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好き嫌いはあっていい
「給食は好き嫌いなく食べましょう。」
小学校の先生の言い癖だった。私は、殆ど好き嫌いはなかったが、トマトスープが食べられなくて、じっとしているA君がいた。小四の時の担任M先生は、「食べなくては昼休みはありません。」と脅した。で、A君は、そのスープが食べられないので、ご馳走さまが終わっても、自席でじっとしていた。
圧倒的に上に立つ先生の味方をして、「おい、食べろよ。」と意地悪を言う者もいた。気の毒に思いながらも、私は、先生権威の前に沈黙で通した。
ある日、先生は「人の好き嫌いもない方がいいわね。どんな人とも仲良くしましょう。」と唱えた。
圧倒的に強い先生に反論などできる筈もない。が、何かおかしい、という言葉にもならない不満のような、勘のようなものが働く時があった。
後年、嫌いな食べ物があることに気づく。初めて差し出された馬刺しだった。ああ、これは私の舌が馴染めない、と思った。その馬刺しを口に入れた時、小四の時のA君の横顔が浮かんだ。
嫌いなものがあったっていいのだ。嫌いなものを無理に好きにさせようとする大人がいる。が、それはいいことではない。嫌いは、自らを守る防衛本能なのだから。毒キノコを初めて見た人類は、どうしたか。鼻に近づけて匂っただろう。その匂いが嫌いだったら、食べなかった筈である。
では、出会った瞬間、なんとなく苦手だ、嫌いになりそう。こう思う人がいるだろう。無理して近づかなくていいのだ。もちろん、慇懃に挨拶はしなくてはいけない。が、無理に好きになろうとしたり、相手におべっか使ったりする必要はない。それは、自分を守るための防衛本能なのだから。
まず自分を守る。これを怠ると、ストレスが高じてメンタル疾患に陥ることもあるのだから、嫌いがあったっていい。嫌いは人類の適応選択力の賜物と言い聞かせよう。
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