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育児は社会への最大のアクティビズム

これでもかと大きな声をあげ、地面に転がりたおす我が子にあなたなら何を思いどう声をかけますか?その一言が将来に重要な影響を及ぼすとしたら。

はじめに 

タイから緊急退避をしてきた3月から早いもので、5か月が経ちました。雪がちらつく春を経て、長雨が続く梅雨が明け、今私たちは東南アジアのそれとはまた違う日本の蒸し暑い夏をカラダ全身で感じながら過ごしています。そしてこの数か月の出来事はというと、激戦といわれている保育園の申し込みをし、あっけなく不承諾通知が届き、急遽ナーサリーへ入園。が、幸か不幸か1か月での認可保育園への転園となり、私も予定より早めに職場復帰をし、、、。激動の1か月が終わるころには諸々の疲れがでたのか、先週は親子共々高熱でダウンしたのでした。

娘に至っては39~40度を超える熱が丸2日続いたため、この2日間は昼夜問わず、欲しがればおっぱいを差し出し、わがままも八つ当たりもなんでも受け入れフルボッコ。治りかけのころには、すっかり甘えが定着し、具合が悪いのはオマエのせいだー!と言わんばかりにカラダ全身で不快感を露わにする暴挙に母ぐったり。顔色が悪く、無表情になり、お水さえも飲みたがらないわが子が心底心配だったものの、この子には私しかいない!しっかりしなくちゃ!という気合で自分を自分で奮い立たせていたけども、病児育児の後にやってくるそんな娘からの態度に疲労がマックスになりついに、起き上がれず、しゃべれず、このまま私もしかして・・・みたいなところまでダウンしてしまったのでした。

そんなわけで、この度晴れて、「片親での病児育児の大変さ」も経験し、シッターサービスと実家にいる家族のサポートを経て、ひとまず奇跡的な超回復をとげ、今日も元気に仕事をしています。なんだかんだ何でもこなせてしまう器用貧乏さと、ここぞというときの馬力に、転んでもただでは起きないところは、私の強みかもしれないけれど、こうしていつも乗り切ってしまった後に思うのは、「あー、また強くなってしまった」ってことです。私はどこまで強くなるんだろうか。


病児育児の末にやってきた1歳児の初めてのプチ反抗期

そんなこんなで、(いつも通り)鮮やかな復活をとげたわけですが、娘は今日も華の1歳児まっしぐら!保育園のおかげで帰宅したらおっぱいに飛びつきそのまま寝てしまうほど超吸収な毎日の様子。とりわけ、「わるいこと」はここぞとばかりに学んでいるようで、玄関の鍵をあけるために抱っこからちょっと体を離した瞬間から始まった大泣きに、カラダ全身を使って海老反り&ホフク後進が7分。虐待を疑われて隣の隣のおうちから人が出てくるほど最大級の反抗!そして、家に入っても私を蹴る、殴る。。。ええ、もう相当色々覚えてきているようです。

そんな孫を前に、実母は「みっともないから早くやめさせなさいとね!」と。ここで冒頭の質問。この一言に対してあなたなら何を思いどう声をかけますか?私の答えは、

私:保育園にいるキラキラしたお兄ちゃんやお姉ちゃんたちから、はじめて自分のカラダ全身を使って「怒り(不快感)」を表現する方法を学んだとこなのよ。で、家に帰ってきてさて実践といきますか!とばかりに覚えたての技を、これでもかと披露してくれてると思ってる。成長の瞬間だし、そんな必死に奮闘する姿は頼もしくもあり、最高にいとおしい瞬間だと思わない?だから泣いた顔も怒った顔も大好物なの♡

なんて感じで、サラッと打ち返してみました。

ちなみに、いやいやそもそもね、みっともないって誰に対する誰の目線?「しつけのなっていない子を育てている親は親として不完全」っていう世間様からの親に対する目線であって、むしろ子どもは関係ないと思う。さらに言うと私たちの事情も、価値観も、なーんにもわからない世間様の目を気にして、目の前の自分の子の大切な成長の瞬間を台無しにしたくないって思っちゃう。問題の分離ができていないと思う。なーんて喧嘩を吹っ掛けるようなことは自重しました。※機嫌が悪いときは、こんな風に正論を鮮やかに打ち上げ、悪態をついてしまうときもありまして。


