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地方映画史研究のための方法論(43)メディア論と映画④フリードリヒ・キットラー『グラモフォン・フィルム・タイプライター』
見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト
見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト
「見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト」は2021年にスタートした。新聞記事や記録写真、当時を知る人へのインタビュー等をもとにして、鳥取市内にかつてあった映画館およびレンタル店を調査し、Claraさんによるイラストを通じた記憶の復元(イラストレーション・ドキュメンタリー)を試みている。2022年に第1弾の展覧会(鳥取市内編)、翌年に共同企画者の杵島和泉さんが加わって、第2弾の展覧会(米子・境港市内編)、米子市立図書館での巡回展「見る場所を見る2+——イラストで見る米子の映画館と鉄道の歴史」、「見る場所を見る3——アーティストによる鳥取の映画文化リサーチプロジェクト」、「見る場所を見る3+——親子で楽しむ映画の歴史」を開催した。
2024年3月には、杵島和泉さんとの共著『映画はどこにあるのか——鳥取の公共上映・自主制作・コミュニティ形成』(今井出版、2024年)を刊行した。同書では、 鳥取で自主上映活動を行う団体・個人へのインタビューを行うと共に、過去に鳥取市内に存在した映画館や自主上映団体の歴史を辿り、映画を「見る場所」の問題を多角的に掘り下げている。(今井出版ウェブストア/amazon.co.jp)
地方映画史研究のための方法論
「地方映画史研究のための方法論」は、「見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト」の調査・研究に協力してくれる学生に、地方映画史を考える上で押さえておくべき理論や方法論を共有するために始めたもので、杵島和泉さんと共同で行っている研究会・読書会で作成したレジュメを加筆修正し、このnoteに掲載している。過去の記事は以下の通り。
メディアの考古学
(01)ミシェル・フーコーの考古学的方法
(02)ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』
(03)エルキ・フータモのメディア考古学
(04)ジェフリー・バッチェンのヴァナキュラー写真論
観客の発見
(05)クリスチャン・メッツの精神分析的映画理論
(06)ローラ・マルヴィのフェミニスト映画理論
(07)ベル・フックスの「対抗的まなざし」
装置理論と映画館
(08)ルイ・アルチュセール「イデオロギーと国家のイデオロギー装置」
(09)ジガ・ヴェルトフ集団『イタリアにおける闘争』
(10)ジャン=ルイ・ボードリーの装置理論
(11)ミシェル・フーコーの生権力論と自己の技法
「普通」の研究
(12)アラン・コルバン『記録を残さなかった男の歴史』
(13)ジャン・ルイ・シェフェール『映画を見に行く普通の男』
都市論と映画
(14)W・ベンヤミン『写真小史』『複製技術時代における芸術作品』
(15)W・ベンヤミン『パサージュ論』
(16)アン・フリードバーグ『ウィンドウ・ショッピング』
(17)吉見俊哉の上演論的アプローチ
(18)若林幹夫の「社会の地形/社会の地層」論
初期映画・古典的映画研究
(19)チャールズ・マッサーの「スクリーン・プラクティス」論
(20)トム・ガニング「アトラクションの映画」
(21) デヴィッド・ボードウェル「古典的ハリウッド映画」
(22)M・ハンセン「ヴァナキュラー・モダニズム」としての古典的映画
抵抗の技法と日常的実践
(23)ギー・ドゥボール『スペクタクルの社会』と状況の構築
(24)ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』
(25)スチュアート・ホール「エンコーディング/デコーディング」
(26)エラ・ショハット、ロバート・スタムによる多文化的な観客性の理論
大衆文化としての映画
(27)T・W・アドルノとM・ホルクハイマーによる「文化産業」論
(28)ジークフリート・クラカウアー『カリガリからヒトラーへ』
(29)F・ジェイムソン「大衆文化における物象化とユートピア」
(30)権田保之助『民衆娯楽問題』
(31)鶴見俊輔による限界芸術/大衆芸術としての映画論
(32)佐藤忠男の任侠映画・剣戟映画論
パラテクスト分析
(33)ロラン・バルト「作品からテクストへ」
(34)ジェラール・ジュネット『スイユ——テクストから書物へ』
(35)ジョナサン・グレイのオフ・スクリーン・スタディーズ
(36)ポール・グレインジによるエフェメラル・メディア論
(37)アメリー・ヘイスティのデトリタス論
雑誌メディア研究
(38)キャロリン・キッチ『雑誌のカバーガール』
