DV被害者が、DVのことについて語ってみる
\ ようこそ /
タイトルのとおり、
DV被害者でもあるささみです。
最近SNSで話題になってますね、DVのこと。
当事者の立場での意見もあるし、
第三者の正論もあるし、
まぁ話題には事欠かないですよね。
わたしがDVを受けていたのは、
もう10年以上も前のことなので、
思い出して辛くなる、なんてことは少なくなったけど、
それでも、あの当時の辛さを忘れたわけではありません。
そんなDVの当事者だったわたしが、
DVについて語っていこうと思います。
暴力表現は生々しくは表現しませんが、
DVのことを語るのに暴力のことを表現しないのは無理なので、
自己責任で読んでくださいまし。
そして、あくまで個人的な体験談と主観の話です。
「こうしたらよかったのに」
的なアドバイスは求めていないし、
「それは違います」
的な専門家的な意見を求めているわけでもございません。
また、第三者のド正論である
「そんな男を選んだのが悪い」
「なんで別れないのか」
というご意見はフルで無視するので、
その辺もご了承ください。
何から語ろうかと思ったけど、
第三者のド正論をなぜフル無視するかということからはじめます。
理由はシンプル。
そりゃそう、だから。
そりゃね、被害受けている側だって思いますよ。
離れたほうがいい、
というか離れたいというのは。
それでも離れられない理由
離れようとするとさらに暴力を受けるから
思考回路が鈍って離れるまでの判断ができないから
共依存になっているから
①離れようとすると暴力を受ける
そもそもの話。
別れよう、と言って素直に離れてくれる人間は暴力はしない。
わたしの場合だと、
暴力を受ける
→別れ話を持ちかける
→逆上してもっとキレる
→死んでやる
→わたしが折れる
→もうしないと泣いて謝るがまた最初に戻る
のメンヘラムーブでした。
わたしが受けていたDVは
殴る蹴る、などの直接的な暴力、
引っ張る(服が破けるくらい)、唾をかける、電話で思い切り叫ばれるなどの精神的にくるもの、など。
当然別れたく、
何度も別れ話を持ちかけましたが、
「なんでそんなこと言うんだ」
と暴力に走ったかと思えば、
「傷つけてごめん…自分なんか死んだ方がいい…いまから死ぬねさようなら」
というムーブを飽きるほど繰り返し、
そのやりとりにすら疲れ、
(暴力を受けているんだからタフに過ごせるわけない)
「わたしが別れ話を持ち掛けなければこんなことにはならない」
という判断に至ってしまうわけです。
②思考回路が鈍って離れるまでの判断ができないから
さらに、暴力を受けながら
「こんなことをさせるお前が悪い」
「○○をして怒らせたお前が悪い」
などと言われるので、
「あ~わたしが悪いのか」
とだんだんと感覚も麻痺していきます。
周囲の誰かが積極的に助け船を出すとか、
強制的に距離ができるとかしない限り、
被害者が自らの意思で離れる、
という判断ができなくなります。
目が覚めて離れようとすると、
「絶対に逃がさない」
という執念を見せつけてくるので、
「離れようとしても結局同じなら、我慢するしかないか」
とまともな判断ができなくなります。
暴力受けて身体的にも精神的にぼろぼろ、
できるなら元に戻ってほしいと思うなか
離れるためには、と考えて行動しろ、
というもは無理な話でした、わたしの場合はね。
③共依存になっているから
厄介なのが共依存の状態。
わたしの場合は、
父親をはじめ、身近な人からの愛情に飢えていてかつ、
若さゆえの感情の不安定さも相まって、
「こんなわたしを愛してくれるのは彼だけ」
と最悪な思い込みをしてしまいます。
さらに、
付き合い立てから暴力をふるっていたわけでなはいので、
「わたしがちゃんとすれば、楽しかったころに戻るはず」
というありえない願望を捨てようとしません。
そもそも相手も嫌いだから暴力をするわけではなく、
「お前が好きで仕方ないからこんなことしちゃう」
的なことを言ってくるので、
愛されてこなかった心の隙間に、
歪んだ愛情を受け入れてしまうのです。
こんな感じで、
誰がどう見ても離れた方がいい相手でも、
「こんなわたしを愛してくれるのはあの人だけ。あの人がこんなことをするのはわたしのせい。わたしがちゃんとすれば、あの頃のように戻れるから大丈夫」
という願望によって離れようとしなくなります。
当時のわたしも周囲からは
絶対に別れるべき
だと何度も言われましたが、
言われはするものの、
実際に動いてくれる人は誰もいなくて、
「言うだけで何もしてくれないじゃん」
「だって別れてくれないんだもん」
「わたしが我慢すればいいだけ」
の思考から抜け出せませんでした。
ここまで経験者の立場から当時を振り返って書いてみました。
続いて、経験者が思う当事者のこと、
を語ってみます。
一番響かないし意味がない言葉
なんだと思います?
