名付けるという暴力:名前の無い毒は最後に効いてくる。【中編】アンナチュラルの話
今回は,「名前がついたがために,ろくでもないできごとがよりろくでもなくなってしまうこと」についてのお話です。名前がついたことによって存在してしまった毒の話といってもいいと思います。
前回は「名前がついたからこそ理解できたこと」についてのお話だったので,その反対向きの話ということになります。
ではいってみましょう。
高野島ショック
まずは「高野島ショック」の話からいってみましょう。これは前回でもお話しした第1話の「名前の無い毒」に登場した社会現象の名前です。まあ社会現象というか,ドラマの中ではテレビのワイドショーとネット上で炎上している大騒ぎということになるのですが。
具体的な「ショック」の内容はこうです。会社員である高野島渡さんは,サウジアラビアに出張し帰国したとき,咳や発熱などの自覚症状があったにも関わらず入国審査で申告しませんでした。
そのまま病院での健康診断に行ってまずその病院で感染を広げ,さらには会社に出社して同僚にも感染させました。この社員たちは隔離されています。東央医大病院で同日に健診を受けた48名,病院関係者8名が感染しました。またそれ以外で隔離されている人が2人出ています。
その上,外部のデザイン会社の敷島由果さんを感染させます。狭い部屋で打ち合わせたための感染で,喘息の既往があった敷島さんを死に至らしめたとされました。
たった一人の会社員が,新型コロナウイルス感染を広げ,死者も出し,社会にパニックをもたらした。これが「高野島ショック」です。当然,マスコミでも叩かれ,インターネット上でも高野島さんの本名も顔写真も晒され,世間の非難を浴びます。極悪人のように。
短文投稿サイト(これはおそらく「つぶったー」ですね,物語世界でいうと)には,こんなコメントが踊ります。
「どうして届け出さなかったの?」
「コイツのせいで被害拡大」
「本人はわかってたろうに。」
「歩く細菌兵器」
「自覚症状あったんだから有罪」
「名前と住所さらすべき」
「この男がウィルス第1号!」
「死ね!ってもう死んでるか(笑)」
このような,われわれにも既視感のある,またご遺族や婚約者にとっては見るに耐えないコメントが並びます。
さらに,葬儀に押しかけたマスコミからご両親は「息子さんのせいで敷島由果さん死んでるんですよ!どう責任とるんですか!」と罵倒されます。ここで罵倒しているのは,のちのちこの「アンナチュラル」全体のストーリーに大きくかかわってくる宍戸なのですが,この第1話の時点では,私たち視聴者は知るよしもありません。
しかし,この件の事実は,ここで考えられているようなことではありませんでした。「高野島ショック」は実在しません。いえ,「ショック」は確かにあったのですが,それに高野島さんのお名前はつけられるべきではありませんでした。
三澄先生たちの丹念な,そして大胆な検証により明らかになったのは,こんな事実です。
高野島さんは,帰国時にはおそらく咳や発熱などの自覚症状はありませんでした。そして念のため,東央医大病院に健康診断を受けに行きました。そこで,実は東央医大のコロナウイルス研究チームから漏れていたMERSコロナウイルスの院内感染により,高野島さんは感染したのです。ウイルスが漏れたのは高野島さんの感染から1ヶ月も前の話で,病院内でそれが隠蔽されていたのです。高野島さんは被害者だったのです。
東央医大の院長は,神倉所長の助言を受けて,潔く記者会見をして潔く責任を認め,潔く謝罪しました。この物語は2018年に放送されたものであり,2019年末から流行した新型コロナウイルスCOVID-19を予言したものとして大変話題になりました。
当時耳慣れなかった,しかしその後誰もが知るようになった「コロナウイルス」「PCR法での検出」「手洗いうがい」が作中で語られており,後に見返したすと驚かざるを得ません。
しかし一方で,われわれの社会の現実とは異なる現象も描かれています。その一つがこの「潔い謝罪」です。本当に残念なことに,あらゆる責任を認めず言い逃れし責任回避するわれわれの社会では,こんな潔い謝罪をめったに目にすることはできません。「謝ったら死ぬ病」と揶揄される,現代社会にはびこる病理です。
潔い謝罪があってこその名誉回復です。この会見のあとは描かれていませんが,おそらくはこの後に何らかの名誉回復措置は取られるのではないかと想像できます。
しかし,われわれには知るべくもありませんが,それまで責めていたみなさんは高野島さんと高野島さんのご遺族には,多少なりとも謝ったのかということが気になります。
バラエティ番組の司会の方,おそらく謝っていませんよね。宍戸も謝りはしないでしょう。敷島由果さんのお母さまはテレビにご出演されて高野島さんを非難されていました。後で謝ったでしょうか。つぶったーに攻撃つぶーと,揶揄つぶーと,冷笑つぶーとを上げた人たちは,もうこのタイミングでは別のターゲットに移っていて、高野島さんのことなんか思い出しもしないでしょうか。
