「方法」としてのドキュメンタリー(巡回上映「現代アートハウス入門 ドキュメンタリーの誘惑」を見る)
2022年12月3日(土)から、jig theaterで「現代アートハウス入門」第三弾の上映が始まりました。今回のテーマは「ドキュメンタリーの誘惑」ということで、私は初日にドキュメンタリー史のガイドを兼ねたレクチャーを行いました。以下は、当日お話しした内容をざっくりまとめつつ、加筆・再構成したものです。
ジャン・ルーシュ『人間ピラミッド』
先ほどご覧いただいた『人間ピラミッド』(1961)の監督ジャン・ルーシュは、映像人類学者として、アフリカで多くの民族誌映画を制作してきました。映像人類学とはその名の通り、紙に論文を書くのではなく、映画や映像でフィールドワークの成果を伝える学問です。今年の2〜3月にjig theaterで上映された『カナルタ 螺旋状の夢』(太田光海、2020)が、まさに映像人類学者によるドキュメンタリーの一例ですね。
ある時ルーシュは、アフリカの批評家から己の植民地主義的で偏向的な眼差しを指摘され、これまでとは異なるアプローチを模索し始めます。自分自身の印象を押し付けるのではなく、アフリカの人々が自身の言葉で語り、共に映画制作に加わってもらうような撮り方ができないか。そこからルーシュは、インタビューや対話、即興の演技、撮影した映像の鑑賞や議論を通じて「これまで語れなかった言葉」を引き出す方法を編み出し、やがて「シネマ・ヴェリテ」と呼ばれるようになります。『人間ピラミッド』にも同様の方法が用いられていました。
『人間ピラミッド』は、西アフリカに位置するコートジボワール共和国、アビジャンという街が舞台です。ルーシュは現地の高校生が同じ教室に居ても白人と黒人とでまったく関わろうとしないのに気づき、本作の制作を計画しました。白人と黒人の交流というフィクションの物語を、学生たち自身に本人役で演じてもらうのです。
ここで面白いのは、たとえルーシュが用意した「交流の物語」自体がフィクションであっても、その撮影に参加した学生たちの「交流」は現実に行われたということです。映画制作を通じて、彼らは確かに肌の色を超えた友情を育んでいるように思える。というのも、映画の終盤にルーシュが用意したある悲劇が起こるのですが、その強引で無理のある展開に対して、学生たちは明らかに不満を抱きながら演技しているように見えるんですね。おそらくルーシュは自ら悪役を引き受けたのではないでしょうか。フィクションの力で「交流」を促しながら、またフィクションの力でその仲を引き裂き、いつしか芽生えていた友情や関係性に気づいてもらう。この時、映画を撮らなければ有り得なかった新たな「現実」が創造されているのです。
上映作品について
このように『人間ピラミッド』は、純然たるドキュメンタリーとも純然たるフィクションとも言い難い、両者が複雑に絡み合った作品です。もしかしたら多少戸惑いを覚えた方もいるかもしれません。
ここで今回の上映プログラムを確認してみると、実は『人間ピラミッド』に限らず、すべての作品が「ドキュメンタリーとは何か?」を問いかけてくるようなものばかりなんですね。フィクションの物語映画もあるし、再現ドラマ的な作品もある。フェイクドキュメンタリー的な作品もある。「ドキュメンタリーの誘惑」と銘打たれてはいますが、分かりやすい「ジャンル」としてのドキュメンタリーは一つの選ばれていない。なかなかひねくれたプログラムになっています。
では、なぜこのようなプログラムが組まれたのでしょうか。私は企画自体には関わっていないので真相を知ることはできませんが、公式サイトに記されたイントロダクションの一文が手がかりになるのではないかと思います。その箇所を読んでみましょう。
どうやらこの上映プログラムにおいて、「ドキュメンタリー」という言葉は「ジャンル」の呼び名ではなく「方法」の呼び名として用いられているようです。しかし、これだけではまだよく分かりません。「方法」としてのドキュメンタリーとは、一体いかなる「方法」なのでしょうか。ここからは、ドキュメンタリーの歴史を駆け足で辿りながら考えてみたいと思います。
ドキュメンタリーの誕生と発展、戦後の課題
1922年に「ドキュメンタリーの父」と呼ばれるロバート・フラハティーが代表作『極北のナヌーク』を公開しました。カナダの先住民族イヌイットの漁師、ナヌーク一家の生活や文化を記録したフィルムです。
しばしば「世界初のドキュメンタリー映画」として語られる名作ですが、現在一般的に用いられている「ドキュメンタリー」という語とはそぐわない点も見受けられます。というのも、当時すでに用いられていたライフルを使わず、あえて伝統的な狩りをして見せるなど、今でいう「再現ドラマ」に近い作り方をしているんですね。そもそもこの頃はまだ「ドキュメンタリー」という語自体が使われていませんでしたから、当然、フィクションとの明確な区別もありませんでした。
「ドキュメンタリー」の語をいち早く用い、世界的に広めたのは、イギリスの映画作家ジョン・グリアスンです。グリアスンは、ロシアの映画作家エイゼンシュテインやフラハティの影響を受け、教育やプロパガンダの手段としてのドキュメンタリーを提唱したことで知られています。代表作の一つ『流網船』(1929)は、イギリスの近代化したニシン漁をアピールする作品。映像に字幕やナレーションによる解説を組み合わせる手法は、現在の多くのドキュメンタリーの原型となりました。
