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「何かあったら」の「何か」って、その人全部ひっくるめての「何か」なのかなあ。【ゆらゆら日記】
ゆうさん、まなみさん、先日はお疲れ様でした。
思わぬご縁を頂き「スナックひきだし」での楽しい時間となりました。
「ケアスナック」無事終えて、楽しかったなあ、また機会を頂きみんなでお話し会させて頂きたいなあと思いながらの帰り道。
そんな中、「みんなで交換日記やりませんか?」と、これまた思いもかけないお誘い。
最近は、お誘い受けたら原則断らないでお受けしようと思っておりまして、今回も「はい、喜んで!」と、後先考えずにお受けした次第です。
あ、すみません。皆さまに自己紹介してませんでしたね。
私、「さとさと」と申します。
カクテルは作れませんが、お話しをお聴きすることはできますよ、ということでバーテンダーならぬ「聴きテンダー」と勝手に自分で名乗り、最近、銀座のレンタルバーや赤坂の「スナックひきだし」さんをお借りして月一程度で細々と場を開いております。
(ビールをグラスに注いだり、ハイボールを作るくらいは出来ます。。汗)
昼の顔はフツーの会社員、夜の顔は細々「聴きテンダー」。
とは言え「聴きテンダー」とはどんなことする人か、「さとバー」はどんな所か、、まだ明確にコンセプト固まっておらず。。
まずは走りながら試行錯誤しながら「社会実験」をしている最中でして、みんなにとって、ホッとできるオトナの「時空間」を提供できる「場(Bar)」を作ってみたいというのが夢なんです。
さて、私は、正直申し上げまして、介護やケアの世界とは縁のない生活を今まで送ってきております。
とはいえ、地方都市に離れて住んでいる両親は健在とはいえ、どんどん歳をとっていき、いつケアが必要になってもおかしくない状況です。
この交換日記を通じて介護やケアのことを感じ、自分なりに考えるキッカケになれればと思っています。
だいぶ(相当)前置きが長くなってしまいました。。
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さてさて、ゆうさんから渡されたバトン。
「何かあったら」の「何か」ってなんだろう?という問い。。。
これまた、なかなか面白く、考えさせられるバトンですねー
なんだか哲学的なテーマなような匂いも感じます。
一方で、実務的には何が困るんだろう、何が起きているんだろう、、あまりイメージわかず、、、
もう安直にChatGPTさんに聞いてみました。
近所の人が「何かあったら連絡くださいね」と言ったときに想定しているのは、主に以下のようなことではないでしょうか。
1.緊急時の助け
(1)転倒や体調不良などで動けなくなった場合
(2)災害(地震・台風など)時の避難サポート
(3)急に必要なものが手に入らないとき(薬、食料など)
2.日常生活のちょっとした支援
(1)重い荷物の持ち運び
(2)家のちょっとした修理や掃除
(3)買い物や外出時の付き添い
3.安否確認
(1)連絡が取れなくなったときの心配
(2)定期的な声かけや訪問
4.孤独感の軽減
(1)話し合い手になったり、気軽に交流できる関係を築く
おーなるほど、、ふむふむ、そんな感じなのかな、、。
でも、、、。
ChatGPTさんの回答はそうなのかもしれないけど、網羅的で整理されていて分かり易いけど、はたしてそれだけなのだろうか。
なぜ、お母様はBさんでもなく、Cさんでもなく、Dさんでもなく、そしてゆうさんでもなく、Aさんに電話したのかな?