(39)佐藤卓己のメディア論的雑誌研究
メディア論と映画
(40)マーシャル・マクルーハンのメディア論
(41)ジャン・ボードリヤール『シミュラークルとシミュレーション』
(42)ポール・ヴィリリオの速度学
(43)F・キットラー『グラモフォン・フィルム・タイプライター』
フリードリヒ・キットラー(1943-2011)
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フリードリヒ・キットラー(Friedrich Kittler、1943–2011)は、ドイツの思想家・メディア理論家・文化研究者。1943年に東ドイツ・ザクセン州ローホリッツに生まれ、1958年に家族と旧西ドイツに移り住んだ。1963年から1972年までは、フライブルク大学でドイツ文学とロマンス文学、哲学を学び、ドイツ文学者のゲルハルト・カイザーに師事する。1976年からはフライブルク大学でドイツ文学研究室の助手を務め、1982年に教授資格審査論文として『書き取りシステム1800・1900 Aufschreibesysteme 1800/1900』(大宮勘一郎・石田雄一 訳、インスクリプト、2021年、原著1985年)を提出。ミシェル・フーコーの言説分析とジャック・ラカンの精神分析を接続して文学テクストの成立条件を探るという、当時の学術界では異質な内容が物議を醸し、激しく賛否が争われたものの、結果的には無事に教授資格を取得。1987年には、ルール大学ボーフムで現代ドイツ文学の教授に着任。2011年にベルリンで死去するまで、各時代の支配的なメディアはいかにして文化や表現のあり方を規定するかという問いを中心として、技術とメディアの問題を思考し続けた。
主な著作に、『グラモフォン・フィルム・タイプライター Grammophon Film Typewriter』(石光泰夫・石光輝子 訳、筑摩書房、1999年、原著1986年)、『詩人、母、子 Dichter - Mutter - Kind』(未邦訳、1991年)、『ドラキュラの遺言——ソフトウェアなど存在しない Draculas Vermächtnis: Technische Schriften』(原克・前田良三・副島博彦・大宮勘一郎・神尾達之 訳、産業図書、1998年、原著1993年)、『文化学の文化史 Eine Kulturgeschichte der Kulturwissenschaft』(未邦訳、2000年)、『視覚的メディア Optische Medien』(未邦訳、2002年)、『不滅の人々——追悼、回顧、亡霊たちの対話 Unsterbliche. Nachrufe, Erinnerungen, Geistergespräche』(未邦訳、2004年)、『音楽と数学 Musik und Mathematik』2巻(未完・未邦訳、2006-2009年)などがある。
フーコーからキットラーへ
『グラモフォン・フィルム・タイプライター』(1986)
本稿では、キットラーの主著『グラモフォン・フィルム・タイプライター』(石光泰夫・石光輝子 訳、ちくま学芸文庫、2006年、原著1986年)の「導入」(pp.17-55)を中心に要約することで、同書およびもう一つの主著『書き取りシステム1800・1900』(大宮勘一郎・石田雄一 訳、インスクリプト、2021年、原著1985年)の中心をなすキットラーの問題意識と議論の主旨を確認していく。
なお以下、頁数の記載は原則として『グラモフォン・フィルム・タイプライター』のちくま学芸文庫版を参照している。また従来は、キットラーの重要な概念である「Aufschreibesysteme」は「書き込みシステム」と訳されてきたが、本稿ではインスクリプト刊の邦訳書の訳に統一して「書き取りシステム」と表記することにしたい。
ミシェル・フーコーの言説分析
さしあたり、キットラーのメディア論を語る上での前提となるのが、ミシェル・フーコーの言説分析(ディスクール分析)である。
フーコーは、ある時代において特定の言説(例えば「医学」の言説や「生物学」の言説)が支配的な力を持つのはなぜかという問いを立てた。そして図書館の膨大な収蔵資料から関係する言表(実際に書かれたもの)を渉猟し、その言説が存在することができた時代的・社会的・文化的な条件——別の言い方をすれば「エピステーメー」(知のあり方を規定する枠組み)——を分析しようとした。
例えば『言葉と物——人文科学の考古学』(1966)では、3つの時代区分がなされ、それぞれ異なるエピステーメーが提示されている。曰く、中世・ルネサンス期(16世紀末まで)は「類似」のエピステーメーのもと、解釈学と記号学の言説が力を持った。古典主義時代(17世紀中盤)には、「表象」のエピステーメーのもとで博物学・一般文法・富の分析の言説が、近代(19世紀以降)には、「人間」のエピステーメーのもとで生物学・言語学・経済学の言説が重要な地位を占めるようになったのである。
メディア論・技術論的観点からのフーコー批判
