どうして、私がお父さんを選んだか
鬱になる原因
「あなたのお父さんが鬱の原因になったとは思わないの?」
そう聞かれることがある。
鬱のきっかけになる出来事はある。
でも原因は鬱に向かう思考システムが私の中にあったからだ。
これは親を責めたくないから言っているのではなく、私が得た答えだ。
この世界では出来事は瞬間、起こり続けている。
それに対して、良し悪しを決めているのは人だ。
天気が良いとか悪いとか。天気自体は巡り変わり続けているだけ。
物事はただ起きているだけ、人がそれにどう反応するかだ。
思考システムの構築
生きている間に起きる出来事に
マルとバツをつけ、白と黒に分けることを覚えた。
こういう状況のときは、このようにふるまうことが正しい。
善と悪。正しさと間違い。
〇〇だったら、こうすべき。
求められていることとを可そして否。
こうして生きていくうえで、周りの言葉を聞いて次から次にベールが覆い被さってくる。
大人の考え、国のカルチャー、人としてのルール、学校のきまり、
時代の流れ など。
そうやって迷路のような、でも規律があるような思考システムが出来上がっていく。
ほとんどのルールはその時のあなたを守るために作られたもの。
だからその後、アップデートしたり、必要なくなったら廃棄してもよい。
ただそれはルールを教わったときに「必要なくなったら捨てていいからね」と親切な言葉を付け加えられてはいないため、ほとんどの人が知らない。
そして何が起こるかというと、
小さい時に教わった価値観やルールで、体験を重ねていく。
体験が重なるとその苦労や恥ずかしさなどから、意地という固執が生まれる。この経験をしたのが私なんだと、アイデンティティ化されていく。
プライドの出来上がりだ。
だいたい度の過ぎるプライドというのは、この経験と自分を同一化して譲れない状態のことだ。年がいくと頭が硬くなるのは、多くの体験を重ねて同一化しているため、過去の経験を否定されると自分を否定された気がして猛烈に怒るのだ。
ここまでくると、がんじがらめ。思考システムもがんじがらめ。
鬱は思考システムの崩壊
今までの生き方に、考え方に、無理がきたのだ。
生き方は、それまでに積み上げた思考システムから成るもの。
だから、鬱になったタイミングこそが変わり時。
普段考えこなかったような、みてこなかったことに深く向き合うタイミング。人生において本当に大切な事を見直すきっかけになる。
「真剣に探してみると、必ず答えは見つかるよ。」
そう友人に言われて 鬱の後半期に考えてみたのだ。
どうして、母を選んだか。
どうして、父を選んで生まれてきたのか。
母を選んだのはきっと、
「人のことを大切にするくらい自分のことも大切にしてほしい」と
周りが願っていることを体感するため。
自分のことをそっちのけで、人にばかり奉仕してしまう母は立派だ。
母本人は気づいていないが、母を愛するものとしては母が母自身を大切にする時間を作ってほしいと願わずにはいられないのだ。
そして母と違う存在として命を授かった私は、母のその姿をみて「自分を今大切にしていく。」ことを学ぶのだろう。
父を選んだのはきっと、
良い音楽を聴かせてくれた。絵をかく喜び。自然の美しさを感じる力。
情緒にまつわるセンサーとそれを表現する方法を父に教えてもらいたかったのだろう。
そしてこのように答えを見つけては進みを繰り返す後、
「自分の生まれてきた役割」までたどり着くことができるようになる。
探せば必ず見つかる。