あくまで個人的な意見ですよ。
今でも変わらないんですが、
「もっといいひとがみつかるよ」
です。
なぜ響かないか
暴力に疲弊した現状では先のことを考えられない
どうやったらこの苦しい気持ちが解放されるかしか興味ない
こんな自分を愛してくれるのはあの人だけ思考
その言葉になんの信ぴょう性もない
未来を信じて生きるほどの活力はない
もはや終わらせたい
いずれかに当てはまると思います。
当時のわたしは、
何度も自分の生まれてきた意味を考えていました。
いま振り返っても意味はわからない。
あの苦労の分、幸せになったわけでもないし、
あのとき生き延びなければ、なんて考えることもしばしば。
父親も自分をみてくれないし、
友達にはいじめられるし、
彼氏には暴力を受けるし。
え、こんな人生、意味ある?
ということばかり考えていました。
それでも結局、
勇気がなくてこわくて、
自分では何もできなくて、
だれかたすけて、と思っていても、
実際、だれも助けてくれませんでした。
当時の相手は公衆の面前でも平気で暴力BOYだったので、
わたしがぶん殴られている様は、何人も見ていました。
老若男女問わず。
それでも大丈夫?
と声をかけてくれたのは他人の女の子1人だけでした。
その子とは何回か会う機会ができたけど、
なんで疎遠になっちゃったのかは覚えてないや。
友達も心配はしてくれても、
ぶん殴られているときは助けてくれません。
まぁ、そうだよね。
女子相手にフルスロットルでぶん殴る男の前になんか立てないよね。
でも、先にも述べた思考により、
「大丈夫…」としか返せませんでした。
大丈夫って言ってるよ、
こいつもやべーわ、
と思われてたんだろうな。
仮に、大丈夫じゃないと言ったら、
何をしてくれていたんだろう。
「別れなよ」
って言うくらいでしょうか。
別れられなくてもう抵抗するエネルギーもないからぶん殴られる道しか選べなかっただけなんですけどね。
もっと恐ろしいのは、
他人はわたしを助けるどころか、
「あれが殴られている女の子だよ」
とわたしを盗撮する輩までいました。
「うまく撮れたかな~」とか言って、
わたしを撮ろうとうろうろしていた姿は忘れられません。
当時、SNSが全盛期じゃなくてよかったのか、どうなのか。
拡散されて笑いものにされるのか、
しかるべきところに届いて、
誰かが助けてくれたのでしょうか。
そんなわけで、
「誰かが助けてくれるなんて幻想」
「わたしのことは他人からしたらおもちゃなんだ」
というさらにひねくれた思考が完成します。
そんな他人を信用していない、
今が死を選べたら楽なのに、
と思うような状況で、
「いつか」
の話をされても何も響きません。
当時のわたしはどうされたかったか
じゃああのとき、わたしはなんて言ってほしかったのかというと、
「自分も話し合いに参加するから、きちんと別れたほうがいい」
だと思います。
自分ひとりじゃ相手に立ち向かうことはできないし、
話し合いで解決していたら体中にあざだらけ、
なんてことにはならない。
安全な立場からモノを言うんじゃなくて、
わたしの痛みを少しでも共有してほしかった。
(殴られろ、という意味ではないです。わたしが責められている場面を共有して、辛かったね、と言ってほしかった。)
もしくは、相手に直接言ってほしかった。
わたしに対して、
「あんな男とは別れたほうがいい」ではなく
暴力BOYに対して
「そんなことをするなら、あの子と別れて」
と言ってほしかったな。
あのときのわたしは、
愛されたくても素直に受け取れる愛をもらっていなかったし、
他人からはおもちゃにされていたし、
「わたしなんてこの世から消えてしまえばいいのに」
という気持ちでがんじがらめだったし、
「それでもわたしを必要としてくれている」
最大級にねじ曲がった思考だった。
思考も気持ちも鈍った状態ではまともな判断なんかできるわけないから、
「あなたはまともじゃなくなっている」
「こうしたら、きっとうまくいくから、一緒に頑張ろう」
と寄り添ってほしかったな。
第三者の
「わたしだったら~」
「なんでそんな人と~」
「やばいよね~」
は正直、暴力よりもきつい。
自分はこいつよりマシだ、
と思われているんだろうな、
というのがもはや吹き出しつきでみえるレベルでわかる。
そもそもなぜDVに発展するのか
そんなんね、知らんですよ。
殴る方に聞いてみて。
わたしの場合は、
ガチでわたしのことが好きすぎて、わたしが自分の目の届かないところで楽しそうにしているのが許せなかったみたいです。
監禁するなりして自分だけのものにしたかったんだろうな。
愛されていても殴ってきた時点で別れればいいやん。
って思いますよね。
ここで、質問をします。
どこからが暴力でしょうか?
