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#33 つくばウォーク 〜盛大なる1人イベント〜

「イベント」って普通は大勢で集まってやるものですよね。でもどうしてもやりたいイベントが大勢で集まれない性質の場合、みなさんならどうしますか?僕は、「じゃあ、一人でやっちゃえ!」と考えます。今日はそんな、「盛大なる一人イベント」の話にお付き合いください。


大好きだった教室

筑波大学の学生だった頃、高校受験をメインとする学習塾で英語と数学を教えていました。自分で理解して使うだけではなく、英語や数学がむしろ苦手な中学生に「こんな風に考えると、分かりやすいよ」と説明したり、「英語ができると、こんな楽しいことがあるよ」と興味を持ってもらえるような話をしたりをするのが好きでした。その塾は1クラス4人までの少人数クラスを売りにしていて、小さいビルの2Fをパーティションで区切った小さな教室は秘密基地のようでした。

塾は順調に生徒を増やし、少し離れた大きめのビルに移転することになりました。秘密基地感いっぱいの教室とはお別れすることに。最後の夜となった1995年6月30日、生徒が帰った後の教室に先生方が集まり、ビールやワインを持ち込んでお別れ会をしました。僕にとっては、「教えることの喜びを教えてくれた場所」とのお別れでした。


月夜のハイキング🌙

教室でお別れ会をした翌年の同じ日、「新しい教室はきれいだけれど、秘密基地みたいな前の教室もやっぱりよかったよね」ということで、移転1周年を記念した飲み会をすることにしました。会場は JR土浦駅ビル WING 屋上のビアガーデン。当時の先生方に幅広く声をかけたつもりが、参加したのは3人だけでした。昔話をしながら飲むだけ飲んで、あまり食べなかったので、「お腹空いたよね」ということになり、「少し歩いたところに、ファミレスあるから」とJR土浦駅から酔いざましも兼ねて歩き始めました。

土浦駅ビルが WING だった時代の貴重な写真
初めて飲食店のアルバイトをしたのはこの駅ビルでした

しかしどこで道を間違えたのか、気づくとすっかり人気のないエリアに入ってしまい、人どころか車もほとんど通りかからず、街灯もない里山に入り込んでしまっていました。それでも酔った勢いからか、「じゃあ、歩いて帰っちゃえ!」とバスで30分かかる JR土浦駅〜筑波大学の距離を歩き始めました。この日は雲一つない晴天で、後で調べるとちょうど満月の夜でした。月明かりに導かれて歩きながら、「月ってこんなに明るかったんだ」と思いました。

1996年6月30日〜7月1日はたしかに満月の夜だった
こよみのページ(http://koyomi8.com/index.php)より
道沿いには鮮やかな緑の景色が広がります

そんな道中はさながら、映画『スタンド・バイ・ミー』のようでした。真夜中の里山は車も通らないので、男3人で道の真ん中を歩き、周囲には民家もほとんどなく迷惑にもならないので大声で話して笑って、青春の素敵な1ページになりました(後年かなり美化されているとは思いますが)。6時間ほど歩き続けて、筑波大学に着いたのはそろそろ明るくなろうかという午前3時半でした。

沿線には廃校になった学校も散見されます
「ピカソ」陶芸の彩遊舎は長く続いています
何の変哲もない坂道に見えますが、満月の夜、道の真ん中を
気のおけない友人たちと歩くと「青春の坂道」になりました
筑波大学中央図書館前〜一応のゴールですが、
さらに5km、つくばセンターまで歩きます
つくばセンタービル(屋上棟にTCとあるビル)が見えたらゴールです
建築家・故磯崎新氏の1983年の代表作です(写真クリックでニュース記事)

「あの日」を毎年!