Aさんはどんな人なんだろうか。
お母様が切羽詰まった状況で、それでも娘のゆうさんにはあまり迷惑かけないようにしようという思いが交錯する緊急事態の中で、ふと思い浮かんだAさん。
「何かあったら言ってね」とおっしゃった時のAさんの声のトーン、声の質、口元や目の表情、身振り手振り、醸し出す雰囲気はどんな感じだったのだろうか。
お母様とAさんとの関係性はどんな感じなのだろうか。
なんだかAさんが気になりました。
ご近所とは言え、どれほどの関係性かわかりませんが、Aさんの言葉の奥にお母様は何か感じるものがあり、「思わず」Aさんにお電話したのではないかなと思いました。
そこには、例えば、ChatGPTが整理した項番1.(1)の事項が「何かあったことでですね」というように乾いた定義をすることではなく、お互いの阿吽の呼吸?のようなもの、人間関係性とでも言うようなもので成り立っているものなのかもしれません。
なので、「Aさんが『何かあったら言ってね』と言ったから」というお母様の言葉は、「何か」ではなく「Aさん」にフォーカスされ、Aさんをお呼びしたかったのかなとも思いました。
「お言葉に甘えて」という日本語の表現がありますが、文字通りお母様にとって、その時その状況で、周囲に迷惑かけたくない中で甘えられる人がAさんだったのかもしれません。
ある意味「柔軟」で、でもある意味「さじ加減」が難しい。。
それが、「〇〇」という明確な言葉ではなく、「何か」という、代名詞「なに」と助詞「か」という、これまた色々想定できてしまう言葉。
でも「何か」という言葉は、あえて特定の行為を指定せずに、受け手にその行為の選択をゆだねるという「優しい言葉」なのではないかなとも思いました。
一方で、受け手は行為の選択を委ねられたのはいいけど、どの事項までお願いできるのか不明で、「何か」という優しい言葉にかえって混乱してしまうというやっかいな事になっている。
ということは、始めの会話の「何か」はお互い「何か」であって明確に決まっているものではなく曖昧な状況で宙ぶらりんの状況。
いざ事が起きた時に、「何か」が具体的な行為が決まって来る。
でもその具体的な行為をある特定の人にお願いするか・しないかは、お願いする人との人間関係、あるいはそれほどの関係性が無くてもお願いできる、甘えることができると思える人であるかで決めていく。
お願いされる方も、同じようなことが起きているのではないか。
そして、私の自分の親を見てても、十二分に自立して独立して今までの人生を歩んできたプライドもあり、それが「頼る」、「甘える」ということを難しくしているのかもしれません。
言葉って不思議で、「青空」という言葉ひとつとっても、ゆうさんとまなみさんと私のイメージする「青空」はおそらく(確実に)違いますよね。
どんな青の色合いなのか、朝なのか昼なのか夕方なのか、雲が出ているのかいないのか、雲が出ていたらどんな雲か。鳥はとんでいるのか、山、海はそこにあるのか、風は吹いているのか。。。
無限のイメージが広がっています。
でも、でもその無限のイメージたちが「青空」というたった二文字にしゅっと収まって、「そう『青空』っていいね」、って会話が成立している。
そして、普通に日常生活が成り立っている。
でも、いざ「青空」のポスターを制作し、販売しようとして印刷所に発注しようとする時は、*RGP値でどれくらい?とやたらデジタルな定義が入ってきて、とたんに無機質感じになってくる。
(*RGP値:赤(R)、緑(G)、青(B)の光の3原色を0~255の値で指定して色を表す数値)
「何かあったら」の「何か」も、お互いが違った「何か」かをイメージしいているのかもしれません。
でも、そこは曖昧なまま、曖昧さをもって、そして「何か」という言葉の交換の底に、何らかの安心できる人と人との関係性を維持しつつ、その「何か」をいざという時までそっとお母様は温めていたのかもしれなあと思いました。
なので、自分が思う「何か」と相手の思う「何か」が違っても、相手の「何か」に合わせていける。。こともある??
うーん、、、でも、ここまでやってきましたが、
もう一度立ち止まって考えてみて、本当にそう言えるかどうか。。
むしろ、ChatGPTでまとめたリストの項目をメニュー表にして「何か」をお互い確認したり、あるいは、それぞれの項目をサービスとして料金を設定して提供した方が、安心安全スッキリで、確実にサービスを受けるられる方が本当はいいのだろうか、、。
その方が介護する方々、そして介護される方々にとっても良いことなのかなあ。。
なんだか、初回からゆらゆらしてきましたw
「ゆらゆら日記」、いいネーミングですね。汗
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「でもね、さとさとさん。そんなこと言ったって現実はね、、。」
とニコニコしながら、まなみさんが語りだす声が聞こえてきそうです(笑&汗)。
ということで、この「テーマ」、「お題」に関しては、まなみさんからも是非お聞きしたく、恐縮ですが、そのままバトンをお繋ぎしますっ!
(なんだかスルーパス?汗)
まなみさん「何かあったら」の「何か」で何でしょうかね?