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【映画レビュー】「シビル・ウォー アメリカ最後の日」~内戦の恐怖と狂気〜

映画「シビル・ウォー」を観てきた。息苦しい現実を突きつけられる、まさにメンタルをえぐられる作品だった。観終わったあと、深いため息と共に感じたのは、現代社会が抱える分断の恐怖だ。

ストーリー

物語の舞台は近未来のアメリカ。
19州が連邦政府からの離脱を宣言し、テキサスとカリフォルニアを中心にした「西部勢力」と政府軍が内戦を繰り広げている。
3期目の権威主義的な大統領のもと、混乱はピークに達していた。
そんな中、ニューヨークにいた4人のジャーナリストが大統領への単独インタビューを試み、戦場と化したワシントンD.C.へ向かう。
彼らが直面するのは、戦争の狂気と終わりの見えない恐怖だ。

戦争は説明を必要としない

この映画の特筆すべき点は、観客に何の前情報も与えず、突然戦場に放り込む感覚を味わわせることだ。
背景説明がほとんどないため、内戦に至るプロセスも曖昧だ。
しかし、これは「説明不足」ではなく、むしろ現実に通じるものがある。
戦争とは、ある日突然、理不尽に始まるものだという現実を示している。

明日起こるかもしれない現実

今のアメリカを見ていると、この映画の描く内戦が単なるフィクションに思えない。
政治的分断が広がり、ちょっとしたきっかけで大きな紛争が始まるかもしれないという危機感がある。
特に、劇中に描かれる「関わらないことが最善」と、戦火を無視して日常を過ごす人々の姿は、どこか異様で不安を掻き立てる。
SNSでの情報発信が容易な現代、こんな状況はアメリカだけでなく、日本でもいつ起こっても不思議ではない。

「話せば分かる」が通じない恐怖

もっとも恐怖を感じたのは「お前はどの種類のアメリカ人だ?」という問いに答えるシーン。答え次第で即座に殺される。
治安が崩壊した世界では、人間の残虐性がむき出しになるのだ。
出身地や背景で敵味方が判断され、理不尽に命を奪われる。
その狂気の中で最も恐ろしいのは、戦場の兵士ではなく、普段なら挨拶を交わす普通の人々が、残虐な行動に走る瞬間だ。

現実の戦争を思い起こさせる

映画を見ていると、どうしてもウクライナやガザの現状が頭をよぎる。
アレックス・ガーランド監督は「現代の戦争をアメリカ本土で過激に再現した」と語っているが、今日もどこかで銃撃が交わされ、無辜の人々が巻き添えになっていることを思うと、フィクションの世界と現実が重なり合うように感じられる。

戦争の愚かさ

何もない静かな場面に突然流れる不協和音、狙撃された死体にポップな音楽が重なるシーン――戦争の愚かしさがここまで悪趣味に描かれるとは思わなかった。
しかし、それが現実だ。
どちらの側にも正義や主義はあるのだろうが、それらは一切描かれず、ただただ人が殺され、命が失われていく。
その積み重ねが「戦争」という愚行の象徴なのだ。

この映画は、その銃声やリアルな映像で、観客に終始緊張感を強いる。
まるで自分もその場にいるような臨場感があり、戦争の恐怖を疑似体験する感覚を味わった。
心が安定している私でも疲れ果てたので、メンタルに余裕がない方には正直、あまりお勧めできない作品かもしれない。

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