「窒素ー農業ー戦争」
今から一万年ほど前に人類は農耕を始めたことで安定して個体を増やすことに成功してきました。この農業において「窒素」が非常に重要です。
農業と窒素
農業に必要な要素として「窒素(N)・リン(P)・カリウム(K)」が重要なことが知られています。カリウムとリンは岩石によく含まれていて、水と反応することで溶け出します。一方で窒素は岩石にはほとんど含まれず、大気には78%含まれているのですが、反応性が低く水に溶け出したりはしません。そこで根粒菌と呼ばれる菌やシアノバクテリアという細菌の働きによって大気のN2がアンモニアに変換され植物が利用可能になるのです。つまりこの世界の一次生産の土台は、細菌による窒素固定に完全に頼っているということです。すごい。実際に農作物の耕作地からは窒素が最も早く枯渇してしまうことが知られています。つまりこの世界の植物の量を制限している元素は窒素であり、ひいては人類を含めた生物の定員は窒素が制限していると言っても過言ではないのです。
「グアノ」と「チリ硝石」
窒素が豊富にあれば農業の生産量を上げられることが分かったので、肥料を撒けばいいのではと考えました。しかし大気窒素は反応性が低いので簡単には利用できません。微生物に頼るしかないのです。そこでアンモニアを含むような糞尿を畑に撒いたりしてたわけですが、ヨーロッパではもっといいものを見つけていました。その一つが「グアノ」です。グアノとは鳥の糞尿や死骸が堆積して一つの島のようになったものです。鳥が作る島なんて、時間は想像もできないものを作り上げるものですね。窒素やミネラル、リンなどを含むグアノは良い肥料として利用されまくりました。さらに19世紀後半には銃火器を用いた戦争に利用する火薬の成分であるニトログリセリンや硝酸カリウムの合成のためにも利用されました。最終的に神秘のグアノは取り尽くされてしまいました。
19世紀の窒素需要に応えるために、次には「チリ硝石」が利用されました。チリ硝石は硝酸ナトリウムという鉱物で、砂漠地帯の植物や土壌、もしくは雷放電由来や火山性の窒素が鉱物化し地表に沈殿したものです。これはグアノに代わり19世紀から20世紀にかけての農業や火薬の窒素需要に応えていました。しかしまだ人類は自然に与えられた窒素の贈り物を利用するにとどまっていたのも事実でした。
革命 「ハーバー・ボッシュ法」
アンモニアを自由自在に合成できたら巨万の富が手に入ると気付き、大気に余るほどあるにも関わらず、肺に入っても何とも反応せずに素通りするような反応性の低い窒素(N2)からアンモニアを合成することに成功したのがドイツのハーバーである。そしてこれを工業化したのがドイツのボッシュであり、これは「ハーバー・ボッシュ法」として知られています。N2は水素(H2)と反応すればアンモニア(NH3)になるのは明らかですから、あとはエネルギーを与る、もしくは触媒を利用して変換効率を上げれば実現できます。試行錯誤の末、500℃100気圧でオスミウムという金属触媒のもとで窒素と水素を反応させるに至りました。これは革命的なことであり、19世紀後半からの人口増加を支えることができるぞ!とウキウキだったと思います。
しかし、アンモニアを酸化させた硝酸は火薬の原料です。嫌な予感。
アンモニア合成と戦争
1913年、ウキウキでアンモニアを合成していたボッシュらの会社(BASF社)でしたが、セルビアのサラエボでの有名な事件ののち、第一次世界大戦が勃発しました。当然合成アンモニアは硝酸合成プラントとして利用されました。この火薬に農業に、窒素需要は非常に高いため戦時中の経済制裁下においてもドイツはイギリスフランスとも戦うことができていました。最終的には敗戦し、当然この技術はドイツだけに独占することはできず世界中に公開されました。当然この技術は世界中で利用され、現在に至るまで世界中の窒素需要に応え、人類の定員を増やし続けています。窒素がなければ戦争の激化どころか、火薬の安定供給ができないため戦争を起こすに至らなかったかもしれません。戦争と窒素がこのように関わっているというのは不思議な感覚です。
ハーバーは毒ガス製作にも関わっていたため、さまざまな物議を醸しましたが、この功績によりノーベル賞を受賞しました。ボッシュものちにアンモニア合成の工業化に成功した成果によりノーベル賞を受賞しました。現在ではこのハーバーボッシュ法により作られた窒素肥料で世界中の農作物が作られています。散布される肥料量から算出された試算では私たちの身体に含まれる窒素の2/3がハーバーボッシュ法由来の窒素だと言われています。
現在はさらに改良されてエネルギー効率は上がっていますが、私たちの生活は窒素、そしてそれを高温高圧で合成するためのエネルギーのよって成り立っていると言えます。窒素、農業、戦争の関わりの歴史は個人的に面白いので好きです。