1933年にドイツで政権を握ったアドルフ・ヒトラーを筆頭に、各国がドキュメンタリーの政治利用を画策し、数多くのプロパガンダ映画が制作されました。中でもよく知られているのがレニ・リーフェンシュタール の『意志の勝利』(1934)や『オリンピア』(1938)です。壮麗な画面設計やアスリートの身体美など、後世に多大な影響を与えた芸術として評価すべきか、それとも悪しきプロパガンダなのかというところで、長年議論が繰り広げられてきました。
また第一次・第二次世界大戦中は、各国でニュース映画(ニューズリール)の製作が盛んに行われたことも重要です。まだテレビやインターネットが登場していない時代には、ニュース映画やドキュメンタリーが時事性・報道性を担っていました。
このように、戦争がドキュメンタリーの価値と需要を高めることになったのは動かし難い事実です。第二次世界大戦終結後のドキュメンタリー作家たちは、教育的・プロパガンダ的な作品制作を通じて戦争や暴力に加担してきたことへの反省を迫られました。今回「現代アートハウス入門 ドキュメンタリーの誘惑」で上映される7作品が、いずれも戦後に制作されていることに注意しましょう。これらを制作した作家たちは、ドキュメンタリーの持つ力とそれゆえの危険性を自覚した上で、これから先、何を撮るべきか、ドキュメンタリーはどうあるべきかという問いを共有しているのです。
「方法」としてのドキュメンタリー
ここで、松本俊夫の著作『映像の発見─アヴァンギャルドとドキュメンタリー』(1963)を取り上げたいと思います。松本俊夫は私がもっとも影響を受けた映像作家の一人で、作品だけでなく、映画やドキュメンタリーに関する非常に重要な論考を数多く書かれていますので、ぜひ読んでみてください。
同書所収の論考「映画芸術の現代的視座」の中で、松本は次のように述べています。
松本はこの言葉に続けて、エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』(1925)やロッセリーニの『戦火のかなた』(1946)、ベルイマン『野いちご』(1957)やブニュエル『アンダルシアの犬』(1929)などの所謂フィクション映画を中心に論じていきます。「ジャンル」としてのドキュメンタリーではなく、まさに「方法」としてのドキュメンタリーが論じられているということです。
「「見つける」ことと「作る」ことの関係を、あくまでも「見つける」ことの側に重点を置いて統一しようとする」。この言葉を私なりに解釈してみると、さしあたり「作る」ことの側に重点を置いた映画とは、一切の逸脱なく脚本通りに撮影を進めたり、作者の主張に見合う言葉をそっくりそのまま出演者に語らせるなど、あらかじめ設定した作品の「型」に記録対象に当てはめたり、押し付けたりするような作品かなと思います。教育映画やプロパガンダ映画がその最たる例ですね。
対して「見つける」ことの側に重点を置いた映画とは、対象を記録するのに最適な作品の「型」を、あらかじめ用意するのではなく、その都度ごとに発明(発見)する作品ということになります。これまで培ってきた技術や得意とする手法がうまく機能しないならば、容赦なく棄て去らねばならない。既存の「ドキュメンタリー」概念、あるいは自分自身が抱え持つ「ドキュメンタリー」概念の破壊、拡張、更新が求められるわけです。
アヴァンギャルドとドキュメンタリー
松本俊夫は前掲書所収の論考「前衛記録映画論」において、ただカメラを回すだけでは捉えられない「現実」、目に見えない「現実」をいかに捉えられるかという問いを立てた上で、人間の無意識や想像力の可視化を試みたアヴァンギャルド映画(前衛映画)の可能性に注目しました。従来のドキュメンタリーが外部現実の記録を試みるものであり、アヴァンギャルド映画が内部現実の記録を試みるものであるならば、その両者を弁証法的に統一した「前衛記録映画」こそが、現代の諸問題に答え得るもっとも有力な手段になるだろうと言うのです。
このように、「作る」ことより「見つける」ことに重点を置いた自己破壊的・拡張的な制作方針は、自ずとドキュメンタリーをアヴァンギャルド映画や実験映画、もしくはアートフィルムへと接近させることになります。漠然と両者は縁遠いジャンルだと認識している人が多いかもしれませんが、実は伝統的に近しい距離、切っても切れない関係にある。「現代アートハウス入門 ドキュメンタリーの誘惑」の7作品が、それぞれジャンル横断的で、多種多様なアプローチの試行を通じて形成されていることが、その動かぬ証拠と言えるでしょう。
「方法」としてのドキュメンタリーとは、何に対しても適用できる一定の決まった「理論」や「方法」があるということではなく、記録対象のありように応じて「方法」そのものを新たに発明・発見していく作家の「態度」をかたちにすることではないでしょうか。
(トークでは『人間ピラミッド』以外の6本の上映作品についても語りましたが、ここでは割愛します。ぜひjig theaterでの上映や、それ以外の機会に実作品をご覧ください。)
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?