多様性を保つには、感情的な自立って重要だよね
先日、ご近所さんを巻き込んでの、ちょっとした騒動がありました。
今は特に動きはありません。
騒動の発端になった方、仮にAさんとします。
Aさんは私より10歳くらい年下の女性で、去年私と同時期に、今の地域に引っ越してきました。
その縁で、会えばおしゃべりしたりする関係なんですよ。
(今住んでいる所って、結構みなさん気さくで、和やかです。)
で、私は発達凸凹もあり、ちょっと変わっている(w)ので、最初に言っておいたほうが無難だな、と思い、おしゃべりする間柄の人には「ちょっと障害がありまして…」と伝えてあるんですよ。
そうしたら、Aさんも障害(双極だそうだ)がある、ということで、私も親近感を持って、お互い困ったことがあったら助け合おうネ、なんてことを言っていたんですよ。
数週間前、Aさんから突然、
「具合が悪くて動けない。申し訳ないけれど食料を買ってきてもらえないか」
という電話があり、私はびっくりして
「いいよ。明日でよければ行ってくる」
と引き受けたんですよね。
で、買い物をして届けた日の夜、過呼吸で息も絶え絶えなAさんが家に来て、
「ちょっと家に入れて。お話聞いて。」
と言われ、またびっくりして
「いいよいいよ。」
と家に上がってもらったんですよ。
「一人でいることが不安だ。今晩ここにいてもいい?」
ということで、一晩お話を聞いたんですよね。
私自身障害があり、自助会などにも出ていたりするので、こういった話を聞くのは慣れているし、好きなんですよ。
自分自身の振り返りにもなりますし。
で、Aさんの生い立ちや、良い事も悪い事も含めた今までの経験、などなどを、「それは辛かったね…」と聞いたんですね。
実際、Aさんのいままでの人生、病気にしろ家族関係にしろ、かなり大変だった様子でした。
ひとしきりしゃべって落ち着いたのか、Aさんは明け方、帰っていきました。
翌日の日中、Aさんから
「また話をきいて欲しいのだけれど…」
と電話があり、今度は私がAさんの所に行ったんですよ。
そうしたら、その辺から「?」と思うようなことをいろいろ頼まれるようになり…。
例えば、
「ささよさんが『用がある』ということにして、自治会の役員さんを、私(A)の部屋に呼んできて欲しい」
とか…。
夜中に「集合ポストの荷物を取ってきて欲しい」とか…。
「待っているので落とし物を探してきて欲しい」とか…。
鈍い私でも、この辺りで気が付いた。
これは構い過ぎてはイカンタイプだ!と…^ ^;
彼女にとっては、何かを手伝ってもらう事以上に、
【他者が無償の愛で自分を構ってくれる事が重要】
なんですよね…。
Aさん当人や、自治会の人を交えての話から見えてきたのは、
Aさんには幻聴の症状があり、近所の人がAさんを非難したり過剰にほめたりしている、と思い込んでしまっている。
Aさんは他の近所の人にも《使い走り》のようなことを度々頼んでいて、その人たちから敬遠されている。
Aさんは家族から「できない要求ばかりして、いい加減にしてくれ!」と怒鳴られてしまい、今は家族に頼れない。
主治医からも《病院への電話禁止》を言い渡されているらしい。
自治会の中では「Aさんは、一人暮らしは無理なんじゃないのか?…」という話が出ている。
…なかなか、大変です…。
Aさん自身、決して悪い人ではないんですよ。
しっかりしている時は、とてもしっかりした人なんだと感じます。
ただ、病状が安定していないんですよね。
本人には自覚はないのかもしれないけれど、
【全力で他人に甘え放題】
をしてくるのって、パーソナリティー障害なんかでもよくある、病的な行動なんですよねぇ。
たぶん家族なんかは、それが病気からくるモノだとは思えないから、
「過剰な要求や甘えはいい加減にしてくれ!いい大人に全力で覆い被さられたら、こっちがつぶれる!」
となってしまったんだろうなぁ、と思います。
こういうのって、病状の軽い時期に、混乱しはじめたらどこを頼れば良いかを自分で考えておく必要があるんですよね…。
WRAPで言う、クライシスプランです。
その辺りの工夫をできるかどうかが、精神障害のある人が一人暮らしをできるかどうかの『境目』になるんじゃないかと思います。
元気な時には自身に障害があることを忘れてしまうほど元気、というのは、自分の限界を忘れてしまうことになるので、後から問題が起こってしまうんですよねぇ。
そこを考えると、双極性障害の人は、単純な抑鬱よりも辛いのだろうなぁ、と思います…。
精神的な症状って、結局、
感情の混乱から認識の歪みが起きて、更に感情が混乱して問題行動に発展する
ということなんでしょうねぇ。
逆に、感情の混乱が落ち着けば認識の歪みも修正できるし、問題行動も無くなる、と思えるんですよ。
自分が持っている自分自身への評価が、とんでもなく上がったり下がったりすれば、そりゃあ感情は落ち着かなくなりますよね。
Aさんもそんな感じなんじゃないかと思ったんですよ。
他者の目が気になり過ぎてしまう、とでも言うのか…。
結果、「特殊な病気で可哀想な自分は特別だから、特別に甘えさせてもらうのは当然だ」みたいな認識になってしまい、行動が非常識になってしまう…。
そして、甘えさせてもらえない事がわかると、一気に自己否定に走ってしまう…。
そういう言動って、他者に罪悪感を植え付けてしまうから、嫌がられてしまうんですよね…。
私も含めた『変わった人』『病気の人』が普通に生活するためには、感情的な自立って、すごい大事だと思うんですよね。
今回の出来事も、「具合悪いからちょっと用事を頼まれて」という事自体は、それこそお互い様で、良いと思うんですよ。
でも、「感情的にベッタリと甘えさせて」というのは、小さな子どもでもない限り、家族であっても無理な事だと感じるんですよねぇ。
多様な人が、それぞれに快適に生活するには、感情の自立・バウンダリーを保つってすごく大切だよなぁ、と思った次第です。