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不登校を経験して気づいた『言葉の力』

私は小学4年生から5年生、中学1年生から2年生の間、不登校を経験しました。その原因となったのは『言葉の暴力』。

今回は、そのときの苦しみ、支えてくれた人々への感謝、そして私が再び前を向けるようになった『言葉の力』についてお話しします。

不登校のはじまり『言葉の暴力』

きっかけは、小学4年生のある朝。
通学路で出会った小学5年生の上級生2人に、「メタボ」とからかわれたのです。その言葉の暴力は唐突で、最初は何を言われたのかわかりませんでした。
彼らは笑いながら私を指差し、何度も同じ言葉を繰り返しました。心の中にじわじわと広がる恥ずかしさや痛み。何も言い返せず、ただ立ち尽くしていました。

しかし、それは一度きりではありませんでした。毎朝、同じ時間、同じ場所で繰り返される言葉に、私の心は少しずつ壊れていきました。
「また今日も何か言われるかもしれない」そう思うだけで体がこわばり、登校するのが怖くなりました。そうして、私は学校に行けなくなってしまったのです。

ある日、不登校になった私に、担任の先生が自宅を訪ねてくれました。勇気を振り絞って上級生たちのことを話すと、先生はすぐに対応してくださり、彼らが目の前で謝罪する場面もありました。

しかし、傷ついた心はすぐには癒えません
「またいつか同じようなことを言われるかもしれない」という恐怖は消えず、小学5年生の間も学校に戻ることはできませんでした。

小学6年生での再出発『言葉の力』

転機が訪れたのは、小学6年生になったときです。あの上級生たちは卒業し、もう会うことはありませんでした。
それでも、2年間の不登校生活に慣れてしまった私は、学校に戻る一歩を踏み出せずにいました

そんな私に手を差し伸べてくれたのは、新しい担任の先生とクラスメイト。担任の先生は「いつでも好きなときにきていい」と優しく声をかけてくれ、クラスメイトたちは「元気?」「学校で待ってるよ」と笑顔で話しかけてくれました。彼らは毎日のように私の家にわざわざ来てくれたのです。
その『言葉の力』はまるで光のように私の心に差し込み、私に学校へ行く勇気を与えてくれました。

小学6年生での学校生活は、私にとってかけがえのないものです。クラスメイトとの笑い合い、初恋、そして先生との交流、そのすべてが失われていた「学校の楽しさ」を取り戻してくれました。
卒業式の日、感謝の気持ちが溢れ、涙が止まりませんでした。

この経験が、後の私を支える大きな力になったのです。

2度目の不登校と難病の発症

しかし、中学校に進学すると新たな試練が待ち受けていました。今度は同じクラスメイトから「いなくなればいいのに」と言われるようになり、その言葉は私の自信を奪い去りました。
自分が価値のない存在のように思え、孤独と恐怖の中で泣きながら過ごす日々が続きました。

不登校の期間は中学1年生から2年生まで続きましたが、「このままではいけない」と思い始めたのは中学3年生の頃。受験という現実が、私を動かすきっかけとなったのです。

ところがその矢先、全身性エリテマトーデス(SLE)という難病が発症しました。この病気はストレスと因果関係があると言われています。
今思えば、いじめによる心の負担私の体にも影響を及ぼしていたのかもしれません。

まとめ

いじめや不登校の経験は決して軽いものではありません。

しかし、その中で得た教訓や、人々の支えが私を強くしてくれたのも事実です。『言葉』が持つ力の重さ、人を傷つけることの恐ろしさを学びました。そして同時に、『言葉』の優しさ、思いやりが人の心を救う力になることも実感しました。

今では、その経験をもとに、誰かの助けになりたいという気持ちを強く抱いています。私の体験談をSNSで発信したり、悩む人々の話を聞く活動を通じて、少しでも力になりたいです。

過去の自分が助けられたように、今度は私が助ける側になりたい、そう願っています。

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サーシー
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