見出し画像

水を頼んだだけなのに、大人になった気がした夜。

気づけば立秋を過ぎていた。暑さのピークもここまでだろうか、と期待したくなる。そういえば、朝晩は少しばかり暑さが緩み始めた気がしている。風が心地よいとさえ思う日もある。体が連日の暑さに慣れてしまったのだろうか。実際にはすごく暑いのに、少し風が吹くだけで涼しいと感じるようになってしまった。

それでもまだ、日中は茹だるように暑い。

その日、私たちは汗をかきながら駅の改札を出て、そのまま立ち飲み屋に流れ込んだ。この暑さを緩和するには、生ビールしかない。私たちの見解は完全に一致していた。

文字通りの立ち飲み屋で食券を買い、ビールを受け取った。立ったまま冷えたジョッキに唇を押し当てる。ひんやりと冷えたジョッキが、「暑い」という三文字ばかりを繰り返す熱を帯びた唇をジワリと冷やした。柔らかく、そして苦味のある泡が口の中に広がる。喉元まで出かかった「暑い」と言う言葉を、勝者しか口にできない金色の液体が胃の奥へと押しやった。「暑い」が黄金の海に浮遊し、そして別の言葉に昇華され、私の口からこぼれ落ちた。

「うまい」

同じジョッキを持つ同志たちの口からも、ため息のように溢れる「うまい」。腰を落ち着けることなく、駆け足で通り過ぎていくこのひとときは、一週間を駆け抜けたご褒美なのかもしれない。

私たちは乾いた喉を潤すと、一息ついて予約をしていた店へと向かった。

店はイタリア料理のお店だった。こじんまりとした家族でやっているお店で、静かで落ち着いた雰囲気があった。小洒落たと言うよりかは、安心感のある落ち着きのある趣。

せっかくだからと、私たちはスパークリングワインを開けた。ボトルから注がれた淡い色合いのワインが泡立つ。泡立ちはすぐに落ち着きを取り戻し、グラスの底からゆるゆると気泡が昇ってくるのを眺めた。カチンと優しくグラスを合わせ、グラスに注がれたワインを口に含んだ。すっきりとしていて飲みやすい。

その後も私たちは、グラスやボトルを空にしては新しいものを頼んだ。

このままでは危険かも、と店員さんに声をかけお水をいただく。私の目の前には、ワイングラスとビールグラスとお冷のグラスが並んでいた。

私はなんとなく、安心感を覚えた。きっとこれまでの私であれば、ここにお冷のグラスが一緒に並ぶことはなかっただろう。しかし、少し先の数時間後、半日後のことを考えて、お冷やを頼めるようになった。大人になったな、と思う。ここまでくるのにだいぶ時間がかかってしまった。

ゆるゆると楽しむ会話と食事とお酒。

それぞれの近況や、共通の知人の話、思い出話。名前しか思い出せない誰かの顔。そんな話をした気がする。正直なところ、この文章を書きながら、なんの話をしたかなんて思い出せないなぁと思っている。それにしても、イカスミのパスタと、ホタテとエビのリゾットが美味しかったなぁという食事の余韻だけを思い出した。もしかすると、食べ物を食べることに集中していた私は、会話中、話をよく聞かず相槌だけを打っていたのかもしれない。「あなたはいつもテキトーよね。心がこもっていないもの」。そんなことを言われた気がする。的確に私のことを捉えていながらも、愛想を尽かさないで一緒にお酒を飲んでくれる友人たちに感謝すべきだ。昨日の会話を一切合切、右から左に受け流して、食事とお酒を楽しんだことを思い出しながらそんなことを考える。

店に入った時には明るかった街並みも、気づけば夜になっていた。まだ飲み足りないなあ、と別の店に入る。

最初に頼んだクラフトビールのグラスが小さかった。物足りないねぇと言いながら、次に頼んだメガジョッキは久しぶりに見るサイズの大ジョッキだった。両手で抱えなければ口に運ぶことが難しいほどの重さのお酒を、時間をかけて飲んでいく。

それにしても、この水分は体のどこに入っていったのだろうか。私にはよくわからない。本当に私はこれだけの量のお酒を飲んだのだろうか。たぶん、飲んだのだろう。いや、間違いなく飲んでいる。会話は一切覚えていないのに、飲んだ酒のことは忘れない女なのだ。しかし、ヘパリーゼを飲み、しっかりと食事を摂り、水と一緒にお酒を飲めば、やはり二日酔いにはならないということをこの文章を書きながら実感している。大人になると言うことは、お酒に飲まれずに、お酒を飲むことかもしれないと私は思った。今回は反省するところがない気がする。しかし、カメラロールに残っていた不意に取られた自分の顔写真を見て、老けたなぁと思う。それに顔がパンパンなので、もうちょっと痩せようと思った。まあ、いつも思ってるけど。




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?