2024/11/24 医療的ケア児家庭のヒーローを作りたいのでみんな助けてください

※長いです!
結論は「医療的ケア児のヒーローをこの世に増やすというミッションに人生を捧げようと思い始めてるけど、何からすべきかわっかんねえ!!!雑談でも壁打ちでも誰か助けて!!!」です。これを読んでくれてもし少しでも何か心が動いた人がいてくれたら、ちょっとでもお時間いただけたらハッピーだな、と思っています!

やや気持ちのアップダウンが激しいのでいきなり消えたらそういうことだと思ってください!!!

今までの話の詳細はこちら


流れてきた記事

死んだ魚の目でXを眺めていたら、この記事が流れてきて、天を仰いだ。

たぶん、これは自分たちの未来だ。
うまくいかなったときの、自分たちの未来だ。

この家族が、どうしてこの結末を迎えてしまったのかは、当然本人にしかわからない。

その前提で、自分が同じ状況になることを想像してみる。

今、我々夫婦の子は、川崎病をきっかけに肺炎を併発し、5ヶ月の間ICUに入っている。「ここまでです」と言われながらもなんとか命はつなぎとめたものの、肺に重い後遺症が残り、高い確率で医療的ケア児になることがわかっている(詳細が読みたい人はこちらを時系列に)。

2週間前に、医者から「小学生で呼吸器が取れたらラッキーという覚悟を」と言われたばかりだ。8歳ってちょうど小学校2年くらいか。

それなら、この記事はまさに我々が「覚悟しないといけない未来」だ。

だから自分は、この話を書いて良い。

例えるなら、後ろが落盤で崩れてしまった洞窟を、暗い方暗い方に歩いている。歩くたびに酸素も薄くなって、どんどん暗くなっていくことにもうっすら気づいているけど、奇跡が起きるかもしれないから、進み続けるしかない。そしてある日、どうにもならない日がくる。

もう限界で、殺してあげる決断もできなくて、自分が死ぬ勇気も出せなくて、どうしようもできないから、何もしないことで「時間」に全てを委ねることを自分たちは、自分はするかもしれない。

数時間に一回のたん吸引、数分遅れたら窒息し、死に至る。
まともに寝ることも難しかったかもしれない。

我々は夫婦で交代もできるが、このお母さんは母子家庭。

むしろよくぞ8年も、という感覚すら覚える。

けど、想像できる精一杯まで想像した上で、無茶な要求だと思いつつ、思ってしまった。

もし諦めてしまったのだとしたら、それでもどうにか、諦めずに生きる道を選び続けてほしかった。でも、無茶な要求だとも思う。

8年間、我が子に人並み外れて献身的な愛を注ぎ続けたこの人は、この世界に必ず必要な人だ。この世界のヒーローになりうる人だ。

Xでは「この人より逮捕されるべき人がいるだろう」という旨のポストがバズっていたが、逮捕されるべきかどうかなんて、論点ではない。されなかったところで何も解決しない。(もちろん、この人が「逮捕歴」という事象だけで今後の人生において不利益を被るならそれは修正されるべき制度のバグだろうと思う)

考えないといけないのは、8年間苦しみ続けた状況が産まれていたかもしれないこと。

これから世界を救うかもしれない人たちの、ヒーローが足りないんだ。
(ちなみに日本では、岸田奈美さんがその一人だと思っている)

また、自分の話をする。

11/12に「お子さんには後遺症が残ります」と言われた。病名をネットで調べ「風邪などの感染のたびに悪化し、呼吸不全で死に至る事が多い、予後は不良の指定難病である」と書かれていたのを見た時、自分の世界は終わった。

気管切開をしてしまったから、我が子の可愛い声は、もう撮りためた動画の中でしか聞けないかもしれない。
クジラと泳ぎに、一緒にトンガに行くこともできないかもしれない。
なんなら、看護師さんの手を借りないとお風呂にすら入れないかもしれない。
病気になる前はダンスが大好きだったからダンススクールに通ったら良いんじゃないかな、ダンスと演劇を組み合わせたスタジオなんて楽しそうだな、と思っていたけど、起き上がることすらできないかもしれない。
風邪をひくだけで大きく症状が悪化するリスクがあるから、死の覚悟を持って、他者と関わらないといけないかもしれない。

そして何より、我が子がやりたいことや、見たいもの、感じたいことへアクセスできる可能性が、閉じられてしまうかもしれない。

もしそうなら、辛すぎるから「この世から早く逃げてしまいたいな」とか、ストレス由来の心臓付近の痛みを感じたり、過食をした後に「これでまたちょっと寿命が縮まったかな」と嬉しい気持ちになったりしながら、ふわふわと過ごしていた。久々に体重を測ったら半年で10kg体重が増えていた。

どこかの土曜日、病院からの帰りにエキスポシティに寄ったら、致死量の走り回る健康幼児を見てしまって、動けなくなった。耳が痛いくらいイヤホンの音量を上げて、薄目で最奥の蔦屋書店に走り、一番子どもが少ない、ビジネス書コーナーに逃げ込んだ。

どこかの火曜日、流石に会社にいけなくなって1日休んだ(逆に1日で済んでいるのが、自分でもよくわからない)。

どこかの日、「親子で履こう」と買ったお揃いの羊柄の靴下を履いて、ふと足の裏を見たら小さな穴が空いてた時、泣いてしまった。一回でも、皆で履けたっけな。この先皆で履いて、地球を歩き回れるかな。