つねる
デコピン
肩を押す
頭をはたく
物にあたる
物を投げる
物を投げつける
服を引っ張る
頻回の電話
相手だってね、
一応は人間社会で生きているわけですから、
いきなり殴ってくるわけではないのですよ。
「そういうのやめてね」
ってきちんと伝えているはずなのに、
気づいたらどんどんエスカレートしている。
それがDVです。
DVしてくるような人を選ぶのが悪いのか
そうかもしれないですけどね。
じゃああなたわかります?
こいつは殴りそう、殴らなさそう、とか。
で、その勘は当たりますか?
その勘に自信があるなら、
ぜひこれ以上被害者がでないように、
世に役立ててください。
そりゃ見るからに女殴っている奴を選んだなら、
選んだ側に問題があります。
しかし、相手だって阿保じゃないので、
厄介なことにそういう素振りはみせないんですよね。
さらに面倒なのは、外面がよかったりする。
「あの人が?そんなことするの?あんたに問題あるんじゃない?」
なんて言われた日には助けを求めるのも苦しくなります。
身近な人に相談すればいいのでは
あくまでわたしの場合。
友人たちは前述したとおり、
心配はしても助けてくれなかった。
他人は心配するどころか、おもちゃ扱い。
じゃあ家族は?
わたしの家族は、
荒れに荒れていたピークでした。
「わたしだけは心配かけちゃいけない」
と家でも助けを求めることはできませんでした。
たぶん、多くのDV経験者も似たようなものだと思う。
助けを求めていい相手がいるのに
「助けて」が言えず自分で解決しようとしたり、
助けを求める相手がいなかったり、
「あの人はきっと変わるはず」
という幻想から醒めないでいたり。
状況は違えど、
「こんな状況から抜け出したい」
という気持ちは一緒のはず。
そんな人たちに、
正しすぎる正論は言わないであげてほしい。
その言葉で、より逃げ場がなくなってしまうかもしれないから。
わたしから言えることは、
もし、どこかで同じ悩むあなたに会えたら、
「あなたは悪くないよ」と抱きしめてあげたい。
過去のわたしに会えたら同じことをする。
明るい未来が待っているから大丈夫!
なんて無責任なことは言えないけど、
少しでも苦しさを共有したい。
ここまで書いてみて
結局何が言いたいのかわからなくなってしまった。
過去の自分は報われていないし、
わたしを傷つけた相手はいまだに許せないし、
見て見ぬふりした他人も忘れられないし、
あの頃を生き延びてよかったとも思えないし。
過去を思い出して苦しくなることは減ってきたけど、
それでもゼロにすることはできない。色が褪せただけ。
わたしの痛みとして残り続けて、消えることはない。
同じ経験をしたひとも、きっとそう。
そんな人たちと痛みを共有していきたいし、
そんな人たちをこれ以上傷つけることは許さない。
わたしはわたしを背負っていきていくしかない。
あのとき、生き延びてくれてありがとう、と過去のわたしに言えるように。
なんだか真面目に書いてしまいましたが、
普段はゆる~く記事を投稿しています。
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