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映画「森のムラブリ」感想文~生活の営みでつながる少数民族と私と

映画「森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民」を見に行った。
監督の金子遊さんと言語学者の伊藤雄馬さんがムラブリ族の生活を追ったドキュメンタリー映画。

ムラブリ族とはタイ北部ナーン県に暮らしている少数民族で400人いる。
言語学者の伊藤さんはムラブリと関わりながら、何年もかけてムラブリ語を収集しているそうだ。

ムラブリ族はタイのほかにラオスに住むグループがいて、昔から「入れ墨を入れた人食い集団だ」という言い伝えがあり交流することがなかった。
避け合っているムラブリの人たちを引き合わせたいという試みを映像化している。

映画の感想を2つに分けて書いてみた。

映画鑑賞後に伊藤さんと金子さんのトークショーがあった

①少数民族の映像化によって、私たちの生活と地続きだったのがわかって生々しい

この記事を書いているときに「ムラブリの人たちは今日もお米を食べたのかな」と異国の人のご飯事情に思いを馳せていたら、世界のギャングの食事を紹介するテレ東の「ハイパー ハードボイルド グルメリポート」で放送されていた「元少女兵の娼婦飯・闇食堂の暗闇定食」を見終わった後にも同じように考えていたことを思い出した。

28歳の娼婦が日銭を手に闇食堂の「ジャガイモの葉っぱカレー」を食べて、最後には確か「日本に来てお金持ちになりたい」と夢を語っていた。

ジャガイモの葉っぱのカレーを食べるのが精いっぱいという悲しさがなく、娼婦として仕事をするのは日常の一部に過ぎないという自分を受け入れているようで、暗さも明るさもなくただ現実が映されていて生々しい。

この番組には途上国をテーマにしたドキュメンタリーにありがちな「貧しい人が懸命に生きている」という画が一切ないところが好きだった。

「森のムラブリ」も貧しい途上国民の画を撮ろうとする姿勢がなかったから、少数民族が使う言葉や食生活に自然と目が行くようになった。

少数民族は狩猟で生活している野蛮なイメージだったが、実際のムラブリ族は街に出て物を売ったり村で米を炊いたり、妻が夫の愚痴を言うなど日本でもよく見かける描写があった。
映像化によって私たちの生活と地続きだったのがわかって生々しい。

②信頼関係を築いて「少数民族は施しを受ける立場」という考え方を意識的に省いている

少し前まで「少数民族は保護される対象」くらいの認識だった私が、「ムラブリの人たちは今日もお米を食べたのかな」と思えたのは、映像からムラブリ族の生活圏に近づけたという実感を得られたからではないか。

映像を撮るときに何を意識をしていたのかが気になって調べると、インタビューでこのようなことを伊藤さんはお話していた。

【伊藤】
ムラブリはタイの中で「経済的に貧乏な人たち」とカテゴライズされています。タイは仏教国で、施し・寄付の文化があります。

(中略)
ムラブリに何かをあげることも徳を積む行為になっていて、毎日毎日外部の人が来て、服をあげたり、お菓子をあげたりするんです。

その寄付は確かに助けになっているんですけれど、「お前たちは貧乏だ」「お前たちは施しがないと生きられない」というメタメッセージを含むことも避けられず、ある意味では侮辱なんです。

(中略)
何年も通って一緒に住んだりご飯を食べたり、ムラブリの言語や文化を学んだりすることで、「こいつは違う」ということを伝えてきたつもりです。

「ありがとう、これお金」じゃなくて、「一緒にご飯食べよう。一緒にお酒を飲もう」というやり方で友達として付き合うということを続けていました。

ムラブリ族の文字のない言葉を研究する言語学者・伊藤雄馬インタビュー
https://www.oricon.co.jp/news/2226856/full/

私が今まで見てきたドキュメンタリー映画は事実に解説を乗せたような作品が中心だったが、この映画のように作り方の違いが分かって面白かった。

ドキュメンタリー映画の撮影方法や構成の作り方を知らないので、金子監督にどこかでお会いしたら聞いてみたい。

(※1)ハイパーハードボイルドグルメリポート
https://www.tv-tokyo.co.jp/hyperhard/#jikaiyokoku
https://dogatch.jp/news/tx/48064/detail/

★映画の公式サイト
https://muraburi.tumblr.com/


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