キットラーは、特定の時代におけるエピステーメー(知の枠組み)が個々の言説や言表を条件づけているという考え方や、歴史の連続性よりも「断絶」を強調するフーコーの姿勢から多くを受け継ぎつつも、フーコーが「文字」資料しか扱おうとしなかった点に言説分析の限界があるとし、メディア論・技術論的観点からの批判を行っている。曰く、フーコーは図書館に収蔵される以前の文字が、誰かから誰かへと情報を伝達するためのメディアであったことや、その伝達のためには何かしらの技術(テクノロジー)が必要だったことを見落としている。そのため「フーコーの歴史分析はどれも、もっと別のメディア、もっと別の郵便制度が書物の保管庫に風穴をあけようとする少し手前で、判をおしたようにストップしてしまう。フーコーのディスクール分析は、音の保管庫、映画のリールの山をまえにして、つねに機能不全に陥ってしまうのである」(pp.27-28)。
文字の独裁——書き取りシステム1800
『書き取りシステム1800・1900』(1985)
こうした問題意識のもと、キットラーは「われわれのおかれている状況を決定しているものはメディアである」(p.9)と断じ、特定の時代における支配的なメディアが、同時代の言説の成立を支える条件となることを指摘。前著『書き取りシステム1800・1900』では、「ある所与の文化において、有意味なデータをアドレス指定し送り、記録保存し、処理することを可能ならしめる諸技術と諸制度のネットワーク」(『書き取りシステム1800・1900』p.721)を「書き取りシステム Aufschreibesysteme」と名づけ——これはキットラーにおける「メディア」の定義でもある——、1800年(18世紀まで)と1900年(19世紀以降)の間に「断絶」を見て取る、新たな時代区分を提唱した。
この区分は『グラモフォン・フィルム・タイプライター』にも引き継がれており、1800年は文字、1900年は蓄音機(フォノグラフ、グラモフォン)・映画(フィルム)・タイプライター、そして2000年(20世紀以降)はデジタルメディアが、各時代の支配的なメディアとして割り当てられている。以下、順に確認していこう。
文字の独裁——すべての歴史=権力が発生・帰着する場所としての図書館
18世紀は、言うなれば「文字」の独裁の時代であった。当時はまだ映像を記録する技術(映画)も音声を記録する技術(蓄音機)もなかったから、あらゆる感覚は文字によって表現するほかなかったし、それが当然のことだと思われていた。文字は現在の言葉でいう「メディア」そのものとして機能していたが、それ以外のメディアは存在しないも同然と見做されていたために、わざわざ「メディア」のような概念を用いる必要もなかった。
この時代における「歴史」とは、文字によって書かれた歴史のことであり、生起した出来事のすべては図書館に行き着く。より正確には、図書館に収蔵された文字だけが歴史として認められるのであり、収蔵されなかった文字や口承、絵などは歴史以前のものとして排除された。だからこそフーコーは、図書館で文献に当たりさえすれば、あらゆる権力が発生・帰着する場所が文書保管庫(アルヒーフ)であると証明することができたのだ。だがそれは、キットラーに言わせれば、「歴史というものの同語反復、あるいは歴史の死に場所でしかない」(p.26)。
記憶装置としての書物
ソシュール言語学などが明らかにしてきたように、本来、「文字」という記号と、それが表そうとする対象との間には、恣意的なつながりしかない。映画カメラのように、人の身体の動きを正確に記録することはできないし、蓄音機のように、意味が形成される以前のノイズとしての声を記録することもできない。それどころか文字は、読み書きができる者にしか意味を伝達しないという点で、「文字が記憶・保存するのは、したがって、文字の支配という事実だけ」(p.31)であるとさえ言える。
ところが文字というメディアしか持ちえなかった時代の人びとは、ペンを握り、紙に文字を書く時、その筆跡に著者の「身体性」が刻まれると信じていたという。映画も蓄音機もない時代、筆跡は「競争相手のいない記憶装置」(p.34)として流通していた。
さらに文字は、直筆原稿から植字され、活版印刷された書物という固有名を欠いたメディアに落としこまれることによって、却ってその著者の存在を遠くへ——本人の死をも超えて——届けることができると信じられた。読者は記憶装置としての書物を正しく読むことで、現実さながらの世界を思い浮かべたり、作家自身へと遡行することができた。「1800年には書物が映画であり、かつレコードであった。メディア技術のうえでほんとうにそうであったというのではない。読者の心のなかのイマジネールなもの〔サンボリックなもの、リアルなものと並ぶラカンの言葉〕においてそうであったのだ」(p.35)。
キットラーは、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテによる書簡体小説『若きウェルテルの悩み』(1774)や長編小説『親和力』(1809)の熱烈な愛読者たちが、小説の主人公の後追い自殺をする事件が多発したことについて、この読者たちは至って正しい読み方をしていたと言う。現在のメディア状況に慣れた私たちが想像する以上に、文字で書かれた世界は当時の読者たちにとって「現実」のものと感じられていたのだ。