三澄先生は,東央医大の院長に高野島渉さんの名誉の回復をお願いしています。「ご遺族がこれから生きていくためにも。」しかし,院長がテレビで謝罪しただけで名誉は回復したでしょうか。
先の会話の中で三澄先生は,「ウイルス漏れを隠すことは,名前の無い毒をばらまくのと同じことです。死ななくていい人が大勢死んだ」と院長に告げています。名前が無くて実体がある毒です。一方で「高野島ショック」は,名前だけがあって実態が無い毒でした。これがご本人やご遺族,婚約者の馬場さんを深く傷つけました。
これが,「名前がついたことでよりろくでもないことが起きてしまった」例の一つ目です。
アルファベットにちなんだ26人連続殺人事件
名前がついたことで生じてしまったことのうちで,この物語の中でも最悪のことは,なんと言っても高瀬の行なった連続殺人事件でしょう。不動産業を営む高瀬(彼は第8話の雑居ビル火災の唯一の生存者でもあります)が実行し,宍戸が週刊誌に記載した26人にわたる連続殺人事件です。
殺害方法の頭文字をAからZまでそろえて26通り用意し,それぞれの方法で実際に人を殺めてその方法をコンプリートしていくという凶悪犯罪です。これは高瀬が始めて,途中から宍戸が,おそらく直接に手は下していないものの強く関与して助力を与えています。
このおそろしい連続殺人が連続殺人として動き出したのがどの時点でなのかはわかりません。宍戸の本の記述によれば,10年前ということになります。この被害者の中には,中堂さんの恋人の糀谷夕希子さんも含まれています。そのことで中堂さんは「赤い金魚」を手がかりに粘り強く追い続けます。
この事件も,名前に囚われた故にろくでもないことが更にろくでもないことになってしまった事件と言えるでしょう。というか,この物語中に起きる最悪の問題の一つということは間違いなく言えるでしょう。最悪の問題の一つなのですが,この問題の最悪さは一段階複雑なものになっていて,より「名前の名前性」が色濃く出てくる問題になっています。
一つ一つの殺害方法にアルファベットの一文字一文字を当てていく,ということは,一件目の殺人を起こした段階で,26人を殺すことが決まってしまっています。これは厳密には名前というよりは,その構造・しくみが問題です。そして大量の殺人が行われることを10年前に決定づけたと言えるでしょう。
これが走り出した以上,26人殺害するより仕方がなくなってしまいます。アルファベット26文字分が頭文字になった死因を考えるのは,番組の制作者はさぞ大変だったのではないかと思うのですが,この考案を物語上の人物のレベルで考えると,26個もの方法を考えついた段階から高瀬は強い充実感を抱いていたのではないでしょうか。
この企画を完成させるためには,高瀬は本当に26人に対して実行するしかない。正確にいうならば,「名前がついたから」というよりは「名前のセットができあがってしまったから」というのが正しいと思うのですが,ともかくまだ存在していない殺人というものがこの名前のセットによって先取りして存在してしまった。
この現象は「高瀬が高瀬自身にかけた呪い」といってもいいのではないでしょうか。この呪いは,怪しげな記事を書き続けて読者の関心を買い続けるという,宍戸が宍戸自身にかけた呪いが合流することでさらに加速していきます。ここではこの2人によって,言ってみれば「呪いのハウリング」が起きているのです。
そしてついにこの呪いは成就し,実世界での実質的な罰を避けるために高瀬は西武蔵野署に出頭します。取り調べでは高瀬はさらに,言葉を操って毛利さんを煙に巻いていきます。いえ,煙に巻けるような巧妙な言葉ではないのですが,まるで呪いの続きのように,まったくありそうもないことを堂々と語ることで罰を逃れようとするのです。
この呪いに,さらに呪いをもって対抗しようとしたのが中堂さんです。中堂さんは,高瀬が宍戸の情報を元に言い逃れをすることを阻止するための嘘の鑑定書を作り,三澄先生にそれを提出するように迫ります。
高瀬の「いけしゃあしゃあとした言い逃れ」という呪いを,「都合の悪いことは削除した鑑定書」という呪いをかけ返すことで解除しようとしたのです(ちなみにこの書類の偽造は中堂さんの得意技で,全10話中で3回もやっています)。
この呪いの解除は一見有効です。しかしこれには,三澄先生に「一度嘘の鑑定書を書いた」という新たな呪いをかけることになります。三澄先生は,ここで高瀬の呪いを受けるか,中堂さんの呪い返しによる新たな呪いを受けるかの二択というきびしい選択を迫られます。
このとき三澄先生は,お母さまからの肯定と東海林さんからの応援もあって「嘘の鑑定書は書かない」ということを選択します。結果的にはこの選択は,神倉所長が正面から引き受けてくれました。三澄先生に決断の負担を負わせず,かつ筋を通して烏田検事に面と向かって啖呵を切ってくれました。
このときの神倉所長はものすごくかっこいいですね。こういう上司がいてくれるととても助かります。