「あの夜、よかったよね〜」ということで、JR土浦駅〜筑波大学間の約30kmを歩くイベントを翌年からもやろうということになりました。さすがに飲んでから歩くのは危険ということで、「朝から歩き始めて夕方にゴール、その後打ち上げ」という流れに変更し、1997年から2000年まで4回歩きました。その後はメンバーが全員就職したこともあり、自然消滅してしまいました。コース上のなじみの店が閉店したり、市町村が合併したりと、多くの変化がありました。

打ち上げはつくば市が桜村だった時代から続く「やきとり柳仙」でスタート
お年を召した姉弟が切り盛りされており、学生時代からよく行った店です

「あの日」をもう一度!

15年が過ぎ、当時のメンバーの僕以外の2人がそれぞれ責任あるポストで立派な仕事をこなしている一方、僕は「海外営業」とは名ばかりの事務職として、都内の中小企業で働いていました。「このままではどうにも埒が開かない。なにかブレークスルーはないものか」と思い悩む毎日でした。毎朝会社へ行くのが苦痛になり、先にも投稿したように「駅のベンチを予約して休憩したい」と思うほど病んでしまっていました。

その時なぜか思い出したのが、他愛もない話をしながら歩き続けた「つくばウォーク」の道でした。何の脈絡もなく、

もう一度歩けば、あの青春の道が何か教えてくれるのではないか?

天使の声か悪魔のささやきか

という他力本願的なことを思いついたのです。15年も歩いておらず半ば忘れていた道は、Google のストリートビューの力を借りて思い出しました。かつて一緒に歩いた2人に「また一緒に歩かないか?」と言える状態ではなかったので、一人で歩くことにしました。こうして、「つくばウォーク」は「盛大なる一人イベント」として2016年に復活しました!

旧筑波鉄道・関東鉄道筑波線 田土部駅
線路跡はサイクリングロードとして整備されています

その後も懲りずに毎年一人で歩き続け、今年、ドイツに来る前にも日本を離れる2週間前に歩きました。昨年と今年はゴール後の打ち上げに友人が合流してくれ、少しずつ昔の「つくばウォーク」の雰囲気に近づいているような気がします。


来年は note のみなさんと✨

実は「つくばウォーク」のコースは、「西の富士、東の筑波」とも呼ばれる霊峰筑波山(標高 270m の等高線より上は、筑波山神社の私有地で神域)が里と交わるラインを辿っており、ひょっとするとずっと昔の人が筑波山へ参拝した巡礼道と重なっているのではないか、本当に霊力の強い道なのではないかと感じています。

ここで、note を始めて初めての宣伝をします😎 note を読んでくださっているみなさん、フォロワーのみなさん、そして note の場で知り合った大切な「新しいともだち」のあなた、来年は一緒に歩きませんか?「あの道」に宿る特別な意味は僕の個人的なものかもしれません。それでも、盛夏に限界まで汗をかきながら 30km を歩き通すと、「頭の中の余計なグルグル」が汗と一緒に出て行って、「自分にとって本当に大切なもの」だけが残ることが実感できます。とってもとっても、いいですよ。

開催は2024年の7月か8月、当日は朝7時頃から歩き始めて午後3時までにはゴール、その後ホテルでシャワーを浴びて午後5時から打ち上げです🍻翌日筑波山神社に御礼詣りをして締め、というプランです。僕はそれまでにドイツから秋以降の派遣先のアブダビへ引っ越すという大仕事がありますが、「つくばウォーク」のためなら頑張るぞ、という気持ちになれます。

参加表明、お待ちしております。コメント欄に書き込んでください!

でも誰も来なくても、「盛大なる一人イベント」はずっと続きます。途切れないように続ければ、いつかまた誰かが来てくれるかもしれない、と思えるので、一人でもちゃんとずっと続けます。

打ち上げの最後はこんな素敵なバーで
詳細は写真をクリック🍸

今日も読んでくださって、ありがとうございました⛰️
(2023年8月13日)

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ささきとおる🇳🇱50歳からの海外博士挑戦
サポートってどういうものなのだろう?もしいただけたら、金額の多少に関わらず、うーんと使い道を考えて、そのお金をどう使ったかを note 記事にします☕️