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戦場から帰ってきた馬たちの魂

子供の頃、中国残留孤児と言われる人たちが、生き別れた肉親と対面を果たして泣き崩れるニュースがよくやっていました。
でもその方達のその後は、日本語が話せなかったり習慣が違ったりで、大変なご苦労をされたと聞いたことがあります。そんなことを思い出しつつ・・・。


『エリザベスの友達』 (村田喜代子著 新潮社)という本では、出征した馬の話が出てきます。馬だけではありません。犬、鳩も大陸へ渡り戦死し、または置き去りにされ、あるいは殺されて毛皮にされます。
物語の中で、戦争に供出された動物たちが魂となって飼い主のもとへと帰ってくる場面があります。
でもこの物語は動物の話ではないのです。
高齢者施設に住まう認知症高齢者の群像劇で現代の話。主人公の母は満州で終戦を迎え、子供を抱えて必死の帰国を果たします。認知症を患うこの母親は、現代の施設の中で満州時代を生きている、そんな物語です。
馬のエピソードは少ししか出てきませんが、そのシーンにいたく感動したので、noteでご紹介したいと思います。

☆  ☆  ☆

病める人々

登場人物たちは「魂が剥がれて」いくような病の今を、車椅子やベッドの中、果てのない自由な記憶の中で生きる人たち。
そんな認知症を生きる人々を「不幸ではない」とする書評もあるが、当事者以外の誰も、幸せか不幸せかなど分かり得ないと、病者であり障害者でもある私は思う。幸せなのかも、と思うのは、過酷な病状を見続ける介護者の願いではないのかと・・・。
物語がまるで二重構造のようなのは、高齢者施設の住人たちが生きている『記憶』の世界が、ほとんど戦争中だからだ。戦中戦後を無我夢中で生きた記憶を持つ人々が、今、高齢者施設でその時代に遡って生き直している。そんな彼らを、介護者たちは決して否定せずに、うんうんとうなづいて見守っている。

牛枝さんの記憶に残り続ける馬たち

「牛枝」さんという認知症のおばあさんが出てくるのだが、彼女の家では3人の兄と3頭の農耕馬に召集令状が届き、全員が出征し誰も帰ってくることはなかった。農業の働き手を全て失い、牛枝さんはがむしゃらに働く。
時がたち、年老い、病床の牛枝さんの元に3頭の馬がやってくる。
迎えにきた、という。
こんなに優しい瞳の馬たちを遠い海の向こうの戦場へ送り、死なせ、または生きたまま置き去りにしたことを、牛枝さんは心から謝る。
「許せ。許せ。人間ば許してくれろよ」
動物たちは少しも怒っていない。ただ迎えにきただけなのだ。
とても胸を打つシーンだった。

犬を戦場へ行かせたお爺さん

他にも、犬を供出した認知症のお爺さんのエピソードもいい。
よく帰ってきたよく帰ってきた、腹が減ってるだろう何か食わせねば・・・。
これは、高齢者施設に訪れたセラピードッグを見て、かつて可愛がっていた大型犬を戦場に差し出し、死なせてしまった認知症のお爺さんの言葉だ。

馬も犬も鳩ですら、はるばる日本まで、飼い主さんの元へ魂が帰ってくる様が描かれていて、著者の、隅々までの生き物への眼差しが感じられる。

介護者たち、または介護する障害者

現実を見失い過去の記憶の中に生きている人たちと、現実の中で時間や経済、体力が逼迫する中、捨ておけない愛する人を介護する人たち。
介護者たち全てに温かい眼差しがあり、虐待などの悲惨は出てこないため、物語に悲壮感はない。
ただしそれぞれに抱えている事情がある。

この主人公は牛枝さんではなく初音さんという高齢者と、彼女を介護し見守る娘の千里だ。
例えば、千里の姉満州美は脳疾患の後遺症で片麻痺が残る障害者である。
仕事一筋の独身女性が、ある日突然病に倒れ障害を負い、母の介護の手伝いをする中、自身の先々と孤独を思うシーンがある。
私は脳疾患ではないし、障害歴は40年なので少し立場は違うかもしれないが、老いた親を持つ独り身の障害者、そういう期間を何年も過ごしたので、満州美の思いはとてもよくわかる。
結婚出産を経験せず、着実にキャリアを積み重ねた挙句、病に倒れたり、親の介護に明け暮れたりする女性は私の身近にもいる。物語全体に対しこのエピソードは小さく割かれているが、非常に現実的で実に重たい。

力強い女たち

男を喪った戦中戦後の女性たち、介護と仕事が両立できなかった現代女性、障害を負い仕事を辞め夢を諦めた障害女性(満州美)など描かれるが、中でも際立つのは乙女さんという施設の認知症高齢者だ。
「家も国も山も海も人も動物も守ろうと思う」
戦争中の乙女さんは言う。
「産むことと殺すことは裏表」。
男手なく貧困に喘いでも、子供を飢えさせまいと乙女さんは牛馬のように働き続ける。
彼女たちが特別なわけではない。そのような状況になれば誰だってがむしゃらにやるしかない。病や障害も同じ。耐えられるとか耐えられないとかではなくて、そうなった以上、受容して、どうにかするしかないのである。

どうしても動物のことが気になる

この物語で感じ取るべきことは、 認知症の事、高齢者の事、介護の事、そういった現実問題とその時々の我々のありようだと思うが、今の私は動物のことばかり受け止めてしまう。

いつの時代も、こんなふうに動物たちは人に利用され死ぬのだろうか。
戦争で犠牲になるのは弱いものたちだ。子供、お年寄り、女性。そしてその地に暮らす生き物たち。
この猛暑でも、または地震でも、動物のことは忘れ去られがちだ。特に畜産動物は、災害があれば見殺しになってしまうことが多い。
この飽食の時代。
それでも食べ放題に肉を食べ、動物園やサーカスや水族館で身近にいない動物と、彼らの芸を見て喜ぶ。
動物にだって、故郷があり家族があったはず。なぜ、どうやって狭い檻やプールの中に連れてこられたのか、なぜ芸をするのか。
そこに疑問符をつける人が一体どれほどいるだろう。野生動物は芸なんかしない。海や森や、そんな故郷で家族と暮らすのが一番なのではなかろうか。あの馬たちのように、魂は帰りたがっているのではなかろうか。

☆  ☆  ☆

さて、本のタイトル、なぜ西洋女性の名前『エリザベス』の友達なのかは、ご興味ありましたらぜひ読んでみてください。とても読みやすいです。

また、出征した馬の話は洋画にもあった気がします。こちらこそ馬が主役、戦場が舞台です(内容はうろ覚えですが・・)。
『戦火の馬』、だったかな。

長文にて、大変失礼いたしました。読んでくださった方、どうもありがとうございます。
8月15日に合わせたかったんですが、逸してしまいました。戦争のない世界を願っています。

最後まで読んでくださってどうもありがとうございました!