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人生は冒険だ。地図はないけれど。
私はずっと地図を探す旅をしていたのかもしれない。
人生は冒険だ
地図はないけれど
宝物探そう
信じて Compass of your heart
ディズニーシーのアトラクション、シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ。世界文学の名作『アラビアンナイト』に登場するシンドバッドと一緒に伝説の国々を旅するアトラクション。船に乗って、シンドバッドの冒険を追いかけていくアトラクションだ。
若い頃、このアトラクションは私にとって、ちょうどいい休憩の時間だった。小さい子どもから、お年寄りまでみんなで乗れるアトラクション。特段激しい動きもなく、船はゆっくりと進んでいく。温度も快適。足も休める。もう寝ちゃおっかな。
私の中でシンドバッドはそんなアトラクションだった。
ディズニー大好きな妹とLINEをしていたら、シンドバッド乗ってきたら?とオススメされた。休憩のためかな?って思ったけど、案外好きなんだよねってコメントが添えてあった。
その日のディズニーシーは混雑日だったから、どれもこれも一時間以上待たないといけなかった。シンドバッドは20分くらいで乗れそうだったから、私たちは暇つぶしにシンドバッドのアトラクションに並ぶことにした。足も疲れてたし。
私たちは隠れミッキーを探しながら、旅にでることにした。薄暗い室内をぼんやりと船は進んでいく。
その中でずっと音楽が流れていた。
コンパス・オブ・ユア・ハート。
心のコンパスを信じて進め。
ディズニー音楽の作曲家、アラン・メンケンが手がけた音楽は、壮大で素晴らしかった。何よりなぜか歌詞が刺さった。
私は人生に地図があると思っていて、きっとその地図を進んでいくのが人生なんだろうって思ってた。占いの見過ぎかもしれない。未来は決められてるような気がしてた。だから私の人生の目的はいつの間にか地図を進むものになっていたし、地図がない気がすれば地図を探すものになっていた。
でも、その歌はそんなことは歌っていなくて、人生に地図はないと言っていた。心のコンパスを信じて、宝物を探そうと誘ってくる。シンドバッドは冒険の果てで友が宝物だと歌うけど、私にとって宝物ってなんだろうなんてことを考えた。そして、なんてロマンチックなんだろうって思った。
人生が冒険で、宝物を探すのが人生だって。なんか素敵じゃない?
ワクワクしてくる気がした。私にはない発想だった。
私のコンパスは、私をどこへ連れてってくれるのだろうか。
ちょっとくらい自分の勘を信じて、もうちょっと気ままに歩くのもいいかもしれないって思った。
ここ15年以上、ずっと真面目に生きてきた気がする。
子育てをしていると、そうなってる人も多いんじゃないかなって思ってる。
親は子どもたちの指針になるべきだと思ってしまうから。
子は親の背中を見て育つって思ってるし、子どもたちの地図に、子どもたちのコンパスに、自分がならなきゃいけないんじゃないかって。
子どもに正しいことを教える時、親は見本を見せないといけない。
ふざけ方だって教えるけど、ジョークだって言うけど、ちゃんとした大人に育ってほしいと思ったら、自分がちゃんとした大人にならないといけない。少なくとも私はそう思って日々を過ごしてきた。
子どもが生まれてからずっと、そんな風に生きてきた気がする。
それは別に間違ってないと思ってるし、後悔なんてないけど。
でも、シンドバッドが歌うみたいに、人生が冒険なら、私も息子たちも地図なんて持ってなくて、自分の足で宝物を探す旅に出る必要があるのかもしれない。
人生にゴールなんかなくって、行き当たりばったりでも、両手いっぱいの宝物を抱えて、みんなでこんなの見つけたよって言い合える人生だったら楽しいだろうなって、そんなことを考えた。
アトラクションが終わって船を降りた。
不思議と私の足どりは軽くなった気がした。