日記 2021年5月 「自分で選んだその色で」生活は続いていく。
5月某日
仕事が終わって、夕食を作っていると学生時代の友人から電話があった。
出ると「とくに用事はないんだけれど」と世間話がはじまった。
考えてみると一年くらい連絡を取っていなかった。
友人は岐阜に住んでいて、コロナの話などをはじめてから「大阪は大変なことになってるじゃん」と言った。
そうだね、と頷きつつ、味噌汁を作った。
話の流れで「まぁ、コロナが終わったら、何かのタイミングで集まれたらいいね」と僕が言った。
「コロナは終わらないと思うよ」
うん? おぉ。
「コロナがインフルエンザってみたいになるってことなら、終わらないじゃん」
そりゃあ、そーだね。
けど、僕が言いたいのはそっちじゃなくて、集まろうって方なんだけどなぁ。
なんと言うか、昔からこの友人は僕が言いたいことの本質ではない所を突こうとしてくる。
人と喋ることが日常的で、お酒をアホほど飲みに行っていた頃だったら、別に気にしなかったのだけれど、素面でかつ人と喋らない日常を送っていると、少し辟易とした。
5月某日
仕事終わりにスマホを見ながら歩いていると、派手にこけた。
正確には暗がりで足元にでっぱりがあるのに気付けず、それにぶつかったのだった。
雨で濡れた後の地面に両手をついて、身体を横に倒れるようにして地面に寝転んだ。でっぱりにぶつけた足が痛み、腕はじんじんとした。
三十歳になってもこけるんだ。
という事実にヘコみ、全てをなかったことにしたかったが、濡れた後の地面に転んでいる事実は変わらなかった。
とりあえず、腕と足が痛かった。
すぐ立ち上がれる気がしなくて、十秒くらい地面をのたうち回った。
痛みが引いてから傷を確認すると、擦り傷だけだった。
もうちょっと泣きそうだった。
近くにスーパーがあることを思い出し、もう酒を飲むしかないんじゃない? 「人生を狂わす実写化映画の地図 2010-2020」の編集作業とかしないといけないけど、もう良いじゃん。酒飲もうよ。
って気持ちになって、スーパーに入ってから、流石に缶ビールか缶チューハイを飲みながら歩く三十歳男性の図は、とくにこのご時世だとやばい気がして、結局は手にアルコール消毒を塗ったくった(擦り傷に染みた)だけでスーパーを出た。
後の三日くらいの間、腕は打撲したのかずっと痛み、時々熱を持つこともあった。ほんと、歩きスマホはやめよう!
5月某日
19日に星野源と新垣結衣が結婚した。
二人を結びつけたのは「逃げるは恥だが役に立つ」という作品だった。
僕はドラマ版ももちろん好きだけれど、SPの「逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類! 新春スペシャル! !」が好きだった。
そのせいか、平匡さんとみくりさんが本当に結婚したような気持ちになって、嬉しくなった。
星野源はオールナイトニッポンをやっていて、結婚発表後の一発目が5月25日だった。僕はオールナイトリスナーなので、星野源のラジオも時々聞いていた。
内容としては、決してスペシャル感は出さずにいつものゆるい空気を保ち続ける、という意思が垣間見えて星野源は本当に日常を生きることについて、常に考えている人だなと思う。
と考えて、ふと星野源のエッセイの一つに「そして生活はつづく」があったと気づく。良いタイトルだなぁ。
5月某日
20日に「漫画『ベルセルク』などを執筆した漫画家の三浦建太郎さんが5月6日午後2時48分、急性大動脈解離のため亡くなった。20日、白泉社が公式サイトで訃報を伝えた。」というニュースが流れた。
ご冥福をお祈り致します。
僕は『ベルセルク』の熱心なファンという訳ではないけれど、小松左京の「ゴルディアスの結び目」を元ネタに『ベルセルク』が描かれている、というような文章を見ると、系譜にある作品なんだな、と思う。
5月某日
若い人って基本的に流されているだけで、何かを変える実力はないし、変えられるとさえ思っていない。
という意味のツイートを見て、その通りだと思う。
SEALDsが話題になった頃、漠然と感じていたのは、おそらくその流されている感じだった。
これからの時代は君たちなんだ、君たちが世界を変えるんだという突然の空気に流されてしまった、という印象があった。この時は、別に若者だけではなく、多くの大人も流れに乗っかっていった気もする。
けれど、基本的に若者に何かを変える実力はない、と思う。
少なくとも本当に何かを変えたいと思うのであれば、それだけ多くの、また厄介な準備をする必要があって、それらに忙殺されて日々を過ごすと、もう若者ではない年齢まで達してしまう。
そういう意味で、若者の間に何かを変える実力を身につけられることは稀有だし、そもそも多くの若者は自分たちの生活に手一杯で何かを変えられるとも思っていない。
もっと大元で言うなら、何を変えれば世界が良くなるのか、ということを正確に把握するだけの時間も、話し合える相手も存在しない。
若者として生きるって実は結構辛いことだと思う。
だから、僕は年を取って行くことで「若者」というブランドを脱いで行けるのが嬉しい。
と同時に、新米の大人としての振る舞いを身につけなければならないことが辛い。結局、生きることは辛いだなぁ。
5月某日
そういえば、GoToトラベルによって新型コロナウィルスの感染が拡大した、というエビデンスはない、と政府側は主張していた気がする。
3回目の緊急事態宣言では人の流れを減らす目的で映画館などに対して休業するよう求めていたってことは、GoToトラベルによっても感染の拡大はあったって言う話なのだろうか?
