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2020.07.28 雨 25°/29° リンリンシャンシャンジャージャー
「鈴生り」って言葉があります。
果実が房のように多く群がってなること。鈴生りって言葉からすると、どうも海外の「ベル」に近いものを想像していてですね、ピーマンなんかの形がそれに似ているから、ぴったりな言葉だなぁって。
今日のカバーは 雨に打たれて鈴鳴り です
鈴って表現を使っているということは・・・。
実は私達人間には聞こえない音があって、風に果実が揺られるとき。雨に打たれるとき、熟して地面に落ちたとき。それぞれ音を奏でているのかもしれないなんて。
いつも害虫たちはどこからともなく飛んできたり、這ってやってくる。どうやって好みの野菜を見つけるのだろうっていつも疑問に思っているんですよ。今までは匂いや見た目でやってきてると思って居たわけです。
野菜の匂いを嗅ぎ分けてよってくるのか・・・これは匂い、嗅覚。
葉っぱや果実が大きくなる様子、色の変化で未熟・熟れているものを見ている。・・・おお!これはお目め、視覚。
実は葉が擦れる音、果実たちが奏でる音を聞きつける。虫たちを呼び寄せる音がなっているとか・・・うん。これはお耳、聴覚。
なんだか想像が膨らみます。楽しくなってきた。誰がそう思ったんだろう。どこから由来が来たんだろうって思って気になってしまって、調べてみる。
便利な世の中ですね。調べてみると。あっと言う間に一つの由来にたどり着きました。
おあ。神楽鈴。まさに鈴なり。
ということで、神楽鈴の画像を検索して、見つけてしまった私。
「しまった〜」って
新しいことを一つ知ることができた代償は大きい。一気に想像、創造力がしぼんでいく。知ってしまったら最後。そこで創造への旅が終わりを告げました。わからないこと、知りたい欲求は私の原動力。知らないままの世界があってもいいなぁと、つくづく思いました。
万願寺が良い感じ
(きっと)きれいな音のする、万願寺さん。お家でポッドに種まきをしたところからスタートして、ようやくここまで来ました。いろいろな感情が湧いてきます。あの小さい種がよくもここまで成長できた。たどり着くことができたんだなって。喜びにあふれています。
その一方で、種から育てる喜びはあるけれど、市販されている苗ってすごいんだなぁと。苗から育てるより、種から育てたほうが安上がりみたいな話も聞くけれど、それはあくまで「金銭面のコスト」だけであって、かかる時間・労力からしたらどうなんだろうなぁって。生きてる時間は有限。植物も人間も。どちらかに偏ることなく、種も苗も賢く使えたらいいなって学びがありました。
ようやく開花宣言
もはや、ときわ地這なのか、四葉きゅうりなのか見分けが付きませんが。今季はお初なきゅうりのお花。今季のうりうり兄弟は、ズッキーニ、ゴーヤ兄さんたちを追いかけて、末っ子きゅうりに落ち着きそうです。やっぱり兄弟なんですね。みんな黄色の花を咲かせています。
ゴーヤの兄貴は三番果へ
ゴーヤは二株植えているのです。実をつけているのはデルモンテさんの「スーパーゴーヤ」だけ。圧倒的な強さを見せつけています。今季は少し価格が高めで、ホームセンターの苗の中ではアッパーな苗を試しに買って植えているのですが、やはり病気への耐性、育ちやすさ、実のつき。どれをとっても申し分ないような感じがします。
唯一好みが分かれるのは味の部分だけでしょうか。近年は「食べやすい」「面倒でない」って部分、利便性を追求した改良が増えていて、ゴーヤで言えば苦味が少ない・マイルドってことで、誰でも美味しく食べることができる。使いやすくって、ありがたいなぁって思うのだけれど・・・
それは、昔からある品種から感じる懐かしい味。青臭かったり、苦かったりする部分。どんどんそれらの本来持っていた風味がなくなってきていて、ちょっと残念。そうした野性味溢れた味ってなかなか日本の品種では感じづらいかもって思って。少しだけ欧州品種のレタスとか作ってみて、すんごい苦い子たちがいるんだけれど。野菜の味がダイレクトに伝わってくる気がする。私にはその部分があるから、欧州系の野菜に惹かれるものがあります。
ここまで虫がつかないのも珍しいかも
梅雨前に定植した、大葉こと紫蘇さんたち。毎年育てているもののここまで大きく、きれいに育ったのは初めてかもしれません。紫蘇は一度育ててしまえば、穂紫蘇がついて、花が咲いて、種ができて、熟すとこぼれ種に。底からは毎年のように命が続いていく。「紫蘇」には「蘇る」って言葉があるように、昔は薬草としても使われて居たようだし、栄養価とともに、古来から生命力が強い野菜だったのでしょう。
今宵はジャージャージャー
暑いときにはさっぱりしたものを食べたくなる。ということで。畑で採れたものをたっぷり器に持って、ジャージャー麺を作りました。麺はそうめん、大好きな山梨は甲府の五味醤油さんの「甲州やまごみそ」をたっぷりつかって。
我が家の常備味噌
肉味噌は鶏むね挽で。紫玉ねぎ、トレビス・サンチュ・オクラ添えて・・・というか、山盛りで。なんとも贅沢な時間でございました。たくさん刻んだ野菜たちは、余ったら次の日の朝にサラダでいただきます。
自分で野菜を育てて、自ら調理をして、味わって食べる
すべて自分でやるというのはとてもありがたいこと。面倒だからとか、泥臭いとか、虫が嫌だとかって、倦厭される部分があるかもしれません。農業に限りませんね。
自分で一からやること、種からスタートすること
とっても大事な気づきを得られるチャンスがいっぱいです。種を蒔けば、やがて芽が出るように、そこから「無駄にしない」「命を大事にする」という意識が芽生える。関わるからこそ、人間が循環の中に生かされていることに気が付きます。
きっと私には日頃の感謝が足りないのでしょう。もしかしたら、私は前世で好きなものだけ食べて、飽食の世界に生きていて。見かねて神様なのか、仏様なのかわかりませんが、ようやく現世でその業を晴らす機会を授けてくれたのでしょうか。
まだまだ感謝が足りない私に。
いろいろな恵みに感謝。そしてありがとう。
おやすみなさい。