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グラモフォン・フィルム・タイプライター——書き取りシステム1900
蓄音機と無声映画——感覚データと時間の新たな記憶法
だが書物の記憶装置としての役割は、18世紀末の蓄音機と無声映画の登場によって終止符を打たれることになる。先にも確認したように、両者は、キットラーが「書き取りシステム1900」に該当する技術(テクニカル)メディアとして取り上げた3つの技術メディアの内の2つだ。
さしあたり歴史的な経緯を確認しておくと、1877年12月6日にトーマス・アルヴァ・エジソンがフォノグラフ(錫箔円筒式蓄音機)の原型となる装置を公開。さらに1892年2月20日には、同じ研究実験所からキネトスコープ(覗き見式映画鑑賞装置)が生み出された。リュミエール兄弟が映写機能を付け加えたシネマトグラフを公開したのは、それから3年後のことである。
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蓄音機は耳に聞こえるノイズを記録し、無声映画は目に見えるものを記録する。これらの技術メディアの登場によって初めて、人間が普段五感を用いて感覚しているデータを保存することが可能になった。
加えて蓄音機と映画は、先行するリトグラフ(版画の一種)や写真と異なり、「時間」を記憶できるようになったことが決定的に重要だとキットラーは言う。なぜなら、それ以前のヨーロッパには、書物や楽譜など、文字という記号で書かれた「時間」の記憶法しかなかったからだ。フォノグラフと映画は、「時間」の記憶という役割を担う新たなメディアであると共に、記号化とは異なる仕方でそれを成し得たのが、何よりも革新的なことだった。
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技術メディアの「幽霊」的な性質
では、記号化とは異なる記憶法とは具体的にいかなるものだろうか。またなぜそれが、書物の記憶装置としての役割を奪い去ることになったのか。
蓄音機や映画といった技術メディアにおいては、対象に類似したもの(記録された音声や映像)が、対象そのもの(対象の発した声や動作)から機械的に生み出されることによって、物理的な正確さを帯びた「類似」であることが保証される。無意識に見ていた動作や意味にならないノイズなど、記号への変換作業が必要な文字による記録からはこぼれ落ちてしまうものも、技術メディアは克明に捉えてしまうのだ。
「メディアとはそもそも、幽霊の出現をしか伝達しないものなのだ」(p.40)とキットラーは言う。対象の過去を記録した物理的痕跡であるが、そこに対象そのものは不在であるという技術メディアの特徴は、まさに「幽霊」的な性質を備えていると言えるだろう。実際、1837年に発明されたモールス信号から現代のテープレコーダーまで、新たなメディアの発明には、「死者の声が聴こえた」「幽霊の姿が映った」というような心霊現象の報告が付き物である。
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(『グラモフォン・フィルム・タイプライター』p.39)
思い出や夢、死者や幽霊が技術的に再生可能になれば、わざわざ文字という——対象との間に恣意的な結びつきしか持たない——記号を用いて想像しよう、妄想しようとする努力も不要になり、その力は次第に衰え、消滅していくだろう。「そしてわれわれの死者の国は、あれほど長いあいだ棲みついていた書物をうち捨ててしまう」(p.38)。
タイプライター——紙と身体、書字と魂の分離
とは言え、失われたのはあくまで「記憶装置」としての役割であり、文字そのものが完全に役割を失ったわけではない。蓄音機と映画が世に出るより少し前の1860年代には、当時まだ唯一の「記憶装置」であった文字が先んじて機械化され、タイプライターが登場していた。
1870年9月、アメリカの発明家クリストファー・レイサム・ショールズは仲間と共にエジソンを訪ね、自ら開発した大量生産可能なタイプライターを紹介して共同事業を持ちかける。だがこの申し出をエジソンはすげなく断ってしまったので、ショールズは代わりに武器製造会社のレミントン社と組み、タイプライターの改良・販売・普及を進めることにした。もし当初計画の共同事業が実現していたら、新時代の中心となる3つのメディアを、エジソンという一人の「天才」が独占するところだったのだ。
キットラーは、タイプライターの登場によって文字は身体の痕跡であることをやめたと指摘する。もちろんグーテンベルクの活版印刷術の時点で、すでに著者の筆跡は書物から失われてしまっている。だがそれでも、まずは手書きで原稿を書き、それを植字して組版する工程を踏まなければならないという点で、活版印刷術にはまだ身体と文字との結びつきが残っていた。
