サーフィンしようよ
サーフィンのやる気と反比例するように波がない。
ということは前も書いたけど、何度も書きたくなるくらい波がない。
まあ、実際には、波がある日に限ってこちらに他の用事があるという具合なので、波がないというより、波(海)に振られ続けている、というのが正しいのだが。
しかし、地味に陸地で過ごしている間にも変化は起こる。
最近、「きちんとできる人じゃないとそれらについて発信してはいけない」という思い込みが自分を制限していたことに気づいたばっかりだが、それは書くことに限らず、サーフィンでもそうだったと気づかされた。
私はこれまでずっとサーフィンが上手くなりたいと思っていて、そのために努力もしてきたけれど、「サーフィンが上手くなりたい」という願望を噛み砕くと、己の進化成長を見たいという純粋な向上心は5割くらいで、残りの5割は「人に文句を言われたくない」というような防衛心があった気がしてきたのだ。
人に文句を言われたくないっていうのは、つまり、「サーフィンのこと好きっていうけど、たいしてうまくないじゃんね?」って言われないようにしたかったってこと。
これはつまり同じことを人にも言っているってことを、認めたくないが、認めざるを得ない。
たとえばサーフィンYouTuberとか、サーフィンが好きなためにそれを動画にし、その情熱でファンを集めていることに、なんら問題はないのに、「ライディングがそんなにうまいわけじゃないよね」って心の中でジャッジしていることがあったことをここで告白して懺悔したい。
ああ、恥ずかしい。
お前は何様のつもりだったのだ。
9年前、サンディエゴに来たばっかりの頃、今よりずっとサーフィンがへたっぴだったはずの私に、ローカルサーファーは優しかった。
「仕事前にサーフィンに来て、そんな笑顔で海を上がるなんて、君はリアルサーファーだな」なんて言われてすごく嬉しかった。
「グレイトサーファーの定義を知っているか? スキルは関係ないんだ。思い切り楽しんでいるサーファーのことを言うんだよ」
そんなことを教えてくれた人もいた。
それなのに私は、ちょっと乗り方が怪しい、いかにも初心者の人たちに対して、かつて自分がしてもらって嬉しかったように接せられているか?
うまく乗れないうちは邪魔するなオーラを発していないか?
ううむ、自信がない。
その背景にあるのは、「邪魔をしないように(上手くないと言われないように)私はこんなに頑張っているのだから、あなたも努力しなさいよ」と強要する心理。
その心理(防御と攻撃)、まだ持っていたい?
ノンノンノン!
最近、アメリカやハワイ、オーストラリアでは、サーフィン、とりわけ女性のサーフィンについて、これまでのイメージを解放しようと活動している人たちがたくさんいる。
たとえば、スタイルの良いビキニのお姉ちゃんがやるっていうイメージを変えようとしているのがこの方。
あと、50代以上の女性サーファーのドキュメンタリーなんていうのも最近リリースされた。
私はここまでの活動をしたいとは思っていないのだけど、なんかこう、サーフィンやヨガというものをもっと日常レベルのものとして伝えて、みんなが気軽に触れられるようになるといいなぁという思いは出てきた。
そのための場を作るのか、情報発信をするのか、なんかわからないけど、やれたらいいなぁ、なんて考えるようになってきた。
サーフィンもヨガも、本来、誰に対しても開かれているものであって、その恩恵を享受するためにマスターである、もしくはマスターになる必要はないのだ。
ああ、ようやくその心持ちになれた(私の心の奥の声)。
サーフィンやヨガによってどんな恩恵を感じるかは人それぞれあっていい。
私にとってはサーフィンもヨガも(そしてIntegrated Healingも)世界は愛だってことを体感で思い出させてくれるツール。だから、伝えたい。
まだうまくまとめられないし、また変わるかもしれないけれど(変わっていいと思っている)、自分の中にこれまでとまた種類の違う小さな芽を発見した気分で、今はそれが嬉しい。
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