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2024年 コンパッションの振り返り(人生の宿題)
夫の母のこと
実家の両親はすでに他界していて、私は夫の両親の面倒をみています。
実家の両親と夫の両親はまったく正反対で分かり合えませんでした。
実家の母は夫の両親のことでとても悲しい思いをしたのに、母は私にこう言いました。「向こうのお母さんお悲しませないでね。」と。母は自分が夫の母からされたことを私に教えたのを後悔していたのではないかと思います。
母の言葉は私に呪文をかけたようで、日々、認知機能が衰えていく義母の介護は嫌ではなかったし、反射的に体が動くような不思議な感覚でした。義母は、自分がいろんなことを忘れてしまうことに耐えられず、仕事をしている私をつかまえて一時間も二時間も嘆き、それを根気よく聴き、気分転換に公園に連れ出し、時には冗談を言って笑わせる。そんな日々が3年くらい続きました。そして去年の11月、三度の大きな手術に耐えた義母の血管は持ちこたえることができなくなって、亡くなりました。90歳でした。
残された三人の暮らし
私と夫と94歳の夫の父と三人での生活が始まりました。
私と義父も気が合いません。
左手を使わないで食べる仕草も見たくないし、パジャマのまま土いじりをするのも、庭仕事をするジャンパーを着て食卓につく姿も見たくない。作った料理はおいしいもまずいもなく食べ、買ってきたお惣菜に「うまい!」という、その一つ一つに腹が立ちます。
なぜ母は「向こうのお母さんに」と言ったのか、なぜ母は「向こうのご両親に」と言ってくれなかったのか、筋違いの恨みつらみを思い、仏壇の義母に「おじいちゃん何とかしてください」と心の中で叫ぶ。コンパッションのかけらもありません。
夫は義父をつれて、家の中で着る暖かいフリースのジップアップジャケットを買いに行きました。でも買ってきたのは昔ながらの綿入れ半纏。さすがに現在の素材は暖かいし軽い。なかなかいいじゃないかと思ったけれど、Lサイズは小柄な義父には大きすぎます。思わず「直しましょうか?」と言っている自分に少し驚きました。
作務衣のように前を閉じることができるように紐を付替え、袖口を10cmほど上げてお味噌汁のお椀に袖がかからないように縫いました。
珍しく苦手な裁縫をした次の朝、義父がにこにこと「これはいいね」と言って笑いました。私は「大丈夫そうですか?お義父さん。良かったです。」と返しながら、穏やかな優しい気持になっている自分を感じました。夫が「もうできているとは思わなかったみたいだよ。」といいました。何かが少し解けていくようでした。
人生の宿題
こういう宿題が人生にはあるのだと思います。こう書いていたらわけもなく涙が込み上げてきました。
2025年は穏やかに、心安らかに過ごしたい私です。