駆け巡るいわし
魚に弱と書いていわし。
足が速いということで、よわしと呼ばれ、それが転じていわしになったとかならないとか。
いわしにとっては迷惑な話だ。
勝手に海から陸に上げといて、すぐに死ぬからよわしなんて。
失礼この上ない。
そりゃあ、海の生き物だもの。
陸に上がれば死ぬでしょうよ。
人間の都合で弱いだの強いだの、いわしの知ったこっちゃありません。
と、勝手にいわしの気持ちを代弁してみましたが、いわしの気持ちなんてわかりません。すみません。
いわしの気持ちを代弁するほどにいわしのことが好きなのかと聞かれれば、全くそうではありませんと言い切ることができる。
私はいわしには一切の思い入れなんてない。
水族館に行けば、いわしトルネードをすごいとは思うし、魚売り場で大安売りをしていれば嬉しいと思うくらいに、いわしとのお付き合いは一般的なものだと思う。
それが、最近いわしと私は非常に近しい関係になった。
一週間に数度、私はいわしを食べるようになったのだ。
急に味覚が変わったわけでも、いわしに取り憑かれたわけでもない。
誰かがこっそりいわしを食卓に出してくるわけでもない。
自分の意思で、いわしを食べると決めて、食べている。
今年に入り夫の血圧が高いということがわかった。
かかりつけの内科の医師より、血圧計を購入のうえ、家で計測をしてくるよう勧められたらしい。
次の受診までに毎日計測した結果を持ってくるよう指示があったらしく、私たちは大型電器店に行き血圧計を買うことにした。
血圧計に関して全くの知識はない。
そして、なんの予備知識もなく買いに行った。
どんな種類があって、どんなものが良いかもわからない。
どのくらいの値段が相場かもよく知らない。
血圧計なんて、病院や実家にあるもの、くらいの認識しかないものだから、種類なんて数種類ぐらいのものだろうと踏んでいた。
しかし、思いのほか血圧計の陳列棚は広く、種類も多い。
値段もピンからキリまである。
ただでさえ予想外の出費なので、できるだけ安いものを探そうと私は陳列棚の値札ばかり見ていた。
値段をみながら、私も人間ドッグの度に血圧が高めだと指摘されていたことを思い出す。
血圧計も記録ができるものがあるようだ。
どうせ買うなら私も記録しておけるものを、と二人分の記録ができるものを買おうということになった。
さらには、いちいち紙に記録をするのも面倒だということで、アプリで記録が残せるものにしようということになった。
やはり正確な数値が出る方がいいよね、大手メーカーが安心だよね、とかなんとかいいながら、どんどん良い機能を求めていった結果、最終的には上から二番目に高いものを買うことになった。
予想外の出費だったが、結果いいものを手に入れた気になり、いそいそと家路を急いだ。
新しいものを手に入れると早速使いたい。
帰るや否や箱から出すと、若干テンション高めに血圧を測ってみた。
高めのテンションで血圧を測ると、私の血圧もテンションと同様に上がった。
過去に血圧の高さを指摘されるときは、いつも病院だった。
妊娠中は高くなる人もいますからねとか、緊張してるんでしょうね、とか。
高くなっても仕方ないというお墨付きだった。
そして、複数回測るとギリギリセーフの数値まで落ち着くことが多かった。
毎度毎度、ぎりぎりだが、一応ギリギリセーフなので、私の中では問題がないということになっていた。
初めての血圧測定だから高かったのかもしれない。
と思いながら、その後も毎日測ってみたが、やはり血圧は多少高い。
ぎりぎりアウトである。
家には白衣の先生もいなければ、看護師さんもいない。
誰も私にプレッシャーなどかけないし、高くなる理由も特にない。
私は毎日高血圧と表示される血圧計に苛立ち、今日は測るのを忘れてたとかなんとか自分に言い訳をして、測らない日を作るようになった。
しかし、測らないからといって私の血圧が下がるわけではない。
病院に行きたくないので、とりあえず食べ物でなんとかしたいと思い、お得意のネットサーフィンでウェブを徘徊すると、高血圧にはイワシ缶がいいとの情報が目に飛び込んできた。
薄毛も治ったとの嘘っぽい情報もセットだった。
怪しいとは思ったが、青魚が体にいいことに違いはない。
全てはトライ&エラーだ。効果がなければやめればいい。
やってみないといいも悪いもわからない。
ということで、早速近所のスーパーへ。
味付きのいわし缶は塩分もカロリーも高い。
私調べでは水煮缶をお勧めしていたので、当然水煮缶を買った。
トマトと一緒に食べるといいらしいよ、という情報も仕入れていたので、トマト缶も買う。
家路に着くと早速、かぱかぱと缶を開け鍋へ投入。
流石にいわしとトマトだけでは味気ないので、オリーブオイルと少量の醤油を追加したところ、それなりに美味しかったので、継続して食べてみることにした。
その結果、
なんと、血圧が下がったではないか!!
すごいぞ!!いわし!!すごいぞトマト!!
この結果を受け、私はいわし教という新興宗教に入信してしまい、会う人会う人にいわし缶をお勧めしている。
しかし、いわしにはプリン体も多く含まれるし塩分も高いし、缶詰自体食べすぎると良くないという噂も聞くので、過剰摂取はしない方がいいのかもしれないということはここで補足しておく。
そして、今日もいわしは私の血となり肉となり体内を駆け巡っている。
明日も食べよういわし缶。
と思っていたところ、なんと、近所のスーパーからいわし缶の水煮が消えたのだ!!
陳列棚に札はある。
しかし、いわし缶は残り一個になっている。
私は最後の一個をカゴに放り込む。
仕方なしに、味付けのいわし缶も買うが、こちらも残り数個だ。
ほとんどのスーパーの魚の缶詰の陳列棚はさば缶が占拠している。
その中でいわし缶は肩身が狭そうにひっそりと並べられていることが多い。
私はいわし缶を見つけると、まだ誰も知らない秘密の宝物を見つけたかのようにほくそ笑みながらいわし缶を買い物カゴへ放り込む。
皆がさば缶で満足してる中、私はいわし缶で血圧を下げたのよ、と。
そのいわし缶が誰かに見つかった!!
それとも私が食べ過ぎたせいで、いわし缶が恐怖を感じ足速に逃げ出したのか?
そんなわけがない。
ライバルが現れたのだ。
布教はするが、同じテリトリーにライバル出現とはこれいかに。
いわし缶の明日はどっちだ。
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