#119 会社員でよかったこと〜ルビーは小指に✨
宝石はお好きですか?自分で身につけるために、あるいはパートナーへのプレゼントに、宝石を買うのは特別なイベントで、宝石の輝きには買った時の想いも詰まっているのではないかと思います。
僕は現在はドイツの大学で研究員をしていますが、長年楽器メーカーで海外営業を担当する会社員でした。今日はそんな会社員時代に、宝石のルビーを大量に仕入れた話をしたいと思います。上の画像は Color Hex サイトで定義されたルビーレッド色です。ルビーは真紅だと思っていた方も多いのではないでしょうか?
楽器業界のタブー
楽器は、音を奏でていなくてもとても美しいものです。丁寧に塗装されたギター、曇り一つなく磨き上げられたピアノ、そして多種多様な金属を用いて作られる管楽器。そんな中でも、主に銀、時には金やプラチナといった貴金属が主な材料となるフルートは、時に宝飾品のような輝きを見せます。僕はかつて、ハンドメイド・フルートを作っている国内の会社で海外営業の仕事をしていました。
その会社が創業40周年を記念して、限定品の特別なフルートを作ろう、という企画が持ち上がりました。全社員からアイディアを募り、僕が出したアイディアが一つ採用されました。それは、「40年目の結婚記念日」に贈られることの多い、宝石のルビーを、楽器に埋め込もうというものでした。
しかし、楽器業界には一つのタブーがありました。それは、「楽器は音楽を奏でるものであり、美術品ではない」という暗黙の了解です。サクソフォンなどは例外的に楽器の胴体に彫刻が施されますが、基本的には楽器を「飾り立てる」のは嫌われます。「ルビーを楽器に埋め込む」アイディアを実現するには、技術的な問題をクリアした上で、「宝石が出しゃばらないようにする」工夫が必要でした。
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ラウンドブリリアントカット
「宝石が出しゃばらないようにする工夫」を考えつつも、ルビーが手に入らないことには話が始まりません。予算と必要なスペックを満たすルビーを探す作業が始まりました。当時の条件は次の通りでした。
一番難しかったのは二番目の条件で、これは僕が出した条件でした。ルビーはダイヤモンドなどと比べると、楕円形にカットされることが多く、ダイヤモンドで一般的な「ラウンドブリリアントカット」のものは少ないのです。しかし、楽器に埋め込めるルビーは小さいものに限られるので、「小さくてもちゃんと輝く」ためには、どうしてもラウンドブリリアントカットにこだわりたかったのです。
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ルビーは、真紅じゃないんだよ
ラウンドブリリアントカットのルビーの裸石を扱っている宝石工房を東京、御徒町に見つけ、製造部長と僕で早速訪問しました。一般のお客さん向けに指輪やペンダントを販売している店ではないので、地味な工房に案内されました。
その日紹介してもらったのは、0.07カラットのミャンマー産天然ルビー、ラウンドブリリアントカット。100石以上の準備が可能ということで、「それではどうぞよろしくお願いします」と話して店を後にしました。宝石を100石以上買うなんて、おそらく今後一生ないと思います。
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ルビーは小指に✨
石の手配が済むと、次は「技術的に可能で、かつルビーが出しゃばらない」埋め込み場所と埋め込み方法を考える必要がありました。ルビーを埋め込む加工のために音が犠牲になったり、あるいはメンテナンス上の制約が出たりしては、「音楽を軽視している!」と業界や先生方からお叱りを受けます。実は、この部分が一番難しかったです。
「フルートに宝石を埋め込む」と聞いてほとんどの人が真っ先に思い浮かべるのは、下図Aの位置です。俵管と呼ばれるフルートのこの部分には、補強のために2本のリングが付いているので、どちらかのリングの中央にルビーを埋め込めば、ちょうど指輪のようでいいだろう、と普通は考えます。社内にもその意見はありました。でも僕はその場所は選びませんでした。なぜだと思いますか?
もしリングに埋め込んだルビーが外れた場合、修理をするには楽器ごとお客様から預かり、宝石を留める作業は社内ではできないので、楽器ごと宝石工房に出す必要があります。ここで、
という問題が生じます。「楽器に宝石なんか埋め込むからだ!」と後でお叱りを受ける声が聞こえてくるようでした。そこで僕が思ったのは「取り外しできる部分につければいいのではないか」ということでした。
最終的に選んだのは左手小指のキー(上図B)。キーがたくさん付いている木管楽器は、フルート、サックス、オーボエ、クラリネットとどれも「左手小指キー」が飛び出しています。小指は短いので、キーを長くして操作しやすくするためです。小指キーは取り外せるので、もし石はずれなどの問題が起きた場合でも、楽器ごと預かる必要はありません。
ルビー付きの小指キーだけを外して宝石工房に出し、修理中は普通の小指キーに付け替えて楽器をお客様にお戻しすることで、練習・演奏が中断されることがないようにしたのです。「宝石が音楽を邪魔しないように」です。同時に、左手小指キーは楽器の中央部にあるので、そこににルビーを埋め込めば、一際目を引くのでは、という思いもありました。
出来上がった楽器は好評で、世界中に出荷されていきました。印象的だったのは、「これはうちの国では好まれない」と宝石を埋め込むことに否定的だったある国の営業責任者が、「でも私は好きだから、自分のお金で買う!」と言ってくれたことです。
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会社員だからできたこと
そのプロジェクトは、製品に関わる全ての部署の協力で初めて可能になりました。普段楽器とは縁のない宝石工房は、指輪やペンダントではなく、楽器にルビーを埋め込むという慣れない作業を短い納期で引き受けてくれました。そんな難しい依頼ができたのも、会社組織がバックにあったからに違いありません。その工房とやりとりする製造部門も、その製品だけ工程を変更しました。
営業は、上に説明した「宝石は音楽を邪魔しない」ことをきちんと国内外の販売代理店に伝え、この楽器が演奏性能と希少価値を兼ね備えたものであることを説明しました。会社組織の一員であることで、一人の能力や知見では到底成し得ない、「おもしろいこと」ができた経験でした。仕事でしたが、まるで学園祭の準備をしているような気持ちでした。
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今も世界のどこかで
楽器業界から離れた後、何気なくヤマハ銀座本店の管楽器フロアを歩いていると、「限定モデル中古!」と、小指にルビーの入ったあの楽器が展示されていました。「そのルビーは僕が見つけてきたんだ」と、とても誇らしい気持ちになりました。今も、百数十本が世界のどこかで美しい音を奏でているはずです。
あのルビー入りの小指キー、一つ売ってもらって記念に手元に置いておくんだったな、と今になって思います✨
今日もお読みくださって、ありがとうございました。
(2024年3月25日)