図書券
学生の頃、祭事やお祝いごとでよくもらっていた図書券。誰からもらったのかは記憶にないが、「子供だけの街の清掃大会!参加者自由!」みたいな、な街のお年寄りだけが喜びそうな事実上のボランティアイベントに(嫌々)参加すると、子供心を理解できる偉い大人がこっそり渡してくれるのが図書券だった。
大人になって気づいたが、図書券というシステムは実にうまくできている。
まず、子供に労働の対価として現金を渡すのは、やはり刺激が強い。
1000円なんかもらったら、その子供がどう使うか心配だ。ゲームセンターに行って、浮かれてヤンキーにカツアゲされるかもしれない。
せっかく喜ぶと思って渡した1000円が苦い思い出になったり、非行のきっかけになるかもしれない。
あとはその子供の親に1000円を回収されてしまうパターンも考えられる。これは全く夢がない。
労働の対価を自分より上の存在に巻き上げられるという経験は大人になったら一生続くのだから子供の時くらいは自由に使わせてやれと思う。子供には寝ている時だけではなく、起きている間にも夢を見るのだと教えるべきだ。
これは自分の墓石に彫ってもいい言葉だ。かっこよすぎる。
(残念ながら松岡修造氏の言葉なのだが)
とにかく、子供に現金をあげるのは年に一度のお年玉だけでいい。
では、「現金の代わりに文房具をあげる」というのも一見無難に思えるが、実際は最低のアイデアだ。
学校には文房具に関する暗黙のルールや不文律があり、変なものを持っていると即「イケてる」「イケてない」が決まる。
私も子供の頃、ビンゴ大会で「ボンバーマン3のイラスト手帳」をもらった時、センスのなさに絶望した記憶がある。
子供は手帳なんて使わないし、付属のぶっといボールペンも使いたい時にはカスカスで役に立たない。
ゲーム好きの一人として擁護するがボンバーマンが悪いわけではない。ただ大人が考えている以上に学校という思春期を抱える少年少女の坩堝にはTPOが存在するのだ。(ロックマンXだったらギリギリセーフ)
文房具を与える案は相当なリサーチができてない限り却下するべきである。
その点、図書券は良い選択肢だ。現金のように非行に走るリスクも少なく、親に回収される心配も少ない。自分で本を選べるから、センスの問題もクリアできるし、買った本を見ればその子の興味や趣味もわかる。
さらに、図書券にはとっておきのメリットがある。
私が学生の頃、浦和市が大宮市や与野市と合併してさいたま市になるタイミングで図書券をもらったことがある。
誰がくれたのか全く覚えてないが、とにかく図書券をもらったのだ。
もらった帰り道に普段はあまり行かない大きな本屋で私は本を買うことにした。
ただ、この本屋で図書券が利用できるが気になったので入口の近くにいた40~50代の男性の店員に図書券が使えるか聞いてみた。
男性の店員は私を無知な子ども扱いすることなく、「ええ。当店で図書券を利用できますよ!」と親切かつ丁寧に対応してくれた。
この人は良い店員だなぁ。なんて私が思っていると店員の男は私に近づき、周りに聞こえないように耳打ちをする形で私に呟いた。
「しかも… お釣りもでます…!」
その男の声は周りには聞こえない声量ではあったが、確固たる自信を感じる囁きだった。そして男は「必要なことは全て教えた…」と言わんばかりにそれ以上は語らず、悠々とその場から去って行った。
それから私は図書券をもらえばここで本を購入していた。
理由は言わずもがなだ。
最初に散々「子供に現金を与えるのはよくない」と言ってきたのだが、これに関して言えば少し違う。
『図書券は特定の本屋で使うとお釣りがもらえる』という、生きるための知恵を手に入れることができたのだ。
こうした生活の知恵は与えられるだけではなく自らの体験で学ぶ事が大切だと思う。これは小さな成功かもしれないが、人生は意外と小さな成功の積み重ねが肝心だ。
子供には生きるための知恵を己の体験と直感で見つけてほしい。
それが自然と身につけばきっと将来の役に立つだろう。
やっぱり図書券には夢がある。
完