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つながる、つながらない、つなげる。
先日、電車のシートに座ってスマホをいじっていて、目が疲れてきたのでふと顔を上げて見ました。
そうしたら、向かい側の席の座っている7名全員がスマホを見ててなんだかとってもドキドキしてしまいました。
つながっている電波をもし見ることが出来るとしたら、街中はものすごい本数の電波が入り乱れてて周りが見えなくなるとかならないのだろうか?
そういえばスカーレット・ヨハンソン主演の映画「LUCY」にそんなシーン出てきらような。
「電波酔い」(?)みたいにならないのだろうか。。
と思っている自分も今まで散々スマホを見てたので、苦笑しながらスマホを内ポケットにしまい目を閉じてみる。
みんな何とつながっているんだろう。
SNS、ニュースを見たりゲームをしたり動画をみたりメールをしたり電子書籍を読んだり、仕事をしたり。
自分自身のスクリータイムを見ると、もっぱらSNS、メール、ネットメディア、kindle等に時間が費やされていることがよく分かる。
それはそれで、人それぞれの時間の使い方。
とやかく言うものではなく、スマホという道具は確実に自分の世界を広げ、人と人のお互いの距離と時間を縮め、効果的、効率的な便利な世界を作り出している。
先日、数年ぶりにリアルで会ったのに、SNSでその人のご活躍をずっとみていたので「最近どーよ」という会話がなく、「久しぶり」感が全くない奇妙な感覚になりました。
つながり
つながる
ネット環境は、それぞれの趣味、主義、主張がつながり、集まりやすい環境にあり、ブロックチェーン技術がそれを下支えし、「部族化」して行くと言う見方も。
ネットは階級を固定する道具です。(中略)ひとが所属するコミュニティのなかの人間関係をより深め、固定化し、そこから逃げ出せなくするメディアがネットです。
もうそれが強固になってきているのかも。
ただ、一方で「人生の充実のためには、強い絆をどんどん強くするネットと同時に、ノイズに満ちたリアルな人間関係、実は弱い絆の双方が必要」(同書p16)とも東氏は述べています。
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ボストン郊外在住300人弱のホワイトカラーへのアンケートで転職のキッカケは人との
つながりでしたが、高い満足度を得たのは「たまたまパーティで知り合った」と言った
「弱い絆」きっかけに転職した人の方だったという。(同書p15)
また、「つながらない覚悟」の著者、岸見一郎氏は「偽りのつながり」を「真のつながり」に変えることの重要性について議論しています。
同書では、子供のころから「人間関係・絆は大事」と教え込まれ、子供の頃から、最近では老後にまで「つながり」を結ぶことを強制されている状況であることを述べています。
しかし、他人とのつながり、絆が依存・支配関係になってしまうこと多いと言う。
「私」を失わないためには、「孤独」を恐れてはならないとのこと。
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「つながらない覚悟」という挑発的なタイトルですが、
アドラーが語る「人と人とのつながり」をベースにした冷静でも
あたたかいまなざしで書かれている感じがしました。
「孤独」を恐れない、本当につながりたい人とつながる事の大事さとはいえ、「対人関係の見極めはできるためには、幸福とは何かを理解していなければならない」(同書p233)と、深い世界に入っていくことになりそうです。
真のつながりは、自己中心的は支配や依存関係ではなく、一人一人が自立し、しかもつながっていて、必要な人は援助し、必要な時は人に援助を求めることができる。そのような真のつながりを築けることを知れば、どんなに苦しい時でも生きていくことができる。
そうこうしているうちに、「つながり」というワードで本を漁っていると、今度は「『菜根譚からはじめる』つながらない関係」(小池龍之介)と言う本に出合いました。
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政争に巻き込まれて隠遁したと推測されている人物・洪自誠が著した書。
処世術を超えた心の持ち様が書かれています。
「つながる」、「つながらない」の前に、まずは自分の心の在り様について、儒教・仏教・道教をベースに書かれている「菜根譚」の中の30編の文章について、小池氏が生き方、心の修行法として解説しています。
つながりを個人の内面的な側面から語る一方で、「つながらない覚悟」の著者は(岸見氏はアドラー心理学研究で有名ですが)、アドラーが創始した個人心理学のキー概念の「共同体感覚」のことを語っています。
他人の人とつながっており、必要があれば助けてくれる仲間だと思えるのが人と人の本来のありかただとアドラーは考えた。
アドラーは本来、人と人はつながっていると考えている。しかし、ただつながればいいのではなく、その「つながり方」が問題であると指摘しています。
「つながる」のも、「つながらない」のも個々人の意識の持ち様ですし、出入り自由な、お互いのバランスなのかもしれません。
しかし、強い絆をどんどん強くするネット環境の生活の中で、「ノイズに満ちたリアルな人間関係」ということが改めて見直されているのかもしれません。
ノイズがあるからこそ、社会学者のマーク・グラノヴェター教授の実験のように、決して転職のシーンだけではなく、「弱い絆」によって人生がより豊かに、また、自分でも思わぬ世界に一歩踏み出せる展開になる可能性が出てくるような気がします。
「ノイズに満ちたリアルな弱い関係」
このような「つながり」を求める、あるいは、そのようなニーズに応える「つなげる」場をつくっていく。
そんなことが大事になってきそうです。