
昔、鳥取に行った話
#猿川西瓜 と申します。稲麻竹葦番外編エッセイ を書きます。
「稲麻竹葦」とは、大阪と奈良の同人二人(猿川西瓜、芦原瑞祥)による、古代史同人誌です。「稲麻竹葦」は日本の古典・神話等を読み直し、小説・エッセイ・評論にまとめています。古事記、初期万葉集、第三期万葉集(9〜10巻)、万葉の「付録」十六巻、「日本書紀」雄略天皇中心、「病」といったテーマで刊行し続け、七号は「聖徳太子」、八号は「垂仁天皇」、九号は「壬申の乱」、最新刊は「遣唐使」です。主に、文学フリマを中心に活動しています。大阪、広島、香川、京都に出店していますので、遊びに来て下さいね。
鳥取は、「取」が先なのか、それとも「鳥」が先なのか。たまに迷う人もいるだろう。パソコンだと間違わないけれども。
むかし、会社の関係で鳥取に行ったことがある。駅にはコナンだか、鬼太郎だかがいた気がする。
何日目か忘れたけれども、自由時間を取れる一日があった。私は因幡万葉歴史館にバスを乗り継いで向かった。お客さんは僕一人だったような気もするけれども、何人か人もいた。しかし、少なかった。平日だったからだろう。
歴史館の隣りにあるもっと人のいないトイレを使って、でてきたら、丁度鉢合わせた掃除のおばちゃんが、ゾンビか幽霊を見たかのように驚いたのが、いまでも思い出される。確かに顔も色白だし、職場で病んでいたので(病みながら15年近くも働いてしまった。人生の大失敗だ。が、前を向くしかない)、その呪われた気に驚いたのかも知れない。
全然忘れていたけれども、結構資料として写真撮っていた。わりと充実した展示でとても良かったのだ。







この時、稲麻竹葦を構想していたかどうかも忘れた。2015年の写真だからだ。つまり9年前になる。あの頃から9年か……コート、全然変わってない!9年前からコート変わってない。物持ちがいいなあと思う。あれ、稲麻竹葦っていつからスタートしたっけ?おしえて芦原瑞祥先生。

登りやすい山があるって大事なことなんじゃないかな。要塞を一から作るより、低い山を要塞にしたほうがいい、みたいな。
自分の写真資料を、ちゃんと印刷して、きちんとあとで見返したり、自分の資料として有効活用できるようにしておかないといけないのだけれども、すっかり印刷せずに撮りっぱなしにしていた。
古代の服装や食事って、本とかにいくらでもありそうだけれども、意外にまとまっていなかったり、かゆいところに手が届いていなかったりする。そういうとき、「博物館」というメディアが、一つの本のように、大百科事典のように、どんなネットアーカイブよりも明確に、自分達に知識を示してくれる。本にあたればあたるほど、「博物館」というメディアの大事さを痛感するのであったのだ。