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一本のケヤキの樹の物語−30年目の2025年1月17日に際して後世に伝えたい私の家族の体験

6434人が亡くなった阪神・淡路大震災は、2025年1月17日は、その発生から30年となりました。
東日本大震災や、熊本地震そして能登半島地震などが、この狭い日本列島においてこの30年間で立て続けにあったこともあり、記憶が風化しつつありますが・・・忘れられない体験、忘れてはいけないことだと改めて思うのです。
地震大国日本において、いつどこで起きてもおかしくない大地震に備えて、僕たちは何を学ぶべきか、教訓となることがいろいろあります。その一つは都市部の緑地(公園や神社の森や街路樹)の防災・減災効果です。

以下にお話するのは、この大震災と一本の樹の実際にあった私の家族の物語です。
写真はボクの実家です。家の正面に大きなケヤキの樹が見えるでしょう。

この樹は私たちの家族にとって、いのちを守ってくれた尊い樹なんです。

この家は1982年に新築しました。腕のいい大工さんが丁寧に丈夫に建ててくれました。ちょうどその時機に、一つのケヤキの種が、家の前の未舗装の私道に天から降ろされてきました。

芽吹いたケヤキの成長は早くどんどん成長し、成木になりました
ケヤキは根を深く張り、我が家の基礎の下にも伸びていきました。
家を建てる際に、家の床下に古い井戸の跡が見つかり、地下水脈があることが分かっていました。

ケヤキは水分を求めて、我が家の方に根を伸ばしていったんだと思います。
そんな中、1995年に阪神大震災で震度7の地震に見舞われました。我が家のエリアも震度7で町内の8割以上の家屋が全壊しました。
近所では家屋倒壊や火災による死者もたくさん出ました。消防局のレスキューは119しても全く来ないので、近隣の住宅の潰れた家屋からの救出は、近隣の男性たち皆で必死でやりました。
ニュースで皆さんがご覧になった長田区の大火災も近くを走る山陽電車の線路を隔てたすぐ目の前まで迫っていました。まさに地獄のような景色でした。でも何か悪夢を見ているようで、現実感が不思議となかったのです。

しかし、不思議なことに、我が家は半壊(建てつけのズレ程度)で済んで、修繕リフォームで今も同じ家に肉親が暮らしています。

当時、部屋の中のものは洗濯機に入れてかき混ぜたようにめちゃめちゃになりましたが、2階建ての家の大黒柱はしっかりしたままでした。火災も免れました。この家に住まう家族は誰一人怪我もしませんでした。ああ、守られた、生かされたんだとその時、強く感じ
ました。

そしてそれは、何か大いなる存在に守られたと直観しました。そうだ!ボクは気づいて、いろいろ床下に入ってました。
ケヤキが家屋のしたに張った根が我が家の基礎を支える柱のつっかえ棒になって、倒壊するのを防いでくれたことが分かりました。

この樹を切らずに大事にしてきたことで、倒壊を免れたし、家族のいのちが守られたと感じました。
街は瓦礫で埋め尽くされていたが、街路樹は一本も倒れていませんでした。逆に街路樹が道路手前でがれきを止め、交通が確保されていた例も見られました。

すぐ近くに樹木の神様・五十猛命をお祀りしている、権現さんという名で親しまれている、鎮守の森があります。
そこもその小さな森が火災を食い止めてくれて、実家へ延焼せずに済んだのです。
街路樹や公園の樹木の「緑の壁」は、地震で起こった大規模火災の延焼の防”火”堤の役目も、果たしてくれた事実も一般社団法人 地域緑花技術普及協会の調査で明らかになっています。

阪神淡路大震災時に焼け止まりとなり火災延焼を防いだ大国公園の木々(2021年、神戸市長田区)

