#160 文學界新人賞挑戦記 〜めめのバトンを繋いで〜
10月になりました。先日無事、9月30日締切の、第130回文學界新人賞に4本目の小説を投稿しました! 今日は今回の挑戦に込めた気持ちをまとめます。また note に戻って来て、とても清々しい気持ちです。(ヘッダ写真はこちらより)
カテゴリーエラー
先日中間審査結果の発表があった「note 創作大賞 2024」に応募した作品は、どちらかと言うと自分のための「記録」という要素が強くて、小説としての「作品」になりきれていなかったと思います。同時に、気づいたことがありました。それは、文学賞の世界で「カテゴリーエラー」と呼ばれる間違いです。
今の日本の文学の世界は、「純文学」と「大衆小説」に分けられるのが一般的です。この分類が妥当かどうかという議論はさまざまありますが、僕はそこそこ妥当なのではないかと思っています。note にもそのことを論じた記事があったので、引用しますね。
僕の基準は、「誰が何をどうして、どうなるのか」が面白くて読むのは、大衆小説だと思います。「大衆」とついているからといって、質が低いとか通俗的であるという意味ではありません。あくまで分類です。対して、純文学は、「誰が何をどうして、どうなるのか」はあまり重要ではなく、描くのは「人間性の神秘」です。
ハッピーエンドである必要はなく、出て来た謎が解けないままでもいいし、物語の筋がない、というのもアリな世界です。例を挙げて説明するならば、様々な解釈が存在しうる作品『となりのトトロ』は、小説ではありませんが、純文学的作品だと思います。
その上で、僕が「note 創作大賞 2024」の「恋愛小説部門」に出した小説は、どう読み返しても「恋愛小説」ではありませんでした。あれは、純文学作品です。「誰が何をどうして、どうなるのか」は、「二人の大学生の男女が出会い、5日間を共にする。その物語を、29年後の世界の数人が読む」これだけです。ほとんど筋はありません。描きたかったのは、この5日間が教えてくれた「人の気持ちは時間を超えて繋がっていく」という神秘でした。
文学賞の世界では、その賞が求めているのとは違うジャンルの作品が応募されてくるのを、「カテゴリーエラー」と呼びます。僕が「note 創作大賞 2024」に応募した作品は、小説作品になっていなかっただけではなく、カテゴリーエラーも起こしていた、と分析しました。そしてそれを、修正することに決めました。
文學界新人賞チャレンジ!
初作の後に短編を二本書き、やはり自分が書きたいのは、「誰が何をどうして、どうなるのか」を追求する物語ではなく、「人間性の神秘」を描く純文学だと理解しました。そして残念ながら、「note 創作大賞」には純文学部門はありません。純文学で応募できるコンテストを探して、懐かしい風景に出会いました。高校生の時の自分が、そこにいたのです。
現在の日本の純文学界で活躍する作家は、ほとんどが次の五つの文学賞のいずれかからデビューしており、それぞれの賞にはカラーがあります。
この五つを眺めた時に、自分が多く読んでいて、好きな作家が多くデビューしているのは、圧倒的に「文學界新人賞」であることに気づきました。それであっさり、「じゃあ、文學界新人賞にチャレンジしよう」と決めました。今年が第130回となる文學界新人賞は、例年応募作品が2000編前後、受賞作は1〜2編という最難関です。中編小説(400字詰原稿用紙 70〜150枚)に限定した募集であることから、「芥川賞を意識している」とも言われます。今の時代は海外からでも WEB 応募で気軽に応募できることから、先日無事応募を済ませました。
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めめから勝手に、奪ったバトン
しかし実は、今回文學界新人賞に応募したのは、「note 創作大賞 2024」での失敗以外の理由もありました。それは、高校時代に出会い、大好きでずっと読んでいた作家、鷺沢 萠(さぎさわ めぐむ)さんとの出会いでした。萠さんは、上智大学在学時の1987年、『川べりの道』で当時最年少の19歳で第64回文學界新人賞を受賞し、一躍「女子大生小説家」として脚光を浴びました。彼女の新刊書は、文庫になるのを待たず、単行本で買って読みました。今でも実家の書棚に揃っています(母へ:ぜひ読んでみて下さい)。
そんな萠さんのあだ名は「めめ」で、なんというか、とても憎めない人だったと思います。僕にとっての彼女の一番の名言は、「風邪を引いて食欲がない時には、ビールを飲むといいよ。カロリーちゃんと摂れるから」でした。とにかく酒豪で自分の意見もはっきり言う人で、執筆のための取材で自分に韓国の血が入っていることを知ったことを契機に韓国に留学するなど、バイタリティあふれる人でした。それなのに35歳の時に自殺(状況より推定)で亡くなりました。誰より憧れていた作家を亡くしてしまい、とても悔しかったのを覚えています。
萠さんがまだ活躍なさっていて、自分が大学に入った頃から、漠然と「いつか、めめがデビューした文學界新人賞に応募する」というのが、僕の夢になりました。それでも、小説を書くことはやめてしまい、書きたい内容も思いつかず、大学入学から30年以上が過ぎました。小説が書けなければ、文学賞へ応募はできません。
それを、「やっぱりやってみようか」と思えたのは、「note 創作大賞 2024」での失敗であり、めめの自殺という大きな喪失体験であったのだと思います。高校3年で受験する大学を決める時期になった頃、一時期上智大学を志望していた時期がありました。両親の反対もあり諦めましたが、上智大学へ行きたいと思った理由は、「めめの母校で学びたいと思ったから」でした。これは、両親への30年以上振りの、種明かしです。
めめが、なぜ死ぬ必要があったのかは分かりません。でも、彼女の残した作品は今も生きていて、今でも多くの読者に愛されています。そして、決めました。多くの人が既に同じ気持ちをお持ちかもしれませんが、僕も、めめが書けなかった作品を書くべく、彼女から勝手にバトンを奪って、未来へ繋ぎにいきたいと思います。「めめが今の時代を見たら、きっとこんな物語を書くだろうな」と思いながら、今後も研究や音楽と併せて、小説にも励んでいきたいと思います。
さて次は、どこへ行こうか
文學界新人賞は、厳密に「未発表原稿に限る」という文学賞です。ですので、ここではタイトルを含めて、一切の情報を公開することができません。ですが、もし「その小説、読んでもいいよ」という方がいらっしゃれば、ぜひ以下よりご連絡ください。個人に見せるのは「発表・公開」にはあたらないので、小説の原稿をお送りします。
次作は、作品の方向性を純文学の中でも心象描写から少しだけリアリズム文学に寄せて、2025年3月末締切の「新潮新人賞」に応募すべく、現在プロットを練っています。どなたか、一緒に書いて相互にレビューし合って、出しませんか? 隔週で Zoom お茶会しながら進捗報告会したりしながら……ご興味ある方はぜひご連絡ください! 小説は楽しく書くに限ります✨
最後に、今回の文學界新人賞挑戦にあたっては、大切な友人三人に、原稿の下読みをお願いしました。誤字脱字に同音異義語の間違い、不快な表現の指摘や登場人物の感情の不整合性など、細部に渡るチェックをして頂きました。この場を借りて、三人のみなさまに感謝申し上げます。
今日もお読みくださって、ありがとうございました📚
(2024年10月4日)
サポートってどういうものなのだろう?もしいただけたら、金額の多少に関わらず、うーんと使い道を考えて、そのお金をどう使ったかを note 記事にします☕️