中堂さんはなおもあきらめず,宍戸に対して暴力と,嘘の薬剤名を言うことでの翻弄という形で宍戸から物証を引き出そうとします。これは成功寸前まで行きましたが,宍戸のあくまでしぶとい抵抗により失敗に終わりました。
この件で最後に高瀬を追い込んだのは,麹谷夕希子さんのご遺体に残されていたDNAという物証でした。事件後8年の年月を経て,その間に進歩した技術の賜物です。
さらにこの物証が得られたのは,
・久部さんが末次さんに文詠館のロビーで末次さんに記事について詰め寄ったこと
・久部さんの詰め寄りによって糀谷和有さん(糀谷夕希子さんのお父さま)がUDIに繋がったこと
・神倉所長と東海林さんが糀谷夕希子さんのご遺体が火葬されずに残っている可能性があるのに気付いたこと
・東海林さんがダッシュで糀谷さんを追いかけたこと
・神倉所長がアメリカまで飛んでご遺体をUDIまで運ぶ手続きをしたこと
というUDIメンバーのリレーによって実現しました。
この物証も,高瀬は強弁により逃れようとします。ここで高瀬をしとめたのは,最後の最後で三澄先生が高瀬にかけた新たな呪いでした。
三澄先生は,高瀬の生い立ちにから今回の犯行に至るまでのストーリーを述べます。高瀬は母親の暴力と呪いを逃れることができず,ついに救われないままこの犯行に至ったというストーリー=呪いです。このストーリーは高瀬には受け容れ難いものであり,何としても認めたくないものだったために,否定するために26人の連続殺人の方を認めるという行動に出たのです。
私は正直,「最後の最後に三澄先生が新たな呪いをかけることによって自供を引き出す」というこのやり方でよかったのか,とは考えます。あくまで呪いとは別の,丹念な解剖という方法で結論を導き出すのが三澄先生のやり方ではないのかと思うからです。
一方で,三澄先生がこの方法をとったことに一定の理解をすることはできます。なぜなら,三澄先生もまた「母親のすさまじい暴力と呪いを受け,死の寸前まで連れて行かれた経験」を持つ人だからです。
三澄先生の場合はその後引き取られた三澄の家で,大切に守られて育ちました。おそらくはその結果,自分自身で事件のことを振り返り,自ら研究し,自分なりの区切りと決着を(ある程度)つけることができました。それが現在の職業にも結びついています。
ですから,ある意味三澄先生が揶揄のように言った高瀬への「心から」の同情は,根拠のないものではないのです。高瀬は,「三澄の家に引き取られなかったら自分がそうなっていたかもしれなかった,可能世界における三澄先生自身」でもあるからです。
ちょっと長いですが,法廷での三澄先生の言葉を引用しましょう。
「被告人は,今もなお,死んだ母親の幻影に苦しめられています。30才を過ぎてもなお,子どものころのまんまなんです。誰も彼を救えなかった。あなたも,自分自身を救えなかった。あなたの孤独に,心から同情します。」
高瀬が最も嫌がること,そうされることが罪を認めることよりも耐え難いことが「同情」であることが,三澄先生は手に取るようにわかったのでしょう。もう一人の自分なのですから。
話を戻しましょう。名前が「つくことでよりろくでもないことが起こってしまうこと」の話でした。
この連続殺人事件は,殺害方法の名前を26個用意することで現実に起こされてしまいます。名前が先行して,それと整合させるためにとんでもない犯罪が重ねられたのです。そこから起こったのは,「名前が先行して人に対しての効力が生み出されてしまうこと」すなわち呪いの,連鎖です。
この種の名前をつけることは,呪いをかけるのと同じ効果をもっているのです。
わかりやすい名前をつけることについて
ここまで,あるのかないのかわからないことやより複雑な現象に,わかりやすい名前をつけることによってその名前が力を帯びてしまうこと,そしてそれが暴力として人々に襲いかかることについてお話してきました。
これは前回の,「名前をつけることによって理解できることがある」ということとセットの現象になります。どちらにも共通するのは,名前が誕生することで,それが指し示すものまで生み出されたのと同等の効果が生まれてしまうということです。
何かの現象に名前をつけたくなるときにはこのように,「それによって何か実体を生み出してしまう可能性がある」こと,そしてとりわけそれが呪いとして機能してしまうことがあるということは,われわれはいつでも頭に置いておいてよいことなのではないでしょうか。
さて,ここで次に,「不正確な名前で呼ぶこと」の問題についてお話ししたいのですが,今回の話がだいぶ長くなってしまいましたのでとりあえずここまでにします。この話は「名前の無い毒は最後に効いてくる」の後編でお話することにいたしましょう。
ここまで読んでくださってありがとうございました。次回もまた,どうぞよろしくお願いいたします。
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佐々木玲仁
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