描き手としての我が我が
私が私がと西欧ではいうけれど、私というものをそこまで重んじてはいないように思うことがよくある。ドグマが確立されてそれに忠実であるということは、私として感覚で見ていることは無に等しくて、たとえそれがどんなに正しく真理であることだとしても、やはりそれを主張することは許されなく、無に等しい。
逆に日本では、私が私がとは言わないけれど、とても "私が" を重んじているように思う時がある。それは自分の感覚で体現して、その土を直に触り、味わうことを基本的に持っていて、これがどうしても感覚と質感として作品に表れ、そういう着地点に納得したりもする。
こういった僕らの持つ肌感を必要としている西欧の人たちは、それらを懐かしく思うと同時に、今一度自分たちにとって大切なことのように思っているような感じがある。彼らの表現においても、そのような体現的なものを求めるけれど、中央に確立されたドグマがどうも邪魔をして、その土を触るふりをすることしかできず、地面から遊離してしまう。
彼らは土に触れることのできる肉体を求めている、その奥にあるものは感覚であり神であるキリストの御身。
日本人は比較的に個々で神と対話しその答えを求める。しかしながら個々人が神と話そうとすること、そういうことを西欧はできない。彼らは今や、個々人が神に見解を求めることは再び神の言葉を八つ裂きにして磔にすることに他ならない無謀なことになるのだから。
けれども体現しない事には、いつしかそのドグマがただの書かれた文字になってしまうのではないか、そこでキリストは最後の晩餐で、パンとワインを弟子に配り、これを食べる時には私を思い出しなさいと言ったのだと思う。彼らにとって僕らの作品とはそのパンとワインだと思う。