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読書と心の中の格ゲーおじさん

仕事が忙しくなると読書ができなくなる、という話を最近聞いたが、共感できる。
私はもともと熱心な読書家というわけではないが、動画よりも活字の方が頭に入ってきやすいタイプなので、知識を増やすためにも読書する時間がほしいと思っている。積読もそれなりにたまってしまっている。

日常的に読書するための空き時間が全くないわけではない。
ただ、仕事では書類を読んだり、メールを書いたりすることが多いため、その空き時間に本を開いて読書する気になれないのが現実だ。正確に言うと、読書が仕事の疲れを癒すリフレッシュになっていないから、やる気が出ないのだと思う。

さらに、読書の欠点として「ながら作業ができない」点もあるかもしれない。
個人的には、読書のライバルは動画視聴だと感じているが、動画は筋トレをしながら、朝の準備をしながら、さらには食事をしながらでも視聴できる。一方、読書はそうしたマルチタスクには向いていない。
電車移動が一番読書に向いている時間だと思っていたが、最近は三半規管が弱ってきたのか、移動中に本を読むのがつらくなってきた。
むしろ電車移動中はイヤホンで音楽やラジオを聞いていないと、不安を感じてしまうことが多い。

読書をしない理由を並べるのは生産的ではないし、良くないとも思っている。
よく考えてみると、例えば食事中に読書することはできるかもしれない。お行儀はあまり良くないけどね。
それよりも、私は「読書」という行為に対して、他の人よりも無意識に構えすぎているところがあるのかもしれない。
対戦ゲームでも、初心者ほどランクマッチに対して緊張したり、苦手意識を持って避けたがるものだ。
それに関して、普段からゲームをやる側の立場から初心者に言えるのは「やってみなきゃ何も始まらない」ということだ。(個人的には)
「こいつ、うぜー」って思うけど、結局読むしかないんだよな。

最近では、迷ったり悩んだりしたときに、何事も格ゲーに置き換えて考えることが増えてきた。
格ゲー理論では、分析や分解して考えることももちろん大切だが、まずは試してみる、動いてみる、やってみることが何より重要だ。
そして「ウダウダ言わずに行動しろ!」が9割正しい。トライアンドエラーを繰り返して、何度やってもダメだったら、その時初めて手を止めて考えればいい。
世の中の大半の悩みは、行動を始めることで解決するし、今何を優先すべきかが見えてくることが多い。そして、私の心の中の“格ゲーおじさん”は、「でも、だって、できない」といった言い訳を並べて時間を無駄にするのが、一番解決から遠ざかることだと指摘してくる。

心の中の格ゲーおじさんは、いつも正論だなと思うが、実際に自分が指摘される立場になると、厄介な相手だと感じることもある。
それでもまあ、悪いやつじゃないんだよな、心の中の格ゲーおじさん。少しずつだけど、読書を再開してみようと思う。ありがとう、心の中の格ゲーおじさん。


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