穏やかな朝
朝起きて、「あ、今朝は心が軽い。何かが抜けた感じがする」そう感じた日曜の朝。
子どもたちはまだ寝ている時間。カーテンを開け、眩しく輝く太陽に手を合わせる。その足でトイレへ向かいトイレ掃除をする。歯ぶらしをくわえながらケトルにお湯を沸かし、あぁ、文章書きたいな、なんて気持ちが湧いてくる。macをダイニングテーブルへ運んできた。あ、でもその前に父の写真と神棚へお水と感謝を伝えましょう。あ、榊のお水も替えなくちゃ。動きながら、浮かんでくるあれやこれ。私の朝は毎日のルーティンからはじまる。これを繰り返しかれこれ12年ほどになるだろうか。
毎朝文章を書くのは、自分の心を整えるひとつ。今日という1日のテーマが出来上がるようだ。書けない時もある。以前は、毎日書き続けているのだから、書かなくちゃ、と、勝手な義務感を自分に課していたけれど、今はそれをやめた。
書くことは義務でも何でも無くて、自分のハートの声に従って動いてみよう、それを大切にするようになった。
毎日書き続けていると、それを楽しみにしてくださっている声をいただくことがある。私は自分が好きでできていることなんだけれど、そのことが誰かへ”勇気”や”元気”を渡していることに気づかせてもらった。初めて耳にした時には、正直驚いた。こんな拙い文章で、誰かを勇気づけているとしたら、なんと光栄なことだろうと感じた。ありがたいな、嬉しいなぁ、と素直に思えた。
自分が気づかないこと、難なくできることで誰かを笑顔にできるなんて、これってなんて幸せなことなのだろうなぁを思う。そしてそれは、私だけに限らず、誰しにもあること。誰かの笑顔を創ることは誰にでもできる。みんなが目の前のたったひとりの人を笑顔にしたら世界は簡単に優しくなるはずだ。
今朝はFacebookの記事を書くよりも長い文章を書きたい気持ちだなぁ、とmacに向かう。デュフューザーに好きなアロマのオイルを垂らし、スイッチをONにした。息子が起きてきて、「朝ごはんお願い」と声がする。書きたい気持ちをそのままに、キッチンへ立つ。珈琲豆が切れていたことを思い出し、インスタントのカフェオレ見つけ「うほっ♫」と嬉しくなった。カップにお湯を注ぎ、朝ごはんのオレンジを切る。自分のハートを満たすこと、誰かのハートを満たすこと、その両方ができる人間って愛だね。