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【歴史妄想ウォーキング】討ち入りの日に赤穂浪士の足跡を辿ってみた

兵庫県出身の私にとって「赤穂浪士の討ち入り」は子供の頃から馴染み深い日。
今日は、その赤穂浪士の足跡を実際に辿ってみました。
江戸時代にタイムスリップするウォーキングに出発!

赤穂浪士討ち入りの経緯

まずは簡単に経緯をおさらいしましょう。
1701年、江戸城内で赤穂藩主・浅野内匠頭が吉良上野介を斬りつけるという事件が起きました。
公の場での刀の使用は厳禁。浅野内匠頭は即日切腹を命じられ、赤穂藩も取り潰されてしまいます。

一方、吉良上野介には何の処罰もなく、この不公平さに怒った浅野の家臣たちは浪人となり、約2年間密かに仇討ちの計画を練ります。
そして1702年12月14日未明、ついに吉良邸への討ち入りを決行したのです。

討ち入り後の道のりを辿る

さて、いよいよ赤穂浪士の足跡を辿る旅の始まりです。

吉良邸跡から出発

朝5時、まだ暗いうちに自宅をを出発し、6時に両国駅に到着。気温1℃の寒さの中、吉良邸跡へ向かいます。
ここで吉良上野介は最後の時を迎えました。
浪士達は倉庫に隠れていた吉良を発見し、仇討ちを果たします。
そして吉良の首を主君 浅野内匠頭の墓前に供えるため、一行は泉岳寺を目指します。

朝6時に両国に到着 気温1℃
まだ暗い吉良邸跡

永代橋で日の出を

吉良邸跡を後にし、隅田川沿いを歩いて永代橋へ。
永代橋の東詰で浪士たちも休息を取ったそうです。
私たちも橋の上で美しい日の出を拝むことができました。
浪士たちも同じ景色を見たのでしょうか。

隅田川沿いに永代橋を目指す
永代橋が見えてきました
永代橋から見えた綺麗な日の出

浅野内匠頭の江戸邸跡を経て

次に向かったのは浅野内匠頭の江戸邸跡。現在の聖路加病院あたりです。
ここで浪士たちは、きっと主君への思いを新たにしたことでしょう。

聖路加病院
浅野内匠頭の江戸屋敷の跡、今は病院と公園になっている

第一京浜沿いに泉岳寺へ

いよいよ第一京浜に出ます。
箱根駅伝の垂れ幕が年末の雰囲気を醸し出しています。
札の辻、高輪大木戸跡と、江戸の名残を感じる場所を通過していきます。

箱根駅伝の交通規制の垂れ幕に年末感
港区三田の札の辻交差点
江戸時代ここに高札が立てられ、庶民や旅人達への情報伝達の場となっていた
高輪大木戸跡
ここが東海道から江戸への入り口であり、警備のための門があった

ついに泉岳寺へ

3時間ちょっとで泉岳寺に到着!この日は義士祭で賑わっていました。
首洗いの井戸、浅野内匠頭のお墓、そして47士のお墓を参拝。
ここで浪士たちの物語は幕を閉じたのです。

泉岳寺に到着
「義士祭」が行われていました
境内の中にある「首洗いの井戸」
ここで浪士達は吉良上野介の首を洗ったそうです
入り口でお線香を頂き。浪士達のお墓参りをさせていただきます
浅野内匠頭のお墓
この墓前に吉良上野介の首が供えられました
浪士達のお墓
この日はお参りする人が多数

歴史を辿るウォーキングは楽しい

吉良邸跡から泉岳寺まで約3時間、13kmの道のりを歩いてきました。
当時の浪士たちも約20kgの重装備で雪が積もる中、3時間ほどで泉岳寺に到着したという記録が残っているそうです。
その苦労を思うと、改めて彼らの決意の強さと強靭な体力に感嘆します。

歴史を辿りながらのウォーキングは、ただ歩くよりもずっと楽しく、石碑を見ながら当時の様子を想像し、浪漫に浸ることができました。

みなさんも機会があれば、歴史の舞台を実際に歩いてみてはいかがでしょうか。
きっと新しい発見や感動が待っているはずです。
私も次はどんな歴史の道を辿ってみようかな?とすでに次の企画を検討中です。


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彩花サトコ
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