まちのなかの緑(樹木の森)は、防災/減災の観点からもほんとうに大事です。

関東大震災でも、墨田区にある現在でいう広域避難所として陸軍被服厰の4万ヘクタールの空き地に4万人が逃げ込んだといいます。しかしわずか1時間足らずの間で95%が焼死したと言われています。そこには1本の木もなかったんです。
一方、3キロ離れた旧岩崎別邸(現 清澄庭園)にも2万人が逃げ込みましたが、誰も亡くなっていないのです。
旧岩崎別邸の周りには土塁が築かれていてその上には森が生育していました。これが緑の壁として、高温の火の嵐を遮ったためと言われています。

都市の防災のためには、「緑の壁」やそれを繋いだ「緑の回廊」が、災害時の火災から、住民の命を守るのです。
平時には生物多様性を豊かにしたり、ヒートアイランド現象を緩和して熱中症のリスクを下げたりエアコンの省エネのメリットもあります。

木々があると夏場は、コンクリートジャングルの都市のなかでも気温が大きく下がる

人間のエゴで敷地に目一杯、住宅やマンションを建てようとする、あるいは駐車場にしてアスファルトやコンクリートで覆ってしまうと木々が育つ余地(空間)が全くなくなります。
防災まちづくりの視点から、私有地においても少しずつ譲り合ってそこに木を植えることが大事ではないかと思います。
コンクリートで強靭化するというハード面の対策には限界があることを知るべきでしょう。

近い将来あるかもしれないと言われている首都直下型地震の備えとして、関東大震災や阪神淡路大震災で経験したこの大きな教訓を都市計画のなかでも生かしてほしいものです。
残念なことですが、神宮外苑の再開発で行われている乱暴な樹木伐採などは、首都直下型大地震の防災に逆行する愚かな行為です。
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さて、話を戻すと、このケヤキの樹は我が家の占有地外の、私道(地主さんが所有)に樹があったものですから、地主やご近所の方から、街灯の光が、伸びた枝の葉に遮られて、防犯上、危ないとか、落葉した大量の葉が排水溝にたまって困るとか、切れと言わんばかりの苦情をいろいろ言われました。

しかし、ボクも家族もこの樹は神聖なご神木だ。私たち家族のいのちを守ってくれた大切なものだから、絶対切らないという意志をこれまで貫いてきました。

実がなる季節になるといろいろな鳥がこのケヤキに集い、心地よい美しい歌を奏でてくれます。真夏は大きく張リ出した葉が、お日様の光を遮ってくれ、2階の窓を開けると、涼しい風が吹いてきます。だからクーラーもほとんどいりません。

自家菜園もやっているので、落葉した葉は集めて、堆肥にして使っています。自然には無駄なものは一切ありません。

ここからはスピ系の話になりますが、
後々、スピリチュアルなことを学んで、なぜ、神戸であんな地震が起こったのか、直感的に気づきました。「神戸」はその名の通り、五次元の「神」世(弥栄とか至福千年期とも言われる)へ入る戸(とびら)、ポータルなのだと。
そのプロセスが1995年に始まったのです。
宇宙ファミリーの方に,あるチャネラーさんを通じて、スターチルドレンとして、ボクが地球に転生してくるまでの魂の自分史を教えて貰いました。
私はアンドロメダの近くの星で生まれたそうです。この星では植物の研究をしていたようです。大木のような大きな植物の成長を見守っていました。

きっと魂レベルで、樹に宿る精霊(ドリアード)とつながりをずっともっていたのだと思います。
今日は阪神大震災から30年の節目、今は僕は京都に住んでいますが、遠くからそんなケヤキの樹に思いを馳せて深く深く感謝し、見守っています。

最後に、阪神淡路大震災で亡くなられた方々、そして東日本大震災や能登半島大地震で亡くなられた膨大な数の魂の皆様へ、どうぞ安らかに霊界でお過ごしください、きっと将来、皆さんと再会できるのだと思います。その日を楽しみにしています。

(執筆・文責 能村 聡)

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