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#27 何のために書くか 〜ChatGPT考〜

みなさんは、上の写真のような「機械式タイプライター」を使ったことがありますか?僕は、高校時代に英語部が使っていたものを、「もう使わないからあげるよ」と言われて譲り受けたものが今でも実家の押し入れに眠っています。昔は手書き原稿をタイプライターで清書する「タイピスト」という仕事がありました。今日は、「文章を書く」という作業について、少し考えてみたいと思います。


ChatGPT

note 記事も25本を越えたので、そろそろ何か自分の専門分野に関わる内容を書く方がよさそうです。僕は、ChatGPT をはじめとする「生成系 AI」の利用がデフォルトとなる時代に、人間が「言語を学び、使う」とは一体どういうことなのか、このテーマを教育学的、社会学的、哲学的にではなく、AI 技術の面から考え、技術でサポートする研究をしています。
 とても大きなテーマなので、実際に日々取り組んでいるのはその中の「小さな小さな歯車」ということになります。ここでは ChatGPT などの生成系言語モデルの動作原理や内部構造に触れるのではなく、ChatGPT が習得した(ように見える)「文章を書く」作業について、一歩引いた観点から考察できればと思います。


3つの視点

文章を書くことは、学校教育の中で常に注目されてきたテーマです。国語や英語の授業のみならず、あらゆる教科で文章を書いて何かを説明したりテストに解答したりしますし、友達にメッセージを送るのも、ソーシャルメディア上で発信するのも「書く」ことがベースになっています。では、「何のために書くか」、つまり「書く」作業の目的を言語学的枠組みで考えてみます。「書く」という言葉は他動詞で目的語を取るので、図示するならば下のようになります。関係するのは、「書き手=主語」「書く過程=動作」「書く内容=目的語」の3つです。つまり「書く」作業の目的も、この3つに対応して3つあると考えてもいいはずです。

「書く」作業の文法的分解
  1. 「書いた結果得られる成果物(=文書)が必要だから」→ 目的語指向

  2. 「書くためには情報の整理が必要で、その過程で書き手の思考が論理化されるから」→ 主語指向

  3. 「書く作業そのものが楽しい、あるいは自浄作用があるから」→ 動詞指向

1つ目は目的語に注目した観点で、至極当たり前の視点です。2つ目は主語に注目した観点で、書いた成果物ではなく「書き手の変化」に目的を見出す立場です。3つ目は動詞に注目した観点で、動作そのものに価値を見出す考え方です。

例を挙げておく方がいいと思います。1の例は、行政や企業での文書作成全般が当てはまります。そのような場面では、「〇〇さんが書いてくれたから嬉しい」とか「文書作成によって社員の精神的成熟を図る」といったことは通例考えません。用途に応える文書ができれば、それでよしと思います。
 2の例は学校現場での作文教育が挙げられるでしょう。評価は成果物として提出された作文で行うにせよ、ねらいはあくまで「思考力を鍛える」部分にあります。そのため、ChatGPT が書いた作文が提出されるようになった学校が、あわてて代替案を考えているのです。
 3は少し難しいかもしれませんが、僕が受けている「書くカウンセリング」(先の投稿「#8 マイ・ディア・カウンセラー」をご覧ください)が典型例です。日本では「カウンセリング」というと、ソファのある部屋でカウンセラーと向かい合って話すイメージが強いかもしれませんが、自分が思い悩んでいることを文章にして書き出してみると、意外なほど気持ちの整理ができ、時に話す以上の効果があります。「日記をつける」というのも、一種の「書くカウンセリング」ではないかと思います。


生成系言語モデルの役割

これら3つの目的のうち、ChatGPT などの生成系言語モデルが代替できるのは1だけです。1では、生成系 AI で自動化できる部分はどんどん自動化して、余った労働力は「(今のところ)人間にしかできない作業」に振り向けるのが賢明だと思います。しかし実際は、1が盛り上がれば盛り上がるほど、2と3が忘れられる傾向にあり、「文章を書くのは1のためだ」と「書く」作業の意義が縮小解釈されてしまっている、というのが2023年これまでの流れだったように思います。

1の作業には膨大な労力が割かれています。事務系公務員や会社員の仕事のかなりの割合は文書作成ではないでしょうか?だとすれば、それを自動化することは巨大なビジネスとなり、資本主義社会である以上ビジネスセクターの価値観が世の中の趨勢と解釈されることが多いので、昨今のような「ChatGPT に踊らされている」状態が生まれたのだと思います。


今は冷静に

僕の生成系言語モデルの利用に対する姿勢は、

ビジネストレンドだけに踊らされず、人間にとっての「言語使用」の意味をもう一度考え直そう。その上で、人間と AI が協働する未来に、「どの部分は AI 技術が補完」でき、「どの部分はやはり人間が行う」べきかを考えよう。

のようにまとめられます。巨大ビジネスを回すことで技術革新が得られるので、ChatGPT などの生成モデルの応用技術の研究はどんどん進めるのがいいと思います。他方、主に大学では5年先、10年先に今の幼稚園児や小学生が生成モデルを使うようになる時代に、どんな事態になったとしても、「2023年の ChatGPT 元年から、ちゃんと研究・準備していたので、大丈夫ですよ」と言える状態を作っておくのが、大人の責任であろうと思うのです。

いつの時代も、子どもたちが豊かな言語文化と共にいられるための技術を

今日もお読みくださって、ありがとうございました✍️
(2023年8月7日)


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ささきとおる🇳🇱50歳からの海外博士挑戦
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