なんでもいいけれど、映画館の休業要請が解除され、時間短縮ないし平日の営業が再開される、ということで嬉しい。
5月某日
LINEのアイコンが子供の写真に変わっている友人がいた。
結婚したことは知っていたけれど、妊娠していたとは知らず、また出産されていたとも知らなかったので驚いた。
即座にメッセージを作って送信。
返信があり、「言ってなかったのに出産報告しても困るかなと思って…笑」とあって、全然困らない。
この友人に対しては基本なにを言われても困らない。
困るとしたら、友人に対して結婚祝いを渡したのも一年以上経ってからで、出産祝いについて調べる必要がある、僕の社会性のなさだった。
にしても、ある日突然、電話してきて「さとくらくんって年齢いくつだっけ?」と尋ねて、答えたら速攻で切る、ということをしていた彼女がお母さんかぁ。
やりとりの中で友人から「毎日とっても幸せで楽しい」とあって、一瞬すごい衝撃があった。
ちょっと泣きそうでもあった。
出産後のいろいろって大変だろうし、世の中的にも混乱しているから不安な部分もあるだろうな。
とか、余計なことを僕は力いっぱい考えていて、そういう側面はまったくゼロという訳ではないだろうけれど、それ以上に友人は「毎日とっても幸せで楽しい」のだから、それが全てじゃないか、と思う。
まったく無関係な場所にいる僕としては、おめでとうと雑念ゼロでちゃんと伝えるべきじゃん、と結論付けて繰り返しお祝いの言葉を伝えた。
ここでも念の為、記しておきます。
本当におめでとうございます。
健やかな日々が続くことを心から祈っています。
5月某日
髪を切りに行った。
前髪を少し短めに切ってもらったら、その分、襟足は残されてゼロ年代の不良みたいな髪型になった。
ピアスとか開けたら完璧な、なんちゃってヤンキーっぽくなりそうで、三十歳にしてピアスデビューするか、ちょっとだけ悩む。
5月某日
二階堂ふみと鈴木杏の対談が面白かった。
杏:そうなの。この間、ナレーションをしている『True Stories』(TOKYO FM)で向田邦子さんを取りあげたときは、「愛してる」みたいな肝心な言葉を向田さんは決して脚本に書かなかったと。その行間をお芝居を観る人に読みとってもらう時代だったんだよね。
でも今はすぐ言っちゃうじゃない? それはSNSで短時間にコミュニケーションを取るようになった、その小さな波がエンターテイメントに押し寄せてきた結果なのかもなって。そういった変化のなかで、変わらずコツコツやるのが私たちの仕事だと思ったりする。ふみちゃんはどう?
ふみ:それは絶対に言葉にしちゃいけない、みたいなことすらも平気で言葉にしてしまう時代ですよね。杏ちゃまが言うような性急なコミュニケーションが感受性を麻痺させてしまった気がするし、肩をぶつけられたらイラっとしてしまうのと同じで、そういう言葉を浴びせられつづけると、自分もそういう言葉を持ちかねなくなってしまうのが怖いなって。
それはこうやって対峙する相手との言葉じゃなくて、見えない人たちの言葉に慣れてしまった怖さなのかなって感じます。
世界の底が抜けた、と言ったのは川端康成だったと思うけれど、言語や表現における底が抜けたのは、インターネットやSNSの登場してからの二十年だったのだろうなと思う。
5月某日
最近、気づいたこと。
コロナ病棟で勤務している看護師さんと電話をした。別に僕がコロナとか、そういう話では全然なくて偶然だったのだけれど、色んな話が聞けた。
コロナにかかった方が亡くなった場合、ビニール袋を二重にするとか、遺族にはiPadで撮影した故人を見せるとか。
その場にいる人から聞くと、テレビとかネット記事で知るのとは違った感触があった。
最近、気づいたこと。
YOASOBIのラジオを聞いていると、コンポーザーのAyaseがJanne Da ArcやAcid Black Cherryのyasuが好きで、一晩は語れると言っていて、YOASOBIの曲がより好きになった。
※個人的に好きなのは、群青。
最近、気づいたこと。
「グッバイもやもや!佐久間宣行と“はたらく”トーク」が面白かった。
Webメディア「はたわらワイド」の企画なのだけれど、このWebメディアの理念?が以下のようなものだった。
「はたわらワイド」は、
一人でも多くの人が「はたらいて、笑おう。」を実感できるように
はたらく選択肢と、未来の可能性を広げるメディアです。
面白そう。
そして、佐久間宣行に声をかけるのも、なんか分かる。佐久間宣行ほど楽しそうに働いている人ってなかなかいない。
動画の中で「他人からの反響がなくても、他人の目がなくても努力できちゃうものが見つけられたら、向いている仕事ですね。」という台詞は、思わずメモしてしまった。
最近、気づいたこと。
味噌汁を作るって楽しい。
豆腐とわかめのポピュラーなものから、牛肉やベーコンを入れる中学男子が大喜びな味噌汁まで、色々作る。全部、ちゃんと味噌汁の味になって美味しいので、色々挑戦したくなる。
最近、気づいたこと。
文學界の「私の身体を生きる」のリレーエッセイ、6月号は西加奈子でタイトルは「身体に関する宣言」だった。
内容は、西加奈子の価値観の変容と被害者であり加害者ともなる自分に関する記述で、それは人間の感情の揺らぎそのものを読んでいるようだった。
被害者はただ、「傷ついたかわいそうな人」ではない。「痛みを知っているから他者の痛みを想像できる優しい人」なわけでもない(もちろんそういう方もいるが)。被害に遭いながら、なおも自分を襲ったその世界に与し、どころか全力でおもねり、他者を傷つける人間もいる。でも、そういったことから独立した場所に被害は存在し、傷がある。