モノクローム 光るネオン
逃げ場のない会話をする人が、苦手。
話の上手い下手ではなく、一方的な会話をする人とは仲良くなれない。その人の人間性か、欲求が強いのか。気に入った相手を一方的に囲うような話し方。私にはそれがいつも窮屈で息苦しい。相手の感情や自由性を押し留めていい訳がないのに。そういう人とはどうにも深く関われないし、離れたくなる。本当はもっと関わった方が勉強にもなるのだけれど、プライベートではどうしても心が拒絶する。無意識な自己防衛。
東京はいつも灰色に塗れている。決して悪い意味ではなく、白も黒も許すような、それら全て内包して受け入れているような、そんな色。駅から出た瞬間に映る。見慣れた東京は、いつも灰色に着色されていた。人間性も性格も本能も理性も、女も男も真ん中も全部。ボーダーラインすら曖昧な灰色は、滲むことすらなく平等に塗られていく。私もちゃんと染まっているだろうか。染まっていなくても、誰も追い出せやしないのに。
逃げ場所を求める時間がある。
それこそ歩き疲れた時や待ち合わせ、暑さに喉が乾く時。不意に目の止まる場所、思い出せる場所、そこまで行ける道が、どうしても必要な時がある。逃げ場所を持たない人は常に彷徨う。朝を嫌悪し、昼に怠惰、夜に疲労する。心を侵食するように暗い影が広がり続ける。じわじわとゆっくりと蝕まれていく。
暗い部屋の片隅で朝を待つ夜は余りにも長い。その時間が私には何より息苦しかった。洗脳するかのような逃げ場のない言葉は、ゆるりと首を締めていく。愛の欠片すらない言葉に抵抗できるわけもない。でも逃げ場所もないのだ。逃げ場所を持たない人が今では余りにも多過ぎて、灰色の東京に溢れていく。
ぼうっと、窓の外を見みていた。
効きすぎた冷房に冷やされた手は、自分では温められない。冷たさが冷たさを奪い取って、更に冷たくなるだけ。私は諦めて温かな紅茶を注文する。手が冷たい人は心も冷たい、なんて言葉があったな と自嘲してみせる。自分の心の冷たさは、自分で測っても仕方ない。元より、人より温かくいよう なんて、思ってもいない。窓の外に見える人波は、訓練されたかのように滞りなく進んで行く。それがとても心地良い。
東京に住んでいた頃は、何処へ行くにも悩むことはなかった。山手線の左回り、一駅ずつ順番に降りてみる。誰かに会いたいわけでも、誰かを探したいわけでもなかった。ただ、そこにあるはずの〝不確定な楽しみ〟を見つけに行くことが嬉しかった。履きなれた靴も良いけれど、踵を鳴らせるヒールも苦痛ではなかった。疲れ切った脚を引き摺るように過ごす毎日は、夢を見ない眠りのようで何だかとても嫌だった。
温かな紅茶を冬に飲みたい。
水族館で動物園で、出来れば好きな人と一緒に。無理に温度を合わせるでもなく、無理に歩幅を合わせるでもなく、ただ自然とタイミングが合うように。逃げ場のない会話でお互いを囲わなくても〝そこにいる〟と思えるような、そんな他愛ない会話をしながら。良い人間になどなれない。決めるのはいつだって自分ではない誰か。そこに価値を求めるようなことも、無理に微笑むこともしなくて済む時間。
夏が好きか、秋が好きか。冬が嫌いで春が楽しい。そんな話ができるだけで、幸せだと思えるような瞬間。あなたにも逃げ場所があるといい。愛に囲われることで幸せを得るような、自由を保証されることで楽しめるような、そんな居場所。平等に過ぎる時間の中で、ほんの少しでも泣けるような場所があればいい。
いつもの喫茶店、窓の外。
日が暮れても人波は相変わらず、一切の滞りも見せずに進む。ストリートミュージシャンの楽器と歌声が響く街。
モノクロームに光るネオン。あなたには何色に見えるのだろう。
隣の席で煙草に火を着ける、渋い顔の女性。香るメンソールをそこに残して。
完飲した温かな紅茶に感謝して、今日だけは同じ色に塗れるために踵を鳴らした。