見出し画像

#5 「作る」から「探究する」へ:教育現場における思考と場の再構築

プロローグ:なぜ今、探究なのか

野邉みなも氏と笹埜健斗氏は、これからの探究学習の在り方について語り合った。教育現場で日々生徒たちと向き合う野邉みなも氏と、社会情報学の視点から教育とAIの関係性を研究する笹埜健斗氏。二人の対話から見えてきたのは、「作る」ことに偏重しがちな現在の探究学習の課題と、その先にある可能性だった。

第1章:「物を作る」という誘惑

野邉みなも(以下、野邉):「先生、私たちも何か作りたいんです」って、またチームが来たんです。先輩たちが作ったものが新聞に載って、自分たちも何か形になるものを…って。

笹埜健斗(以下、笹埜): あー、よく分かります。「作る」という行為に安易に逃げたくなる気持ち。でも、そこには深い問題が潜んでいると思うんです。

野邉: そうなんです。生徒たちは必死に考えているんですが、「なぜそれを作るのか」という本質的な問いが抜け落ちている。先生方も、つい「いいね、それで行こう」って…。

笹埜: そこですよね。メディアにも問題があって、「高校生が○○を開発!」みたいなニュースばかりが取り上げられる。でも、社会に出たら、そんな単純な話じゃないんですよね。

野邉: ええ。企業だって、新商品を出すまでには膨大な調査や実験、失敗の積み重ねがある。その過程を軽視して、ただ「作った」で終わらせていいのか…。

第2章:安易な開発から本質的な問いへ

ここで笹埜氏は、ある高校での印象的な事例を語り始めた。

笹埜: 最近、あるチームがAIツールを開発しようとしていた事例が興味深かったんです。当初は「社会問題を解決するためにAIを使おう!」というシンプルな発想でした。

野邉: それで、どうなったんですか?

笹埜: 面白いことに、実際その仕事をされている方々に話を聞きに行ったんです。そしたら、「そんな簡単に作るものではない」と指摘された。他方、IT企業からは「そんなものを作って責任を負いたくない」と言われた。

その経験から生徒たちは、テクノロジーだけでは解決できない問題の存在に気づいていったんです。例えば、こんなやりとりがありました。

(生徒)「でも、技術的には可能なはずです!」

(笹埜)「自動運転を例に考えてみましょう。技術的に可能だからって、みんなすぐに自動運転車に乗りますか? 事故が起きたときの責任は誰が取るのでしょうか?」

(生徒)「あ…社会の部分が抜けていたかもしれません…」

野邉: その「気づき」こそが探究の本質かもしれませんね。

笹埜: そう思います。結局このチームは、AIツールの「開発」ではなく、「AIツールを実現するために必要な倫理ガイドラインの研究」という方向にシフトしていったんです。

第3章:思考法の再構築

この事例を踏まえて、笹埜氏は探究学習における三つの重要な思考法について語り始めた。

笹埜: 私は最近、探究学習に必要な思考法を三つに整理しているんです。「それなら」「むしろ」「そもそも」。

野邉: 面白い整理ですね。もう少し詳しく聞かせていただけますか?

笹埜: まず「それなら」は論理的思考。例えば、「問題があるならば、それを解決する方法を考えよう」という直線的な思考です。多くの生徒はここから始めます。

でも、そこで終わらせないために「むしろ」という水平思考が必要なんです。「むしろ、別の角度から見たら?」という発想の転換。

そして最後が「そもそも」。これが一番難しい。「そもそも、なぜその問題が起きているのか?」という本質的な問いかけです。

野邉: 確かに、生徒たちの思考の深まり方を見ていると、その通りですね。でも、「そもそも」って言うと、生徒たちは尻込みしがちかも…。

笹埜: そうなんです。だから私は「探究思考」って言い換えるようにしています。批判的思考というと否定的に聞こえますからね。

第4章:一次救命啓発プロジェクト – 思考法の実践

ここで笹埜氏は、自身が関わった印象的なプロジェクトについて語り始めた。

笹埜: 実は、その三つの思考法を体現したような素晴らしいプロジェクトがありました。一次救命措置の普及に取り組んだチームなんです。

最初は典型的な「それなら」思考でした。「救命措置の知識が足りないなら、講習ビデオを作ろう」と。

野邉: それが変わっていったんですか?

笹埜: はい。集まったデータを詳しく分析していく中で、「むしろ」の視点が生まれたんです。「むしろ、知識以外の障壁があるのでは?」と。

そして最後に、「そもそも人々はなぜ救命措置をためらうのか」という本質的な問いにたどり着いた。体に触れることへの抵抗感、責任への不安、周囲の目…。結果として、従来の啓発型アプローチとは全く異なる解決策を見出しました。

第5章:ラボという場の可能性

議論は、探究の「場」の重要性へと移っていった。

笹埜: 今、学校には「PCルーム」がありますよね。でも、これを「ラボ」として再定義する必要があると思うんです。

野邉: その発想、いいですね。単なるパソコンを使う場所じゃなくて…。

笹埜: そうなんです。「ラボ」には重要な意味が込められている。試行錯誤を許容する場所、失敗から学べる場所。デジタルツールは、その過程を支援するものとして存在する。

野邉: でも、現場の先生方の意識を変えるのは簡単じゃありませんよね…。だからこそ、私たちがモデルを示していく必要がある。Living Lab(リビングラボ)の考え方を取り入れて、地域と学校が共に学び、探究する場として…。

笹埜: おっしゃる通りです。

第6章:AI時代における探究の意義

話題はAI時代における教育の在り方へと移っていった。

笹埜: 最近、気になる言葉があるんです。「なんかいい感じ」。

野邉: ああ、よく聞きますね。「AIが何かいい感じに作ってくれる」みたいな。

笹埜: でも、それって危険な兆候だと思うんです。なぜそれが「いい」のか、全く吟味していない。判断を放棄している。

人間の強みって、試行錯誤のプロセスにあるはずなんです。完璧な答えを出すことじゃなくて、問いを立て、考え、失敗し、また考える。その営み自体に価値がある。

野邉: まさに探究の本質ですね。

エピローグ:これからの探究教育に向けて

長時間の対談も終わりに近づき、二人は今後の展望について語り合った。

野邉: 今日の対談を通じて、改めて探究の持つ可能性を感じました。単なる「調べ学習」や「物作り」を超えて…。

笹埜: そうですね。特に印象的だったのは、生徒たち自身が気づきを得ていく瞬間です。教師がヒントを与えることはできても、その「あっ!」という瞬間は、生徒自身の中から生まれる。

野邉: これからの時代、正解のない問題に向き合う力がますます重要になってきますよね。

笹埜: その通りです。だからこそ、探究のプロセスを大切にする。それが私たちの役割なのかもしれません。

雨上がりの午後の日差しが、ラボの窓を通して差し込んでいた。それは、これからの教育に新しい光を投げかけているようにも見えた。

対談者プロフィール

野邉みなも
みなもラボ代表。教育現場での探究学習実践者。地域と学校の連携による新しい教育モデルの構築に取り組む。「場」としての学校の可能性を追求し続けている。

笹埜健斗
社会情報学者。教育とAIの関係性について研究を行う。特に、シンギュラリティ時代における人間の学びの本質について探究している。日本シンギュラリティ学会の初代会長を務める。

#教育 #探究学習 #AI #思考法 #EdTech #未来の教育 #教育改革


※本記事は2024年11月19日の対談を基に構成されています。