それでもこの2週間、思考だけは巡らせ続けた。

その一旦の結論が、「”自分の人生”は終わりにすると決める」こと。

一つは「我が子の人生の積分値」を最大化させるために自分を捧げること。
例えば生命の維持を目的に、感染を最大限防いで、社会との関わりを絶って育てていくのが医療の指示であっても、家族の意思次第で「太く短く」を覚悟してでも、彼が精一杯楽しめることを目的にし、そのために自分という人間の全リソースを投入すること。

もう一つは、もし我が子が自分より先にその生涯を閉じるなら、その時自分の人生にも幕を引くこと。

終わりを思い描くことから始めて今を生きることが、死体の足を動かしてくれる気がする。

我が子が医療の想像を超えた回復をして、走り回って踊るようになって、妹がほしいと言われる日がきたら、こんな結論は全撤回、穴掘って埋めてやる。

親としては、我が子の全快を祈ることが有るべきスタンスなのかもしれないが、そんなことは当然願っているし、諦めてもいない。ただ、「障害が残る」と明言されたこの2週間は、流石に無理だった。

再び、流れてきた記事

そんなことを考えていたら、今日この記事が飛び込んできた。
自分は自分の人生を諦めたくせに、他人には諦めてほしくないらしい。

ふと、自分の人生を「妻、我が子や、この記事のような状況になっている人、なりそうな人、かつてそうだった人が輝けるようにすること」に使いたいな、と思った。なんか、降りてきた。どっか飛んでかないといいな。

少年漫画や冒険小説が好きだから「今泣いてる人たちの前にヒーローが現れる」のが、実現できたらかっこよくて自分でも泣いちゃうな、と思った。

自分がなれたら良いのだけれど、そもそもヒーローなんて柄じゃないから、ヒーローを召喚するための儀式を行う信者E、くらいの立ち位置になるのも、全くやぶさかではない。

自分には専門性もない。資金もない。人脈もない。

もっと言えば時間も無い。夫婦で分担とは言え12月になれば付き添い入院が再開する予定だし、うまくいって3月頃に退院できたとしても、まさにそこからは介護生活が始まる。

だから、絶対に絶対に絶対に誰かに助けてもらわないといけない。

自分にできるのは、社会人として普通に生きてきたら身につくくらいの、通り一辺倒のスキルかっこわらい。問題発見やら、事務処理やら各種調整やら、大きく言うとプロジェクトマネジメント。イベント運営を複数回やったり、新規事業探索もほんの少しかじった。めちゃくちゃ良く言えば大体のことは何でもできる。

持ってるアセットは才覚に溢れた妻そのものと、妻が築きあげた多国籍シェアハウス兼民泊。

後は、今書いてるくらいの、70点くらいの文章を書くこと。
それから、「医療的ケア児と生きる親」という当事者として話すこと。
自身を持って言えるのは、我が子の人生に、命をかけること。

手段など全くわからない。
なんならそこから壁打ち相手、雑談相手になってくれる人から欲しい(ので誰かおしゃべりしてくれたらとっても嬉しいです…)

今困ってる人の問題の根本がお金なのだとしたら、思いつくのは、大手企業だったり資産家だったり、お金が余っている人から「困ってる人にお金が流れる仕組み、寄付ってかっけえよな、というブームを作っていく」だとか。

資本主義の、増えていくお金を、更に増やすことだけに費やすのではなく、下に循環させてくれる人を増やしていくような何か。

その手段は既に近い思想で活動している企業への転職なのかもしれないし、起業なのかもしれないし(うちの会社副業禁止だから困っちゃうね。まあ、ボランティアでもできることはあるでしょう)、SNSで今回の兵庫県知事選のようなムーブメントを起こすべく立ち回ることなのかもしれない。

めっちゃ具体的に言うなら、我が家にはよく外国人ゲストが泊まりに来るから、思想に共感してくれる人向けのお高めプランを妻に作ってもらって、差分を寄付していくとか。

自分がやってる給料の1%を給付する取り組みを、医療的ケアのお子さんがいる人を優先にするとか。

色々考えた結果、そんなできることを、やり続けて、自分にできることを増やしていくことから始まるのかもしれない。

さらに言えば、お金の問題ではなく、助けてくれる「人間がいない」のがより根本なのかもしれない。

それなら、例えばめちゃくちゃ頑張って今住んでるエリアは相互扶助でなんとかなったとして(家族以外は痰の吸引もできない、みたいな法の壁とかも多分あるのだけれど)、同じようなことをしてくれる仲間を作らないと、意味がない。

ニュースになるような社会問題は、皆頭を悩ませていて、解決の糸口が見えないからこそ、問題なのかもしれない。

が、そんな事を言っていたら、ヒーローは産まれない。

が、志は立った。

昔お世話になった方から聞いた言葉で好きなものが有る。
「意図が100なら、方法は無限大」

多分、自分も介護で疲弊しちゃって動けなくなる日がくると思うけど、言えることは、言えるうちに言っておこう。

きっと、今泣いている人がいる。全部を投げ出してしまいそうになってる人がいる。
けれど、できたら、もう少しだけ頑張ってみませんか。
俺も、毎日泣いてるけど、頑張るから。いつか、ヒーローが現れるからさ。

こんなこと考える日が来るなんてね。
#想像していなかった未来 、再び。

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※この先有料ですが、大したことは書いていません。現段階で公開してしまうと一部の方に迷惑がかかるリスクがある内容が含まれる一方、自分の思考の跡地としては残しておきたいので、一旦クローズにしています。

気になる人は「今は他言しない」という前提の上で、言ってもらえれば無料で閲覧できるURLを渡しますし、いずれオープンにします。

一方で、「金が余ってしゃあないわ、応援したるから使いや」という施しは喜んで受け付けます。全額上記取り組みに対して使います。が、その場合でも他言は控えていただけるとありがたい…です…

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