって嬉しくなる。横川駅電停は高校時代、雰囲気が好きで用もないのに下りて、駅のベンチで本を読んでいた。
 もし、何の縛りもなく自由に好きな場所に住んで良いと言われたら、広島の横川駅周辺の物件は絶対に探してしまうと思う。

 4月某日

 僕が毎夜、楽しみにしているブログを書かれている、よるさん(夜に更新するから、勝手に名づけたあだ名です)が、BANANA FISHを見たとブログを更新していた。
 寝る前に毎回、覗きに行くので更新されていると、一日の終わりがちょっと幸せな気持ちになる。それこそ、アンミカが寝る前に唱えるHLLSPD(Happy、Lucky、Love、Smile、Peace、Dreamの頭文字)みたいな効果がある気がしている。

 そんな、よるさんはブログの中で、僕が以前、書いたBANANA FISHに関する記事も読んでくれたらしい。嬉しい。

 ちなみにブログの中で、ディズニー映画の「ピノキオ」の、コオロギがピノキオに言う台詞「僕は君の良心になってあげよう」を引用していて、僕はその台詞を覚えていなかったけれど、BANANA FISHの英二とアッシュの関係を的確に表しているな、と感動。

 そして、ずーっと、よるさんはアッシュの過去、レイプに関して怒っていて、これに関して僕もそうだった。
 と同意した上で、詳しく書いてみると、鳥飼茜の「先生の白い嘘」を引用したどす黒い文章が出来上がったので、割愛。

 ただ、最近とある界隈で問題になっているセクハラ問題とかも頭を過って、色んなことにうんざりする。

 4月某日

一人ぼっちで寒くて、そして暗くって、誰も助けに来てくれな」い森の木に小さな電球を吊るして光を灯す。
 小さな光が届く範囲は限られているけれど、光の中にいると、ちょっと安心する。
 そんな夢の中で。

 くまが光の片隅で腰を下ろしている。
「ストレスだわ」
「くまさんもストレスが溜まるんだね」
「ストレスに人間も、動物もランプの魔人も関係ないんだよ」
「そりゃあ、そうか」
「何か、良いストレス発散ってないかい」
「身体を動かすのかな」
「あー俺、究極の運動音痴でさ。亀と鶴の競争でも、ダントツの最下位だぜ。やってらんないよ」
「亀と鶴にくまがどうやって負けるの?」
「そりゃあ、芸術的なまでの運動音痴でだよ」

 よく分からない。
 というか、野生のくまは狩りをするものではないのだろうか。

「なぁ、良いストレス発散ってないか」
 少し面倒臭くなりつつ、言う。
「ちなみに、ストレスの原因は何なの?」
 くまがわざとらしく鼻を鳴らして(くまって鼻を鳴らすんだ!)、上の方を向いて言う。
「俺の誕生日にみんなお祝いしてくれなかったんだ」
「誕生日?」
「そう! 俺の誕生日は冬眠明けの一発目、四月の頭なんだよ」
「へぇ」
「みーんな目覚めて、身体とか伸ばして、挨拶して回ってんのにさ。おめでとうの一言もないんだよ。ひどくないか?」
「冬眠明けでみんな、寝ぼけてたんだよ」
「そんな訳あるか、俺はしっかり覚えてたんだぜ」
 そりゃあ自分のことだからでは?

「なぁ、せっかくだから、お祝いしてくれよ」
 とくまが言う。
「良いけど。森の祝い方を知らなよ」
「そんなのは、良いんだよ。気持ちがこもってれば」
「気持ち」
「そう、気持ち」

 熊がすくっと立ち上がる。
「春って忙しい季節だろ? 新しい生活とか、慌ただしい日常とか、そういう日々だからこそ一歩立ち止まって、俺のことを祝ってほしい訳よ」
「どういうこと?」
「ほら、人をお祝いすると、自分も幸せな気持ちになる、みたいな」
「うーん」

 くまを見る。自称、究極の運動音痴で、亀と鶴にも競争で負けるくま。
 森のみんなが祝ってくれない、とストレスを溜めてるくま。
 確かに春は忙しい。構ってちゃんな、くまを祝っている暇はないかも知れない。
 けれど、忙しい時ほど深呼吸とも言う。

 うん、祝えそうだ。
「ハッピーバースデー、トゥ、ユー、ハッピーバースデー、トゥ、ユー、ハッピーバースデー、ディア、くーまさーん、ハッピーバースデー、トゥ、ユー」
「いえーい」
「ろうそくはないけどね」
「気持ちが大事なんだよ」
「確かにね」

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