だがタイプライターは、キーを押せば即座に規格化された文字が紙に印字される。言うなれば、著者がテクストを産出する時点から紙と身体——さらには書字と魂(心)の分断が生じるのだ。「タイプライターはいかなる個人も保存しないし、その印字はいかなる彼岸も伝達しない」(p.47)。このように、文字の記憶装置としての役割はタイプライターの登場によって失われ、代わって蓄音機と映画が、その任を引き継ぐのである。
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メディアによる感覚の分断と自立
先ほど、エジソンが1900年を代表する3つのメディアを独占しかけていたと書いたが、より重要なのは、それまで単一のメディア(文字)が独占していた役割を、3つのメディアが分担するようになったことである。
具体的には、ほぼ同時期に発明された蓄音機・映画・タイプライターという3つのメディアによって、視覚・聴覚・書字というそれぞれのデータの流れが分断され、各々が自立したものとして扱われるようになった。現在の私たちは、例えば視覚と聴覚を区別して扱うのをごく自然なことだと捉えているが、このような感覚の捉え方は人類に普遍的なものではない。先述した技術メディアの登場によって、初めてそのような捉え方・扱い方をすることが可能になったのだ。
またメディアによる視覚・聴覚・書字の分断・差異化は、「人間」を操作可能な機械として捉える見方が現れてくる要因ともなった。それ以前の機械は人間の筋肉系を占領するだけだったが、今度は中枢神経系も占拠し始める。こうして人間は、「個人の表現」や「身体の痕跡」が夢見られる代わりに、一定の基準のもとで分解・規格化可能な研究対象として扱われるようになり、生理学と情報工学へと解体されていくだろう。
鏡像段階論とメディア理論の対応関係
精神分析学者ジャック・ラカンの鏡像段階論も、人間に関する普遍的な理論ではなく、1900年の3つのメディアが作り出した条件のもとで生み出された「差異化の理論」(p.48)そのものであるとキットラーは言う。
おさらいしておくと、ラカンは幼児が自我を形成していくプロセスを説明するために、現実的なもの(リアル)、想像的なもの(イマジネール)、象徴的なもの(サンボリック)という3つの段階に分類した。以下、各段階についての簡潔な説明と、3つの技術メディアとの対応関係をまとめておこう。
現実界・現実的なもの(リアル)とは、存在の前提であり、それ以上何も知ることができないし、言語的に語ることもできないものである。技術メディアにおいては、あらゆる言葉の意味に先駆けて投げ出される声というノイズを定着させる蓄音機が「現実的なもの」に相当するステイタスを持つ。
想像界・想像的なもの(イマジネール)とは、幼児が鏡に映る偽りの自分の姿や母親の姿を見て、それを完全な自己イメージだと誤認することによって形成される領域である。技術メディアにおいては、撮影により断片化された身体が、スクリーン(鏡)の上では連続した滑らかな動きを見せるという錯覚(イリュージョン)を生じさせる映画が「想像的なもの」に相当するステイタスを持つ。
象徴界・象徴的なもの(サンボリック)とは、言語や記号の秩序によって構成される領域である。言語・記号は物質性を持ち、有限で、技術的に処理することができる。技術メディアにおいては、一定の文字の配列から選択して書字することを実現したタイプライターが「象徴的なもの」のステイタスを持つ。
デジタルメディア——書き取りシステム2000?
近い将来、グラスファイバー・ケーブルによるネットワーク化が実現し、これまでは分離していたテレビ・ラジオ・郵便といった各種メディアがデジタル化されて、単一の情報チャンネルに統合されれば、個々のメディアの差異は消滅していくだろうとキットラーは指摘する。明言されているわけではないが、ここでキットラーは、来るべき「書き取りシステム2000」を論じるための素描をしていたように思われる。
コンピュータで扱われるのは、一切が数字であり、一切が量である。すべての情報の流れは不連続でデジタル的な数値の羅列になり、それがあらゆる被造物の鍵となる。そこでは映像も、音響も、言葉も、インターフェースという美名のもとで消費者に受容されるための表面的な効果として何とか存続しているに過ぎない(このことは逆に言えば、あらゆるメディアは任意の別のメディアに変換可能になるということでもある)。
すべてのメディアが統合されることによって、「メディア」という概念は再び不要のものとなるだろう。だがそれは、文字という単一メディアの独裁の時代である「書き取りシステム1800」への単純な先祖返りではない。「書き取りシステム1900」における3つのメディアによる感覚の分断・差異化と自立という事態が生じなければ、すべてが数字と記号によって記述される時代が到来することもなかったはずである。
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