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錯覚いろいろ

今日は、北九州市民カレッジ「大学連携リレー講座」の第4回目を開催した。
テーマは「錯覚の科学」で、講師は九州女子大学人間科学部教授の鍋田智広先生。

講座はお話ばかりではなく、キットを使ったり映像を観たりして、実際に錯覚を体験してみるという時間も多かった。

矢羽根の ↔ の矢の向きが内側か外側かで、中の線の長さが違って見えるという錯覚は、平面に書かれている二次元的な写真や絵などにも奥行きを感じる目の仕組みが働いているから起こることなんだそう。

こういった図形の錯覚だけでなく、注意力の錯覚についても、有名な「白い服を着た人がパスを何回しているか」という映像などを観ながらお話があった。

目に映っていたはずなのに見えていない、見落としというのは、劇的に起こるからこそ理解されづらい。
何かに集中していると、信じられないような見落としをしてしまう。

特に、スマホで話したり操作している時は、それに集中して他が目に入らないことが多い。
運転中にスマホやカーナビの操作をするのは、片手運転になるからNGになっているけれど、たとえ手が自由な状態であっても、他に注意が向いてしまうから危険。

たとえ目に映っていても、注意力の観点から見えていないこともある。
見て「わかる」には、注意を向けることが重要で、目に映っているというだけでは不十分。

錯覚は、自分で経験して初めて納得できるもの。
必ずあるものだと認識することが大事だとのことだった。

他にも、記憶の錯覚についてのお話もあった。
1円玉の数字の裏側に描かれている絵は何かを思い出して描いてみるというワークや、自分のスマホ画面のアプリの上から2行目、右から2つ目のアプリは何か思い出せるかという問いを通して、何度も見ているはずなのに思い出せない!という体験をした。

身近なものは意外と思い出せないもので、日常の場面を正確に思い出すのは難しい。
脳に保管する量は限られているから、必要なことを必要なだけ、選択的に覚えている。
忘れることで次に覚える準備をしている。

自分の中の実感が積み重なって、思い出や人格となる。
すべてをわかってもらうのは難しい。
錯覚を使って体験してもらうことで、共感できることもある、ということだった。

最後に、記憶を遡って思い出を豊かにするというワークをした。
印象に残っている幸せな思い出を3つメモしてみるというもの。

こういう質問をすると、思い出は特定の年代に偏ることが多く、思春期が多いと言われている。
でも、幸せな体験はそれぞれの年代で色々あるはずなので、幅広くたくさん思い出せることが大切。

印象的でなくとも、思い出されない多くの記憶により、人格が形成されている。
思い出すという行為は、今どこに誰といて何をしているかという、今いる状況に依存する。
忘れているのではなく、保管されているので、場所や状況が手掛かりとなって、次々と思い出してくる。

悲しみや何かを失った思い出、体験や記憶も、人格を形成する1つのピース。
どういう記憶から今の自分があるのか考えて、人生や人格を見つめることも大切。

心理学的観点で見ると、何気ない日常にもおもしろさや楽しさが見つかる、というお話だった。

実は、印象的な幸せな思い出について、私はこれといったものが浮かばなくて、途中で考えるのをやめてしまった。
お風呂につかってあったまったり、お布団の中でぬくぬくしていたり、そんな感覚的なことしか浮かばなくて、どうしようかと思った。

講座後に先生にそのことを話したら、状況に依存するから、仕事中には難しかったかもしれないですねと言われた。
また別の機会に、幸せな思い出は何かを考えてみよう。

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