みんなみんな、カラダをはって育児をしている

もちろん、傍若無人な娘の態度に戸惑う時も、不意に殴られ蹴られ、痛くてキレそうになるときもあります。でも、そんな瞬間は、まずひと呼吸おいて観察。ママから離れていた不安から来てるなーと感じる場合には、ギューッと抱きしめて、嫌がられようが、はたまた殴られ続けようが例え効果がなくとも「大好きだよー」のシャワー攻撃で応戦したり、ご飯の準備中、わざとダメといわれているコンロに手をのばそうとする(試しにこちらを見ながらゆっくり手を伸ばす)などをしてくるときは突き放してしっかりなぜ危ないかを論し叱り、また華麗な海老反りを披露し地団駄踏んで泣き叫ぶときなどは時には泣かせ続け、、、とこちらもその時々の状態に合わせて態度を変えながら日々向き合っています。いつの日かやってくるだろう「んーこんなことつまらないからやーめた」と、自分から辞める日がすぐにくることを願いながら。

育児って●●には××を、とか▲▲するときは〇○しようっていう正解がないのが本当に面白いなと思うのです。そして、もう一つ。大先輩たちによる愛情たっぷりのあったかい育児書や記事にアドバイスは本当に助けられるし、支えられるし、参考にはなっても、結局のところ実践で一番大切なのは「お母さんであることを誇りに思って、胸張って毅然とした態度で子どもに向き合う」なんじゃないかなと思ってます。もちろん、はじめてのことばかりですべてが手探りだし、わからないことだらけで、仕事のように目に見える成果もナシ。あげく、なんせ、あなたの子でしょといわれてもまだ出会って1年半ですけど?という短い付き合いだし。でも短いながらにも、その短い期間をその時々で私なりに精一杯向き合ってきた!って肯定していいんじゃないかって思うのです。うまくできた日もできなかった日も自分に丸を上げるのって必要だなと。

ワンオペで余裕のない日もあるし、娘のペースに合わせてあげられない時もあります。(むしろそんな時ばかりですが)開き直って、今の私にしかしてあげられないことは?と自問して見つけたひとつの答えが、愛情という名の「あなたを可能な限り理解してあげようと思っているのよ」という姿勢なんじゃないかと思ってます。というかこれに尽きる!幸いにして、これは正解も不正解もなく完全なる主観。私がそう思えばOKっていうところが味噌です。「理解しようとする」ってつまるところ、ありのままを否定も肯定もせずまず受け入れて、わからないながらに相手の立場になって想像するってこと。もしかしたら、この先どんどん相手も成長して想像することも難しくなって、わかってあげられることなんてかけらしかなくなってしまうかもしれないけれど、「私はあなたのことを理解しようと思っているし、理解者になりたいと思っているよという姿勢」に、この子がいつの日か救われる時がくるかもしれないと思っていたりします。


ビジネスマン的視点で子育てをみてみる

猛烈ビジネスマンが子どもを身ごもり出産し、同時に知り合いも友達もいない異国の地に放り出されたからこそ感じるのは、家庭や育児ってすごく閉ざされた世界のように感じるけれど、実は世界の縮図であり、最大の学びの場だと思ってます。世界は今、ダイバシティ=多様性が叫ばれる時代。そしてその多様性のカギは相手を許容し尊重し共生することであるならば、赤ちゃんなんて多様性の塊。目の前のよくわからない宇宙人ちゃんを許容し、尊重し、共生することは、世界レベルでのアクティビズムの第一歩であり、ここを乗り越えられれば社会に出たときの風変りな上司やちょっと肌の合わない女子たちともなんなくうまくやれちゃうような気がします。

というわけで、育児に奮闘するすべてのママやパパたち、そして楽しくも刺激たっぷりなそのゾーンへこれから足を入れようとするすべての女子たちが、育児に対して少しだけ距離をおいて向き合い、肩の力を抜いて自分にも子どもにも丸があげられば、世界はとっても幸せになるんじゃないか。そんなことを思ってます。

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今日の言葉:家族は最小単位のコミュニティ。合うとか合わないとか、好きとか嫌いとかではなく、どうやってうまく折り合っていくのかを学びなさい。(実母、雪子からの言葉)




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